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第2話 白梅亭の変

武士も所詮は人の子よ 飯も食べるし夜は寝る 特にいい事修行の合間 気分晴らしに尚したし 弟子として修行を始めた国十郎だったが、多忙の日々に鬱憤がたまるばかり そんな時、命の洗濯を決め込むだけの暇が出来たのだが…  弦一郎と他人でなくなった翌日から国十郎の道場での修行が始まった。  国十郎は剣は使えたが他の武芸には疎く、泳ぎは達者だが馬には一度も乗ったことがなく、読み書きは寺子屋に学んだ職人に毛の生えた程度しか出来なかった。つまり武士としての教養に欠けていた。紅月斎は国十郎に剣よりもむしろそういった教養を仕込むことに注力した。  国十郎は昼間は道場で剣術他武芸百般の稽古をして、それが終わればそういった教育を紅月斎と差し向かいで来る日も来る日も重ねた。四書五経の素読書写から始まり、天文学、数学、医学といった各種の学問、更に書画、和歌俳諧、囲碁、茶道、謡、音曲等、およそ武士に求められるあらゆる教養を紅月斎は国十郎に惜しみなく教え込んだ。  困ったのは国十郎で、道場での稽古だけでも楽ではないものを、夜にはこんな習い事が待っているのだ。衣食住付きでこれだけの事を仕込んでくれる紅月斎には感謝が尽きなかったが、余りに多くのことを一度に叩き込まれるのには閉口した。  そんな暮らしの中にあって、唯一休まるのは夜であった。今日教わったここが分からないから教えてくれなどと適当に理由を付け、弦一郎を離れの四畳半に呼び寄せては秘め事に耽るのだ。 「ううっ、国十郎、そこは駄目…」  後ろから国十郎に突き立てられ、弦一郎は甘い声を上げながら身をくねらせた。国十郎の方では女を買いに行く暇もないほど忙しい中、手っ取り早い相手として弦一郎に目を付けたに過ぎなかったのだが、弦一郎の方は違った。初めての相手として国十郎はあまりに刺激が強すぎたのだ。日毎国十郎と切磋琢磨して強くなり、夜毎国十郎に抱かれて淫らになっていく弦一郎を見るにつけ、国十郎は悪いことをしたかも知れないと少し後悔の念に駆られた。 「駄目ならここはなんだ?」  国十郎が意地悪を言いながら弦一郎の左の玉を握ると、弦一郎はほとんど悲鳴のような声を上げて身体を強張らせ、国十郎の肉棒を締め付けて興奮を煽った。 「お前が俺をこんなにしたんじゃないか…」 「嫌ならお前を捨てて小夜にしてもいいんだぞ」  そう言った瞬間、弦一郎は倒錯した感情に襲われ、射精しながら一層国十郎を締め付けた。「とんだ武士が居たもんだ!」  国十郎の方も興奮して我を忘れ、感情の赴くまま弦一郎を眼いっぱいに貪り、その乱暴さがまた余計に弦一郎を虜にした。 「頼むから小夜には…」 「うるさい。黙ってろ」  国十郎は肉棒を弦一郎の秘所から引き抜き、その肉棒で弦一郎の口を喉奥まで尽き込んだ。「そら、飲め!」  国十郎は源一郎の髷を掴み、激しく腰を使って喉奥に精をぶちまけた。開放された弦一郎は障子を開け、庭石めがけて激しく咳き込んだ。庭石は白く汚れた。 「頼む、小夜だけは…」 「馬鹿、いくらなんでも小夜さんに手を出せるか」  国十郎はそんな弦一郎を見て笑いながら枕元の酒を呷った。 「またやられた」  弦一郎も小恥ずかしそうにしながら盃に手を伸ばした。国十郎は毎晩この手の「趣向」を考えてきては弦一郎をからかうのだった。その度に弦一郎は後戻りの利かない快感に狂い、国十郎から離れられなくなっていくような気がした。  そうして半年の月日が過ぎた。国十郎は厳しい修行の甲斐あって武士としての一定の教養を身に着け、弦一郎と切磋琢磨する内に剣の方にも相当に磨きをかけ、紅月斎が不在のときには代稽古を付けるほどになっていた。