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刻の秘密 1
――さっきのは一体なんだ。
刻に疑問をぶつけたかったが、話を切り出せなかった。
声に出したら、あの黒い影が再び現れるような気がして、屋敷内へ入るまで口を結んで我慢した。
――久須美もなんも言わねえし……
刻は車に乗り込んでから前を見据えたままだ。車中は重苦しい空気だった。
久須美邸の応接間へ通されるのは久しぶりだった。
壮悟の1DKの部屋が五つくらい納まりそうな広さ。豪華なアンティーク家具で統一された室内。高い天井から吊るされた巨大なシャンデリア。(これが頭に落ちたら死ぬだろう)
かの悲劇の女王、マリーアントワネットがいたとしても違和感なく馴染みそうなインテリアだ。
壮吾は無意識に口をパックリ開けて首を上に向けた。そもそも、この屋敷へ来るのは刻と情事を交わすのが目的だったりする。
隅っこのゲスト用の寝室が主に壮吾が出入りする部屋だったから、改めて屋敷の中心部に足を踏み入れるのは新鮮だった。
「先週末取り寄せたばかりの茶葉があったな。それを頼む」
「かしこまりました、刻様」
壮吾はまだ上を向いていた。視界の端っこをメイド服が横切るのが見えた。
「春井くん、そうやってアホ面して突っ立っていないで、とっとと座りたまえ。お茶で喉を潤そう」
刻は、先ほどの大立ち回りなど忘れたように、くつろいだ様子で呑気に足を組み(無駄に長い)亜麻色の緩くカールした髪を指先で弄んでいる。
壮吾は上を向いていた首を元に戻した。口を開けていたから咥内が乾いてゴホゴホとむせた。
「ゴホ、なあ、ケホ……わかるように説明してくれよ。あの黒い影は一体何なんだ? まるで黒くてでっかい幽霊みたいな……」
壮吾は自分の言葉にはっとした。
そうだ、あの幽霊みたいなやつは、最初は風かと思ったら突然黒い巨大な影になって、刻と壮吾を乗せた車をもの凄い勢いで追ってきた。
「なんかさ、意志を持って俺達を狙ってるように見えたんだよな。やっぱ幽霊……?」
「そう思うのかい」
カチャカチャと控えめな音をたて、メイドの女の子がティーカップを乗せたワゴンを運んでくる。
「俺は過去に見たことなかったけど、あれは幽霊みたいだよ。しかも恐ろしい怨霊! でなきゃ妖怪とか」
ワゴンを受け取った島ノ江が、優雅な手つきで紅茶をカップに注いでいく。高い位置から茶色い液体を注ぐ様は、上品な水芸のようである。
「そうだよ! まさに真っ黒な一反木綿 だった!」
「いったん……? 待ちたまえ。なんだいそれは」
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