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かしこみかしこみまをすばつ:01

「本当に、あの……すいません…………」  心底申し訳なさそうというよりはもう辛くて死ぬ寸前的な声を出した長身の男は、その見た目からは想像もできないほど弱弱しく息を吐く。  刈安キイロの腰が馬鹿みたいに低いなんてのは、正直いつものことだ。  いつものことすぎてマジで俺的にはどうでもいいんだけど、生返事でへーとかあーとかふーんとか言っちゃうと、身体と精神の隅々までネガティブなこいつは容易に心の距離を取り始める。  だから若干面倒くせえがそんな本心はさらっと隠して、俺は至極明るく丁寧に『キニスンナヨー』と苦笑するわけだ。 「こんな夜中にメイシューさんをお呼びだてしてしまって……」 「謝んなっつってんのー。別にマジで気にしてねえし、夜遊び楽しいマンだし、っつーか、いつでも呼びつけていいわよって言ったのは俺なわけよ、食費浮くし」  いや実際面倒くせえのはキイロにいちいち『大丈夫だっつってんだろ』と言う行為であって、本日のお呼び出し自体は特に嫌だとか面倒だとか思ってない。俺は出かけんの好きだし、キイロの仕事に付き合うのも別に嫌いじゃないからだ。  幽霊専門運び屋、刈安キイロ。  その仕事は勿論バリバリの心霊がらみの現場ばかりだ。  こいつと出会ってからえーと……半年? 一年? わすったけど、まあそれなりの日数が経った。そもそも俺は寺で生まれ育った環境もあり、おそらく潜在的な遺伝とかそういう理由もあって、幼少からわけのわからんもんを視る質だった。  逆に見えすぎて、幽霊なの? どうなの? って目を凝らしてもわからんくらいだ。感じる……! 系の心霊野郎じゃないせいで、ああいうものに対してあんま怖いとか思うこともない。だって見えてるだけの害なんて、道に転がってるウンコみたいなもんだろ。  うっわーと思いながら避ければいいだけだ。  そんな感じで生きてきたせいで、得意ってわけじゃないけれどもまあ幽霊自体は平気気味よ、みたいなスタンスだ。まあそら、襲ってくるタイプの奴はこええと思うけど、ホラー苦手なんです~(泣)ってわけでもねーよってことだ。  だからキイロの仕事現場にお付き合いする時も、正直そこまで憂鬱ってわけでもない。  憂鬱ではねーけどまあ確かに『ちょっと一晩付き合ってください』って言われた俺は、うははマジかよいきなりお泊りとか大胆ねと笑ってしまった。  刈安キイロは小心者だ。刈安キイロはいつでも小さな声で、世界の淵からそっと投げるように静かに言葉を零す。誰かの陰に潜むように生きる、そのくせその口から時折飛び出す『実はメイシューさんにお願いがあるんです』って言葉の後には、とんでもねーぶっとび案件が続くのだ。  刈安キイロは小心者で、声が小さくて、静かで、そんでなんでか俺に対しては若干我儘だ。  ……そんで俺はその我儘を若干気持ちよく感じ始めている、わけだがこれはしばらく本人には断固悟られないように生きたい、と思っているわけである。  要するに俺たちは微妙な関係なんだよ。どっちかが、つん、と押されたらたぶん容易にどぼん、といっちゃう。そんな感じだ。あー……だから、まあ、うん。死なない程度の我儘ならどんと来いって思っている俺的には、すみませんだなんて謝る声も心地いいってわけだ。  いや違うし。ゲイとかじゃねーし。そういうんじゃねーし。  俺はおっぱいが好きだし女子が好きだし女の子の太ももと足首が好きだし。断じて俺より相当背の高い猫背の年齢不詳の不審男子なんて好みじゃねーし。  そう思っても結局目の前でキイロが死にそうになってたら、見ず知らずのおねーちゃんよりキイロを優先すると思うよ俺は、ってくらいにはコイツの存在がでかくなっていることを自覚している。俺はゲイじゃない。女子が好きだ。でもキイロを手放せないんだろうなって思うから、こいつが俺にだけ我儘ぶっかます現状にひっそりとニマニマしてそんでそれを顔に出さないようにぐっとこらえるわけだ。  