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待ち人登場 1
身体を乱暴に壁に押し付けられ、壮吾は男の顔を見ないように無抵抗を装った。強盗目的の場合、犯人の顔を見るのは危険だ。
耳元ではあはあと荒い息遣いがする。次に男は、壮吾の足の間に身体を割り込ませ堅い股間を押し付けてきた。
――こいつ……強姦目的か? 俺が男だって気づいてないのか?
相手の反動を利用して、壮吾は両足で男の身体を挟みんだ。
一瞬男の腕の力が緩んだ隙に重心を下げ、足を拘束したまま男の身体ごと倒れ込む。その衝撃でフローリングの床が大きな音を立てた。
「うぐっ!」
男は右肩と側頭部をしたたかに打ち付ける。過去の苦い経験から、壮吾は護身術を身に着けていた。それでも、日々訓練を重ねているわけではないから、半端なく体力を持って行かれる。相手が大柄なら尚更、自身の肉体にもダメージが大きい。
「……誰だ、おまえ」
壮吾は息を整えつつ男に問いかけた。男の息も荒い。痛みを堪えているようだが、いつ反撃されるかわらない。壮吾は足が攣りそうになりながらも力を緩めなかった。
「春井先生、ぼ、僕ですよ、矢竹です」
「矢竹?」
進学塾の元同僚の名が矢竹だったと思い当たる。数学を担当していた男だ。
「あのっ、近くまで来たものでそれで、春井先生元気かなと思いましてっ」
「とても普通に訪ねて来たようには思えませんがね……矢竹先生」
矢竹は、壮吾が塾を辞める原因になった三人のうちの一人だった。
壮吾が二人の男子生徒の質問に熱心に答えていたら、贔屓だ、甘やかすなと文句を言ってきた人物だ。
壮吾自身、男子生徒達から好意を寄せられているのをうすうす感じていたから、矢竹の忠告を聞くつもりだった。しかし、その後生徒と矢竹が口論になり、生徒達は塾を辞めてしまった。
そのことが原因で保護者に責められ、壮吾は責任を取る形で辞職願を出したのだ。
「元気そうですね……春井先生」
「……この状態で言われて、はい元気で
すなんて言えると思うか?」
挨拶は押し入る前に言うのが筋というものだろう。
「あの、離してもらえませんか……」
「黙れ。じっとしてろ」
「くそ……」
しかし、壮吾の体力は限界に近づいていく。
――早く来てくれて、久須美
カツカツと二人分の革靴の音が外廊下に響いた。ドアが乱暴に開かれ、ようやく待ち人が顔を出す。
「春井くん、無事か!」
「は……なんとかな……」
刻の声を聴いて力が抜けた。
厳しい顔つきで玄関に立つ刻が、壮吾の無事を確認した途端安堵の表情を浮かべたように見えた。
「島ノ江!」
「はい、刻様!」
続けて長身の島ノ江が入ると、狭い玄関は満杯状態になった。
壮吾の身体に密着していた矢竹の身体が弾かれるように離れ、外の共用廊下に転がる。島ノ江はあっという間に矢竹を後ろ手に縛り上げた。
「春井様、お怪我はございませんか」
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