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かしこみかしこみまをすばつ:02

 コーポ角田C棟の二階の角部屋の住人は、驚くほど薄着の女子二人だった。  いや寒い。普通に寒い。冬だっつってんだろ、寒いだろその服は。耳のついたパーカーは許すけど、なんで素足にホットパンツなんだよ。パリピかよ。パリピってもう死語? わからんけどとにかく寒くて、かわいい~とか思う前に服を着ろと思ってしまう。  リアクションもほどほどに、さっさと部屋の中に滑り込ませていただいた。挨拶をするにも、まず外気から己の身体を守りたい。  部屋の中はそれなりに暖かく、独特の他人の家の匂いがする。  長じてくると友達の家に遊びに行くっつーこともなくなるわけで、俺が最近入りびたっているのは桑名の新居か、キイロの部屋くらいのものだ。  桑名の部屋は『整理整頓していると幽霊は寄り付かないっていうから』というネット知識丸飲みの結果、やたらときれいでやたらと換気がされている。キイロの部屋は言わずもがな、ほとんど家具らしい家具もないし生活の匂いすらしない。  久しぶりの人様の家。しかも女子。  テンション上げてドキドキイエーイとしたいのはやまやまだが、俺はまだ鳥肌ぶつぶつ立ったままだし、何より迎えてくれた女子たちがあまりにも年下すぎてなんかこう、かわいいねヒュウ~みたいな気持ちになれない。  もしかして十代じゃない? 大丈夫? 成人してる?  って心配になるくらい、二人の少女は目に見えて若い。  ウサギ耳のパーカーのちょっと地味な顔の子が『らむちゃん』。  黒猫のパーカーのちょっときつめの顔の子が『ミケちゃん』。  各々がそう名乗り、キイロが俺のことをアシスタントの巻さんです、と言ったあたりでようやく寒気と鳥肌がひと段落してきた。  ……部屋の中は大丈夫ってことなんだろうか。それとも俺が慣れただけなんだろうか。  わからないけれど、とりあえず室内に不審なところは見当たらない。  ごく普通の女子の部屋! って感じだ。  すげえ片付いてるわけでもないし、かといってゴミ屋敷ってわけでもない。まあ、生きてりゃこんな感じになるだろって程度の乱雑さ。その中に、二人分の食器とか、二人分のルームスリッパとか、二人分の化粧道具とか……あ、一緒に住んでんのね? ってわかる要素がちらちらと目に入る。  俺の同僚は男二人でラブラブ同棲中なわけですが、ま、いまは友達同士でルームシェアってのもそこまで珍しいことじゃないはずだ。 「この前、あの……キイロさんに、運んでもらったんです、けど。そのあとはちょっと、静かだったんです」  キイロが手渡した『差し入れ』の袋をどさっと部屋の隅に置いたらむちゃんは、おざなりに置いてあるクッション二つに俺たちを座らせ、ぽつりぽつりと震える声で喋りだす。  たどたどしい口調で紡がれる話を要約すると、どうも夜中の二時に『何か』が扉の外に現れる、という話だ。  よくある怪談。そう言ってしまえば簡単だが、実際に被害に遭う方としてはたまったもんじゃないだろう。  俺だって、家までやってくる系の奴はシンプルに怖いと思う。  家ってのは一番安心できる場所だ。ここに逃げ帰ってしまえばもう安全。大体の人間はそう思うことだろう。  だから、そこに浸食してくるものは、怖い。  付いてくる、家に出る、枕元に立つ。そういう怪談が一番怖いと思うのは、やっぱり『家は安全である』という前提が脅かされるからだと思う。  現に女子二人はどう見ても寝不足で、今にもぶっ倒れてしまいそうなほど顔色が悪かった。  今にも泣きだしそうならむちゃんを支えるミケちゃんも、時折ふらふらと頭が揺れている。二人とも、寄り添っているからどうにか自立しているって感じだ。  うーん。……なんか不憫になってきた。  俺は実家暮らしでしかも言っちゃなんだが裕福な方だ。要するに実家が太いってやつ。だから不便もなく、だらだらと割と好きなことをして生きている。  でもこの二人は頼れる人間が居ないんだろうな、と思う。そんでギリギリの生活をしているんだろう。  だから二人だけで支えあい、どうにか手を伸ばした。親族でも友人でも同僚でもなく、刈安キイロに向かって。……それってなんか、可哀そうだよなぁ、なんて偉そうに同情してしまう。だって頼る相手がキイロっていうのは、普通の人間なら『最終手段』なわけだ。  ちらっと見えたデスクの上のパソコン周辺機器は、思いのほか充実している。配信を生業にしている系の子なのかもしれない。それならやっぱり、生活も不安定だろう。  毎晩二時二十三分に、扉の前に何かが来る。  そしてそいつは、ガリガリガリガリ、と、扉を何かで擦る。コン、コン、と乾いた音のノックを繰り返す。  ガリガリガリガリ、コン、コン。ガリガリガリガリ、コン、コン。ガリガリガリガリ――。 「もう、こわくて、こわくて、いやで、こわくて……」  ぼろり、と隈の浮いた肌に涙が伝う。