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第3話 櫓
櫓太鼓も高らかに
新春告げる初場所よ
焼き餅焼くなら焦がすより
上手に焼いてきつね色
初場所の始まりに浮き立つ本所の町
そこへ国十郎の幼馴染の力士が修行から帰ってくる
年が明けると本所界隈はにわかに賑やかになる。街のあちこちに番付が出回り、回向院の境内に大きな小屋が掛けられ、呼出が太鼓を背負って部屋や贔屓筋に触れ太鼓を叩いて回る。今年も初場所が始まるのだ。
回向院裏にある八重洲部屋の稽古場はまだ空に星の見える早朝というのに、むせ返るような熱気で暑くさえ感じられた。
僅かに十三尺(注1)の狭い土俵の上で小山のような大男がぶつかり合い、あらん限りの力で押し合う様は、まさに正月を飾る華である。
だが、今日の稽古場は少しばかり様子が違った。大きな力士の影に隠れるようにして少しばかり子柄な一団が混じっている。国十郎の紹介で雲井道場の門弟衆が十人ばかり稽古に来ているのだ。
「そら、お侍もそんなもんか!」
門弟達は皆見事に鍛えられているが、それでも古株の力士が土俵の俵にかかとを掛けて踏ん張ればもう何をやっても動かない。適当にあしらわれて投げ捨てられてしまう。
「出稽古に行こうと言うからどこかと思ったが、まさか相撲部屋とは…」
ものの見事に投げ捨てられた弦一郎は思わず隣に居た国十郎に弱音を吐いた。
「相撲は投げられるほど強くなる。根気のないことを言うな」
そう言って国十郎は土俵に上がり、力士めがけてぶつかっていく。道場で学ぶということを知らずに育った国十郎の鍛錬は弦一郎には理解しがたいものが多々あった。以前には船頭や川底の砂利取りとして働いて鍛えたこともあると寝物語には聞いている。決して鍛錬を怠っているわけではない他の門弟と比べても群を抜いて鍛え上げられた、まるで仁王像のような国十郎の肉体は、弦一郎の想像の範疇を超えた方法で作られているのだ。
「どりゃあ!」
そうこうする内に国十郎はうまく力士の体勢を崩し、そのスキを突いて小手投げ(注2)を打った。二人の身体はもんどり打って稽古場の赤土に倒れ込んだ。僅かに国十郎のほうが先に落ちたようだった。
「武政の旦那。大したもんだが、わしの方が残ってた」
「そうらしいな。もう一番だ!」
二人は身体に付いた土を軽く払うと、もう一度土俵に戻ろうとした。
「武政の兄ぃ!」
その時、とんでもない大声とともに、稽古場の奥から白廻し(注3)を締めた力士が現れた。身の丈六尺半もある、ほとんど化物のような大男だ。
「櫓!久しぶりだな!立派になりやがって」
国十郎は感慨深そうな笑みを浮かべて大男の元へ駆け寄った。
「兄ぃこそ。今じゃ立派な道場で代稽古を付けてるって言うじゃないか」
櫓と呼ばれた力士と国十郎は旧知の仲らしく、抱き合って再会を喜んだ。
「皆、紹介するぞ。俺の兄弟分で櫓岩っていうんだ。上方で修行してたんだが(注4)今場所から江戸で幕内で取ることになったんだ」
「櫓岩と申します。どうぞご贔屓願います」
その凄まじい巨体の割に礼儀正しい櫓岩は、雲井道場の面々に深々と頭を下げた。どうやらこの櫓岩の紹介があったからこの稽古は実現したらしかった。
「雲井弦一郎だ。俺も国十郎とは兄弟分。関取とは”廻り兄弟”だな」
「それはそれは。どうぞよろしくお頼み申します」
その後道場の面々は力士達と食事を囲んだ。櫓岩と国十郎は積もる話が沢山あり、いつまでも話していた。櫓岩が本所の鳶の倅で、国十郎とは幼馴染であることを弦一郎はつまらない顔をしながら聞きつけた。
「よし、それじゃあ兄ぃと皆さんを今度の初日にお招きしましょう」