武士としての教養の代わりに市井の諸事に通じた国十郎は町人の門弟から人気が高かった。 「国十郎様」  その代稽古を終えて道場から引き上げ、道着を着替えていた国十郎を小夜が呼び止めた。 「何です?」 「右の袖が破けています」  国十郎の脱いだ道着の右の袖口が、なるほど少し綻んでいた。 「ああ、こりゃあどうも。直しときます」 「武家の殿方が針を持つなんていけません。私がやります」 「小夜さんにやらせるわけには」 「いいえ、これは女の務めです」  小夜は半ば強引に国十郎の道着を取ると、裁縫箱を持ち出して縫い始めた。 「かたじけない」  国十郎は頭を下げた。初めて会った時の遺恨もあって最初は国十郎を遠ざけがちだった小夜も、近頃は国十郎の事を認めてか、こういった世話を焼いてくれるようになっていた。紅月斎はそんな二人を見て、息子が一人増えたようだと人に語って相変わらずにこにこ笑うばかりだった。 「国十郎様、父上は今夜はお殿様の所へ泊りがけの用があって帰ってまいりませんね」  国十郎の道着を縫いながら、小夜は国十郎に語りかけた。「兄上とどこかお出かけになるとか?」  紅月斎の教えが余りに厳しく、長いこと遊びに出る暇がなかった国十郎は、紅月斎の居ない間に弦一郎と命の洗濯を決め込むつもりであった。 「たまの休みですからな」  国十郎は適当にはぐらかして小夜の入れた茶を飲み、床の間の掛け軸に目をやった。李白の詩が書かれている。国十郎は近頃ようやくこういった字が読めるようになった。 「どちらにお出かけになるんですの?」  小夜は縫い物の手を止めて、じっと国十郎を見つめた。睨みつけたという方がいいかもしれない。 「はあ、観音様(注1)の方へ」 「まあ、お参りですか?私も連れて行って下さいませ」  小夜の一言に国十郎はどきりとした。あまり小夜は信心深い方ではないはずであった。 「いや、お参りというわけじゃあ…」 「じゃあどちらへ参りますの?」  小夜はそう言ったきりまた国十郎を睨むように見つめ始めた。国十郎はまぎれもなく小夜は紅月斎の娘だとこういう時に痛感するのだった。 「ちょっと寄席で馬鹿な話でもと思って…」 「まあ、寄席」  小夜がにわかに目を輝かせた 「弦一郎が行ってみたいってもんで」 「私、猿楽は見たことがありますけど落とし噺は見たことがありませんの。私も連れて行って下さいませ」 「小夜さんみたいなお嬢さんの観る物じゃありませんよ(注2)」 「あら、国十郎様や兄上が行くのはよくて、私が駄目だなんて」  小夜の言うことはもっともで、こうなると連れて行かずに収まりそうにはなかった。国十郎に出来るのは、せめて目立たないように町人風の装いをするように言い含めることだけであった。  結局三人は連れ立って寄席見物に行くことになった。武家に見えないように三人して浴衣を着込み、浅草花川戸の国十郎の行き着けという蕎麦屋で三人で夕食をして刀を預け、近くの「あたり屋」という茶店の二階にある「白梅亭」という寄席に入った。 「おや、武政の旦那」  木戸番をしていた肥えた中年男が不思議そうな顔をした。 「あたり屋、久しぶりだな」 「しばらく顔を見せないと思ったら、見違えるようじゃあないですか」 「俺も色々あったんだ」 「しかし、旦那も隅に置けませんな」  あたり屋と呼ばれた木戸番は、訳知り顔で小夜を見て、国十郎に耳打ちした「どこの大店のお嬢さんを引っ掛けたんです?」 「そういうのじゃねえ。それより相談だが…」  初めて間近に見る寄席に興味深げな二人を尻目に、国十郎は二束の通し百文(注3)をあたり屋に握らせてなにやら耳打ちした。 「はい、三名様ご案内!」  