らむちゃんの涙を無言で拭いたミケちゃんは、ふと息を吐いてから彼女の手をぎゅっと握った。 「らむちゃん、ちょっと、向こうで顔洗ってこよ。落ち着いてさ。ほら、刈安さんも、来てくれたし……そうだ、お茶淹れようよ、ね?」 「……すいません、ちょっと、顔洗ってきますね」  ずず、と鼻をすすったらむちゃんは、パーカーの袖でほほをぬぐいながらそそくさと席を立った。支えるようにして、ミケちゃんも寄り添いカノジョの後を追いかける。  残された俺とキイロは、手持ち無沙汰になんとなく息を吐いた。 「はー……昼間に来て、ダメだったから、じゃあドンピシャ夜二時にやっちまうかぁーってなった、ってわけか」  前回は昼だった、という話だ。  なるほど確かに女子二人暮らしの場に、男一人で乗り込むのはなかなか勇気がいることだろう。そんで俺呼ばれたのかぁーまあでも怖い依頼人じゃなくてよかったわーなんて思っていたのだけれど。 「…………わからないんです」  ぼそり、と零れたキイロの言葉に、俺はただ無言で瞬きを繰り返す。廊下の向こう――風呂場あたりからは、びしゃびしゃと雑な水音が聞こえる。 「は? わからんって、何が? 二時に来るなんかの正体?」 「いえ、まあ、それもわからないと言えば、わからないんですけど……そもそも、ボクは大して目がいい方でもないですし、何かを感じ取れることも稀です。霊感、というものがあるかないかと訊かれたら無い方じゃないかなぁ、と思うくらい。だから、ドンピシャ、因果がわかったり正体がわかったりする、ということはほぼ無いんです。だから正体は――こう言ってはなんですけど、どうでもいい、んです」  キイロの仕事は、幽霊を運ぶことだ。というか、運ぶことしかできない。  だからそれが何なのか、わからなくて当然だ。因果も理由もわからない。それ故に何度も再発する(要するに幽霊が元の場所に戻ってきてしまう)ことも多々あるらしい。それを承知の上で、依頼人はキイロに依頼する。  とにかく今すぐここから消え去ってほしい。そういう人間が、キイロに幽霊運搬を依頼するわけだ。 「ボクが運んだ。暫くは来なかった。また出た。だから、依頼した。……一見普通というか、よくある再依頼なんですが。ええと、ボク、前回、運んでないんです」 「…………は?」 「霊が身体に入ってくると、わかります。わかるんです、ええと……ぐっと、胃が重くなる、から」 「いや、そりゃ俺も見ててわかっけど……おまえ、あからさまにオエッて感じになんじゃん」 「はぁ、はい、なります。なるから、わかるんです。味がしなくても、食べた瞬間のことはわかる。ボクは食べて運びます。でもボクは前回このお家で、食べてないんです。入ってこなかった。食べてない。だから、運んでないんです。……でも依頼人に、いきなり、『ボクは幽霊を食べるんですが』なんて言っても、意味わからないじゃないですか」  確かに、言われてみれば仰る通りだ。  キイロは幽霊を食って運搬する。けれど依頼人は『幽霊を運搬する霊能者』という認識しかないだろう。いちいち一から説明する必要もないし、幽霊が憑依する触媒が胃で~なんて言われてもうさん臭さが増すだけだ。  だから、とキイロは続ける。 「だから、うまく食べれなかったときは、一応うまくいかなかったことをお伝えして、料金は相談料のみいただく形で、お暇します。無料にしてしまうと、呼びつけるだけ呼びつける人も出てきてしまうので、そこは申し訳ないと思うんですが……ええと、それで――どれかが、ウソなのかな、と思って」  どれかが、ウソ。  二時に何かが来ること。  キイロが除霊をした後に何かが消えたこと。  そしてその何かが再度やってきたこと。  ……その、どれかが嘘ってことなのか?  さっきまで感じていた漠然とした『憐憫』が、急にざわりとした不気味な肌触りに変わる。  背中をざらざらしたもので撫でられたような、耳元で金属音がじっとりと鳴り響くような、居心地の悪い不気味さ。  キイロは相変わらずいつもと同じように、腹筋に力が入っていないような小声を零す。にわかにじっとりとした不安が漂い始めた室内で、こいつの声だけは、いつもと同じように少し乾いていて静かだ。 「……メイシューさんについてきていただいたのは、あのー、こんな深夜に女性の部屋に滞在するのはちょっと、と、思ったのと、もう一つ理由があって。あの、……この家、というか、彼女かな? なんだかすごくいろんな味がするんです」 「味。ってのは、オーラの味的な?」 「わかりません。場所の味なのかもしれないし、本当に深夜の二時に何かが来るというのなら、それの後味なのかもしれない。そもそもボクは生きているだけでいろんなものの味を勝手に拾ってしまうので、せめて少しでも正確に味がわかるように、と思って、メイシューさんにご同行いただいたんです」 「あー……おまえ、俺が一緒だとあれか……味覚がわりと正常になる、からか」 「はい。特に幽霊的なものの干渉はほぼうけなくなります。