故郷に錦を飾ることができてご機嫌の櫓岩は、そう言って高価で入手困難な桟敷を一枡気前よく国十郎と仲間たちに贈ってくれた。門弟達は喜んでわっと声を上げたが、弦一郎は相変わらずつまらなそうに茶碗の中に視線を落として上げようともしなかった。
果たして数日後、招かれた道場の面々は回向院の境内の相撲茶屋に向かい、櫓岩が手配した桟敷に陣取った。七人枡に十人で入ったので狭かったが、国十郎の誘いに乗って部屋に稽古にいくほどの相撲好きの面々だけに、狭いのも厭わず相撲に熱中するのだった。
やがて出方が酒肴を運んでくると余計に一団はうるさくなった。国十郎などは隣の升の客と喧嘩になり、拳骨で殴り倒して上機嫌である。相撲場とは喧嘩をするための場所だと国十郎は他の門弟に説明した(注5)
やがて番数が取り進み、櫓岩が土俵に呼び上げられた。六尺四寸という途方もない巨体は力士の中に混じっても際立って大きく、客はそれだけでどよめいた。
相手は松車といって、小兵だが相撲巧者と名高い通好みの力士だ。明らかに歓声は櫓岩の方が大きい。
「櫓岩!」
国十郎達は皆酒の勢いもあって大声で櫓岩に歓声を送る。
「松車!」
しかし、弦一郎だけは違った。松車に声をかけたのだ。
「こら、櫓岩に声をかけろ!」
当然ながら国十郎は怒った。大事な幼馴染の晴れの大舞台である。そしてその幼馴染が招待してくれたからこそお大尽並みに桟敷で見物ができるのだ
「俺は松車が贔屓だ。嘘を付くのは武士のやることじゃない」
弦一郎はそう言ってどこ吹く風である。
「この、誰のおかげでこんな良い所で見れると思ってるんだ!」
国十郎は激高して弦一郎を殴りつけた。
「やったな!」
弦一郎がこれに応じて国十郎を殴り返したのが悪かった。門弟達は慌てて止めたのだが、喧嘩に目のない廻りの客が放っておかない。たちまち櫓岩贔屓と松車贔屓が入り乱れての大喧嘩が始まり、たちまち相撲場全体に広がって手の付けようのない有様になった。
ついには櫓岩と松車の取組は行われることなく、行司がもみくちゃにされながら土俵で入れ掛け(中止)の口上を述べて、続きは明日に持ち越しになってしまった。
「櫓、すまねえ」
部屋に居辛いので雲井道場へ身を寄せた櫓岩に、国十郎は手をついて謝った。久々に派手に喧嘩をしたため、着物はところどころ破れて血が付いていた。
「兄ぃ、よしてくれよ。お侍がそんなぺこぺこしちゃいけねえ」
一方櫓岩は身体も大きいが器も大きく、怒るどころか気に留めた様子もない。「喧嘩が起きるのは俺にも贔屓がいる証だ。松関には悪いけどな」
「国十郎、関取の言う通りだ。武士がそんな軽々しく頭を下げるな」
弦一郎は憮然として酒を煽るばかりだった。小夜は呆れて言葉もない風だったが、紅月斎はいつも通りにこにこ笑っている。
「兄ぃ、飲もうぜ。明日も相撲はあるんだから」
櫓岩はかえって申し訳なさそうにしながら国十郎に酒を勧めた。贔屓の旦那衆が贈ってくれたという灘の生一本が、今夜の国十郎にはえらく強くきいた。
結局櫓岩は付き人と一緒に道場に泊まり、翌朝こっそり部屋に帰る運びになった。国十郎は櫓岩としこたま酒を飲み、千鳥足で離れの部屋の布団に倒れ込み、そのまま眠りに落ちた。
夜もすっかり更けた頃、国十郎は下半身に違和感を感じて目を覚ました。布団が不自然に盛り上がって視界を塞いでいた。
「…弦一郎か」
国十郎が布団を剥がすと、果たして弦一郎が国十郎の褌を解き、肉棒を弄っているところであった。「武士らしくないぞ」
「うるさい。こんなにしておいて偉そうなことを言うな」
そう言って弦一郎は国十郎の肉棒を口に含んだ。相変わらず国十郎の肉棒は大層な業物であった。
「弦一郎、どうした?昨日からおかしいぞ」
弦一郎のあまり上手とは言えない口技を楽しみながら、国十郎は上体を起こした。
「お前はもっと利口な奴だと思ってたが、鈍いな」