思いがけず倍の木戸銭を貰ったあたり屋は百文を懐に入れると、後は黙って三人を二階へと通した。  二階に行くとまだ始まる前というのに五十人程も既に客が入っていた。その殆どは男だ。国十郎は前へ行こうとする二人に「前へ行こうとするのは野暮」と適当な説明をして一番後ろに陣取った。国十郎の顔見知りも何人か居るらしく、客の何人かは挨拶をしていく。  そうこうする内に舞台袖から前座が出てきて一席始めた。弦一郎と小夜は雲井紅月斎の子供という地位から開放されたからだろうか、周りの客が訝しがるほど派手に笑った。そうこうしてもうすぐ暮れ四つ(注4)という所でトリの月見家雨月という噺家が高座に上がった。枯れ枝のような細長い身体を黒紋付きで包んだ老人である。 「ええ、今日は大層暑うございますな」  そう言って雨月は手拭いで額の汗を拭い、ぼそぼそと語り始めた。側の蝋燭の灯りだけが頼りの薄暗い寄席の空気も相まって、雨月の語る怪談噺は不気味であった。  さっきまでけらけらと笑っていた弦一郎と小夜は、雨月の噺を一転食い入るようにじっと聞いていた。そんな弦一郎へ国十郎は何やら耳打ちをしたが、それにさえ気付かないほど小夜は雨月の噺に聞き入っていた。  やがて雨月の噺に客に殺された遊女の幽霊が現れた。その瞬間高座の蝋燭が消え、太鼓がドロドロと鳴り、小夜の頬に何やら冷たいものが触れた。  思わず小夜は叫び声を上げたのを皮切りに、次々と客席から悲鳴が上がって暗闇の中で大騒ぎになった。実は闇に乗じて前座がコンニャクを客にひっつけて回ってるのだが、そんな事を小夜が知る由もなかった。  騒ぎに乗じて国十郎と弦一郎は素早く寄席から抜け出し、あたり屋が用意しておいた二人の履き物を履いて駆け出した。倍も木戸銭を払ったのは、小夜を置いて二人で逃げる算段を頼むための心付けであった。 「上手く行ったな」  国十郎は走りながら寄席よりも派手に笑った。 「けど、ちょっと小夜には悪いな」 「お前が言い出したんだろ。観音様の裏手(注5)に行きたいって」 「そりゃあそうだが…」  二人はその足で蕎麦屋に預けてあった刀を受け取り、浪人笠を借り受けて二人して吉原へ急いだ。「なあ、国十郎」 「何だ?」 「あの雨月という噺家の噺は怖かったな」 「そりゃあ、雨月といえば江戸切っての名人だからな」 「あの話の筋は何かの本で読んで知っていたが、ああも見事にやられるとな…」 「あそこの客は後で皆吉原に行くんだ(注6)。それを知っててあの噺をかけるあたり、さすがは雨月だ」 「いや、実はあの噺を聞いて気持ちが変わった」 「何?」 「女を抱く気になれん」  笠で表情はわからないが、弦一郎は恥ずかしそうにうつむいた。国十郎は呆れて言葉もなかった。 「武士の風上にも置けないやつだ」  とは言いながら、国十郎も今更一人で吉原に繰り込む気にもなれなかった。第一弦一郎の小遣いをあてにしての吉原行きであった。「仕方がない。女の居ない所へ付き合え」 「すまん」  国十郎は行き先を変えて、浅草の外れの怪しげな茶屋を訪れた。二朱を弦一郎に払わせると、店番の老婆は意味ありげに笑って二人を奥の六畳の座敷に通した。座敷には布団が敷かれていた。 「ここに来る女は女中くらいだ。安心しろ」  果たして小夜と同じような年頃の女中が運んできた簡単な料理と酒を、国十郎はそう言ってつまらなさそうに口に運んだ。 「ここは何だ?」  弦一郎の方はこの茶屋が何なのかよく分からないので不安そうだ。 「壁に耳有り」  国十郎は箸で壁を指した。弦一郎は促されるまま壁に耳を着けると、男女が交わっているあられもない声が聞こえてくる。どうやら声の主はどこかの店の後家と出入りの職人のようだった。  弦一郎は思わず聞き入った。股間が熱くなるのを感じ、素直に吉原に行けばよかったと後悔をした。 