メイシューさんの体質でしょうかね……」 「そんな幽霊跳ね返せます! みてえなコトいままで生きてて経験ねーわよ? つかなんかやべえ案件じゃねえかよ! おま、そういう話は実際にこの部屋に入る前に言えよぉ!」 「え。あ、はい、そういえばお話しなきゃ、と思っていたんですけど、メイシューさんが寒そうなうえに手とかつないでしまったのでなんか仕事どころではなくなってしまって……」 「こんの色ボケ野郎! おまえわりと命かかってんだから恋よりてめえを優先しやがれ!」 「すいません……好きな人、とかできたの、生まれて初めてで、なんかもう全部よくわかんなくて……」  本気でしゅん、と肩を落とすキイロに俺はなんて声を掛けたらいいかわからず、ぐっと息を飲んで浮かせた腰を下ろしてしまう。  くそ。ずるいぞおまえほんとうに。初恋とかいっときゃいいと思ってないところが尚ずるい。  こいつの言葉には打算なんてもの一切ない、と知っているから俺はただ感情を言葉にする前に飲み込むしかなくなるのだ。  八つ当たりじみた罵倒を叩きつけたい気持ちをどうにか落ち着けたところで、マグカップを二つ持ったらむちゃんが部屋に帰ってきてしまった。  ……さっきまでは可哀そうだなぁと思っていたのに、今はその隈の浮いた顔も若干不気味に見えてしまう。先入観ってやつは容易に世界を変えちまうし、己の薄情さを実感してしまってよろしくないお気持ちだった。  無心。とりあえず無心になるように心がけよう。俺はただの付き添いだし、今の話だとキイロの横に存在しているだけで役目は果たしているはずだ。  なんか絶妙にぬるい甘すぎるココアを二口くらい飲んだ後、キイロはそれではボクたちはあちらに移動しますので、と腰を上げた。 「え、でも……まだ、時間は……」 「女性のお部屋に長居するのも、申し訳ないですから。ボクとメ……巻さん、は、廊下で時間まで待機します。クッションだけ、お借りしても大丈夫ですか?」 「ええと、はい、それは、大丈夫ですけど、でも」  ごねごねとデモデモを繰り替えずらむちゃんを置き去りに、キイロはさくっと部屋を出た。慌てて追いかけようとした――俺の、袖をぐいと引っ張ったのは、黒猫パーカーのきりっとした美人、ミケちゃんだ。 「あの。……一緒に居てくれないんですか? らむちゃん、怯えてるんですけど」 「え。あー……いや、俺とキイロがほら、見張ってるんで。二人はゆっくり寝ちゃっていいんじゃないっすかね」 「寝れないです。だから、一緒にいてほしいんです」 「いやぁー、俺はただの手伝いなんでー……」  なるべくそっと、彼女の指を振りほどく。ううう、女子こええなオイ。しかも必死になってる理由がマジでビビってるからなのか、それとも何か別の理由があるからなのかわかんなくて尚更怖い。  できるだけ事務的に、まるで霊能力者のアシスタントを気取ってさっさと部屋を出た俺を見て、キイロはなぜかぐっと眉間を寄せた。 「…………メイシューさん、ちょっと」 「え、なに。おま、マジな顔すっとこえーからやめ――」 「変な味がする」 「…………ふえ?」 「なんだろう、ええと、これ……ああ、でも、混じってる、かも。メイシューさん、何かを触りましたか? それとも、何かに触られましたか?」 「何かって――」  ぎゅ、と、俺の袖を引っ張る手。  彼女に、触られた。 「いや、でも、ちょっと掴まれただけだし……」 「…………とりあえず塩を振っておきましょう。ボクは一般的な除霊に関してはほとんど素人ですから、たいしたことはできません。具合が悪くなるようなことがあれば、すぐに言ってください。あと一時間で、深夜の二時です。それまで――」 「それまで?」 「……ええと、暇つぶし、何も考えてなかったな……しりとり、とかしますか?」  急に気の抜けた提案をしてくるものだから、張り詰めた空気が一気にぐだっとしなびてしまった。  なんだよ、心霊仕事中にしりとりって。つかしりとりなんかここ数年マジでやった記憶もねーよ。なんでだよ。他になんでもあるだろうがよスマホ持ってんだろお前だって、と思うものの、二人並んでスマホ眺めているよかマシかもなと思いなおす。 「しっかたねえなぁ付き合ってやんよ。どうせなら人名縛りにしようぜ。普通にやってもつまんねーっしょ」 「人名……」 「実在の人物フルネーム。漫画映画小説ゲームのキャラもフルネームなら可とする、よし行くぞ、紀貫之」 「…………き……き……木下杢太郎……」 「え、だれ」 「詩人、だったはず……医師でもあった方です」 「……キーちゃんもしかして頭いいの?」 「え。もしかして……もしかして? あ、いや、悪いです。悪いと思います。学校、ほとんど行けなかったし」 「唐突に不憫エピソード混ぜてくんな」  脛を小突くと痛い、と小声が返ってくる。いたって普通の会話が妙に浮いていて、じりじりと迫りくる二時が余計に恐ろしく思えてしまった。

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