以上俺の誰にも言えない現状だったわけだが――そんな絶妙な優越感をぐいぐい胸に押し込める作業なうの俺の横で、キイロは相変わらず肩身狭そうにへなへなと眉を寄せていた。  しゅん、とかへなっ、とかそういう擬音がよく似合うキイロだが、見た目は相変わらずアバンギャルドってーかやんちゃだ。  もう冬も近いから重そうなモッズコートはまあいい。許せる。そんでもやっぱり目に痛いくらい鮮やかな黄色の傘は目立つを通り越してやばいし、腰に届くほどのローポニーテールの茶髪とか、隈の浮いた眼とか、右半顔にまとわりつくように彫られたタトゥーとか。そういうのが一個でも目を引くというのに全部乗せなわけだから、どう見ても不審なおにーさんなわけだ。  相変わらず歳教えてくんねーから俺より年下なのか年上なのかもよくわからんし。もうどっちでもどうでもいいけどよ……。  今日も元気に不審なおにーさんムーブ全開のキイロは、深夜間近のドンキなんつーアバンギャルド人間がたむろしてそうな(偏見)場所でもやっぱり見事に浮いていた。  一晩付き合ってください。  そう切り出したキイロが指定したのはドンキで、そんで今会計を終えたキイロが両手にぶら下げている買い物袋の中には、あんみつやらゼリーやらせんべいやら酒やら……とにかく雑多な食い物と飲み物がガサゴソ入っている。  山ほどの食い物を抱えて、俺とキイロが向かうのは山の中の廃墟――とかではなく、都内の普通の依頼人宅だという。  人として片方貸せよと買い物袋を奪い取り、ずっしりと重いそれに視線を落としつつ眉を寄せる。 「え、酒盛りでもすんの……?」 「いえ、あの、酒盛り、ではなく、なんというかこれは差し入れのようなもので……」 「つーかキーちゃんて酒飲めたっけ? なんかいつも水とオレンジジュース飲んでるイメージしかねえけど」 「はぁ。水は基本味が一番ないので、楽なんです……オレンジジュースは逆にきちんと味が強いので、メイシューさんと一緒の時は、つい頼んでしまうというか……あれ、でも、普通に好きなのかも……。……お酒は、嗜好品として飲む習慣は、ないです。でも飲まないと死ぬ、みたいなことが多いから、結構、口にすることは多い……かな」 「おん。……相変わらず見た目通りのバイオレンス人生だなぁ」  酒を飲まないと、死ぬ。  それはつまり、除霊アイテムとか浄化アイテムとしての清酒とかなんだろうなぁ、と察しはつく。確かにそういう酒は嗜好品じゃないだろうなぁ。 「ま、飲めるならいいじゃん。じゃあ今度飲み会しようぜ飲み会。そういや桑名が忘年会したいとか言ってやがったなぁー」 「あー……桑名、さん……」 「……あれ、桑名のコト嫌いなんだっけ?」 「いや、あの、そんなことは断じて。断じて、ない、んですけどメイシューさんの周りの人のことは、そのー……総じてボクは、ずるい、と思ってしまうので……」 「ずるい」 「はい。メイシューさんと一秒でも一緒に居れてずるいな、と……あの、すいません、重かったですか? やっぱりボクが持――いた、あの、痛い……なんで叩……痛い……」 「ほんとそういうとこよ?」  今時さぁ、片思いしてる相手に真っ向から『あなたの周りの人間すべてに嫉妬しているんです』なんて言う奴いるかよいねえだろなんだよばーかばーか。そんなんこっちがガチじゃなくたって少女漫画みてえになっちゃうでしょうが。  はー嫌だ。さっさと行こう。さっさとホラー案件にさらされた方がましだ。あまっ痒いより絶対マシだ。  そう思いながら俺はガスガスと進み、後ろから小走りでついてくるキイロの案内の元、とある住宅街に降り立った。  時刻は深夜零時すぎ。  金曜の夜といえど、ベッドタウンじみた郊外住宅地はそれなりに静かだ。明りが灯っていない、とは言わないが、街の賑わいとは程遠い。  思いのほか寒い夜風にぶるりと身震いひとつかますと、隣に追いついたキイロが心配そうに小首をかしげた気配がした。 「……寒いですか? ええと……マフラー持ってきたらよかったかな……ボクのコート、着ますか?」 「ばっか、そしたらお前そのさむそーなぺらぺらなお洋服一枚になんだろうがよ。見てる方が風邪ひきそうになるっての。