弦一郎は肉棒を口から離し、国十郎を睨みつけた。闇の中でも弦一郎が怒っているのは明らかだった。「櫓岩とはいつからああいう仲ななんだ?」
「今となっては覚えてないな。とにかくガキの頃からだ」
国十郎は櫓岩と初めて会った時のこと思い出してみたが、いつの事なのかもわからなかった。本当の友というものはえてしてそういうものだと国十郎はぼんやり考えた。
「あんな化け物の何がいいんだ」
「化け物だと?」
国十郎は弦一郎を跳ね除けて起き上がり、枕元の刀を手に取って目にも止まらない速さで抜いた。「口に気を付けろ。いくらお前でも許さんぞ」
捨てた鞘が畳に落ちるより早く、国十郎は弦一郎の鼻先に刀を突きつけた。国十郎の目は道場破りに来た時の狂犬のようなそれに戻り、薄闇の中でも怒気を発して禍々しく輝いているようだった。しかし、弦一郎も臆した様子は全くない。
「俺をこんな風にしておいてなんだ。櫓、櫓といちゃついて。俺よりもあいつのほうがいいのか」
弦一郎は半分泣きそうな声で言った。国十郎は一瞬あっけにとられたように身じろぎすると、不意に笑いだした。「何がおかしい」
「これが笑わずいられるか。弦一郎、お前も案外粗忽だな」
笑いながら国十郎は捨てた鞘を拾い上げ、刀を収めて元に戻した。「俺と櫓が出来てると思ってたのか?」
「…違うのか?」
国十郎は一層笑いながら座り込み、両手を弦一郎の肩に置いた。
「お前は友と必ず寝るのか?」
弦一郎は勘違いに気付き、顔を真っ赤にした。闇の中でよく見えないのは幸いであった。
「すまん」
「男のやきもちは始末に負えんな」
弦一郎が申し訳なさそうにうつむいたところを、国十郎はすかさず押し倒した。「仕置きをしてやる」
国十郎は弦一郎の着物をたちまち剥ぎ取ると、弦一郎の唇を激しく貪りながら肉棒を弦一郎に押し込んだ。
「俺は上玉としか寝んのだ」
唇を離してそう言った瞬間、弦一郎は国十郎を締め付けながら激しく精を吐き出し、国十郎の身体を汚した。「俺の方が一枚上手だ」
国十郎は弦一郎の締め付けと、それ以上に弦一郎が妬いていたという事実に興奮し、激しく腰を使った。
「ああ、国十郎…」
弦一郎は固いままの肉棒を激しく脈打たせながら、自分から国十郎の唇にむしゃぶりついた。二人はそのまま上も下も激しく交わり続けた。
国十郎も弦一郎も今までで一番激しく燃えた夜だった。厠に行こうと床を抜け出した付き人が覗き見て、顔面蒼白になって櫓岩の元へ走ったのにも気付かなかった。
「関取、武政の旦那が雲井の旦那を首投げ(注6)してます」
どうにも寝付けず酒を飲んでいた櫓岩に、恐怖の表情も顕に付き人が報告に来た。
「兄ぃは二天様(注7)だよ。男も女もお構いなしだ」
「気持ち悪い。どうしてお侍ってのは男同士が好きなんですかね」
「江戸ってのはそういう街さ」
櫓岩は一升徳利に口をつけると、中の酒を一気に煽った。外には雪がちらついていたが、国十郎と弦一郎はそれにも気付かなかった。
注釈
注1土俵の広さ 現在の土俵は直径十五尺 だが、昭和六年以前は十三尺であった
注2:小手投げ 相手の腕を脇に抱え、絡め取って投げる技
注3:廻しの色 力士の稽古廻しは番付によって差が有り、最初は黒い木綿だが、関取になると白い繻子のものを締めることが許される
注4:力士の修行 現在言うところの大相撲の他にも大正時代まで大阪相撲があり、当時はその他にも各地に同様の相撲団体があった。力士達は各地の興行を修行のため、あるいは脱走して行き来した
注5:相撲場と喧嘩 当時の本場所は客の方も女人禁制で客席では小競り合いが絶えず、わざわざ喧嘩をするために通う客は実在した
注6:首投げ 相撲の決まり手の一つ。角界では性行為の隠語としても用いられる
注7:二天様 宮本武蔵のこと
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