「隙有り」  いつの間にか裸になった国十郎はそんな弦一郎の浴衣を素早く捲り、褌の隙間から一気に弦一郎の中に押し入った。不意を突かれ、弦一郎は思わず声を上げた。「わかったか?ここはこういう事をするための宿だ」  お預けを食った国十郎は機嫌が少し悪く、収まりが付かなくなっていた。いつもより一層乱暴で激しかった。 「意地悪…」  壁に手を突いて弦一郎はされるがままに喘いだ。きっと声は隣の後家と職人にも聞こえているだろう。 「お前のわがままに振り回されたこっちの身にもなれ」  国十郎は浴衣と褌を弦一郎から剥ぎ取ると、帯で弦一郎の両腕を縛った。「これは仕置きだ。楽しませてもらうぞ」 「痛い!もっと優しく…」 「仕置きをされる立場で何を偉そうに」  国十郎は弦一郎の懇願を聞いて余計に激しく腰を使った。痛いと言いつつ、弦一郎がいつもより一層乱れているのは誰の目にも明らかだった。「おい、弦一郎、襖の隙間からさっきの女中が見ているぞ」  もはや国十郎の肉棒に狂って何も考える事のできない弦一郎と比べて、国十郎はそんな弦一郎を激しく貪りつつも冷静であった。連れ込み宿とはいえ、武家の男二人という取り合わせはなかなか無いのだろう。先程の女中が息を潜めて二人の秘め事を覗いているのを見逃さなかった。 「駄目だ。武士としてそんな…」 「こんなに締め付けながら気取ったことを言うな」  弦一郎にとっては屈辱だったろうが、弦一郎にとっては女中が覗き見しているというのはこれ以上無い「趣向」であった。弦一郎を抱き上げると、そのまま身体の向きを変えて座位に移行した。向いた先はもちろん襖である。 「そら。もっと良い声を出せ!」  国十郎は乱暴に弦一郎の肉棒を擦り上げた。国十郎のそれより少し小振りな弦一郎のそれはまるで鉄の芯が入っているかのように固く、別の生き物のように激しく脈打った。 「やめてくれ!おかしくなる!」 「お前はもうおかしい」  最後の仕上げとばかり国十郎が弦一郎を突き上げると、部屋中がちょっとした地震のように激しく揺れた。そして国十郎が精を弦一郎の中にぶちまけると、つられて弦一郎も精を吐き出し、襖を音を立てながら汚した。女中は二人の物凄い交わりに声もなかった。「女中、覗いてないでお前も混ざれ」  国十郎の一言に女中は口から心の臓が飛び出るほど驚き、思わず悲鳴を上げそうになりながらその場から逃げ出した。そしてその一言で弦一郎は硬さを失いかけた国十郎の肉棒を千切れそうなほどに締め付け、硬さを取り戻させた。 「国十郎、よせ…」 「お前の尻はもっとと言ってるぞ」  興奮した国十郎はそのまま自らの精でどろどろになった弦一郎の中で再び暴れ始めた。弦一郎はもはや武士としての尊厳を考えることを忘れ、本能の赴くまま東の空が白むまで狂い、乱れるのだった。 注釈 注1 観音様:江戸で観音様と言った場合、浅草寺を指す 注2 武士と興行芝居小屋や寄席は武士にとって悪所とされ、禁止令を出す藩も多く、表立って武士は出入りしなかった。逆に猿楽()は武士の芸能とされ、庶民の目に触れる機会が少なかった 注3: 通し百文 一文銭を96枚紐で束ねたもので、これで百文として扱われた。当時の寄席の木戸銭は32文が相場であった 注4:暮れ四つ 概ね午後十時頃。当時の時刻は日の長さが基準になっていたため、季節によって微妙に変わる 注5: 観音様の裏手 吉原のこと 注6:寄席と吉原 暮れ四つになると吉原の入り口である大門が閉じられる。この直前に登楼すると安く上がれることから、それまでの時間潰しの場所として吉原周辺の寄席は繁盛した。

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