つか駅降りてから徒歩十分って言ってなかったか? もう十二分くらいたってね?」 「まだ八分です、けど、見えてきたと思います。――あの、アパートの二階の角の部屋です」  キイロが指をさす。その先を思わず目で追いかけてしまい、俺は夜の闇の中にぼんやりと浮かぶその部屋の明かりをばっちりと見た。  瞬間、なぜか足が止まる。  この先に行きたくない、と思う。  なんでかよくわからなくて、そんな風に思うことすら若干怖くて思わずキイロを見上げると、なんでかキイロは俺の反応を見越したように眉を下げた。 「……やっぱり、メイシューさんもそうなっちゃうんですね。ええと、……霊感が強めの人は、近寄りたくない、と思うそうです。ボクはそもそも、そういう気配を感じるとか察するような能力は低めなので、特に何も影響はないんですが……」 「いや、俺もそんな、バリバリバチバチ霊感野郎ってわけでもね―よ人聞きの悪い事言うんじゃねーよキーちゃん手え繋いでもらっていいっすか鳥肌やべええええなんだこれこっわ! え、なに? こっわ!」 「怖い、ですか?」 「え、いや、えーと、怖い……わけじゃねーな? なんだこれ、でも、なんか……背筋がぞわっとする、っつーか……見られてる、みたいな?」 「はぁ……なるほど。メイシューさんはやっぱりとても敏感なんですね。ボクも、そのくらいわかれば、もっと仕事がやりやすいんだろうな……」 「いや全然うれしくねーっすわ。羨むな。そんな尊敬の目で俺を見るなちくしょう。てかキーちゃん手ぇ冷たくね!?」 「え。そう、です? ええと、ボクはその、メイシューさん意外と手とかつないだことない、ので、よくわからないんですけど」 「ムキィー!」  また自爆した。くそ。いちいち純情大和なでしこみてえな返事してくんじゃねーよくそ。鏡見てから発言を考えろこの長身顔面こわこわ野郎。 「いたっ、痛い……メイシューさん今日すごく殴ってくる……」 「うるせえ自業自得の八つ当たりだ俺に免じて許せ! つかさっさと行こうマジ寒くて震えてきたわ!」 「鳥肌、大丈夫ですか? メイシューさんが無理なら、ボクはええと、一人でも……いや、一人はちょっと、きつい、かもしれないです。メイシューさんが無理なら、ほかの方に依頼を流しますけど」 「え。そんなにやばいの? キーちゃんが一人じゃこなせない案件なの?」 「というか、一人で行きたくないだけです。危険があるようなものじゃない、と思います――たぶん」  すっげー小さな声でたぶんって付け足したなおい。  それにしてもキイロが自我をお出ししてくるとは、珍しいこともあるものだ。  うれしい、たのしい、かなしい、つらい、こわい、はらだたしい。これらの感情が、刈安キイロの中では希薄だ。  キイロはその体質のせいで、ほとんどまともに食事を取れない環境で生きてきた。  幽霊や人間や場所の『味』がダイレクトに口の中に侵入してくる。そんな環境では、生きることで精いっぱいで、感情なんてものに割くエネルギーはなかったのだろう。  だからキイロは基本的に恐れない。嫌がらない。怒らないし望まないし溺れない。感情がうっすいから。そのキイロが明確に『行きたくない』と言い切る場所が、今すぐそこにある。  うーん。行きたくねえな。シンプルに行きたくねえわ。だって俺の鳥肌まだ全然収まってねえし。  でもキイロの仕事の為だし、いつでも呼べよとかでかい口叩いて格好つけてそんで呼び出されてまんざらでもねーみたいな顔してたのは俺だし、今更引っ込みもつかない。  ま、いざとなったら全部投げ出して逃げればいい。俺と、キイロの命だけあればいい。そう思えばまあ、覚悟もなんとなく決まってくる。 「よーし、じゃあ、……行くかぁ」  行きたくねーな、という本心を無理やり飲み込み、冬になりかけている冷えた空気を肺に送り込むと、俺は決意を決めてキイロの冷たい手をぎゅっと握り、『ん、ぐっ』というキイロの悲鳴を聞いて少しだけテンションを持ち直した。

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