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誰よりも大切なひと 1

「お帰りなさいませ、刻様」  屋敷の重厚な扉が開かれ、島ノ江を先頭に、ずらりと並んだ使用人達が刻を出迎えた。長身の男の後ろには、若梅の顔も見える。 「ただいまみんな、今日もごくろうさま。もう持ち場に戻っていいよ」  皆、恭しく一礼し、それぞれの仕事に戻っていく。  刻は、島ノ江を見上げた。 「春井くんは」 「お部屋にいらっしゃるようでございます」  二階に向かって千代の気配を捜すが、すぐには感じ取ることができない。霊能力を持つ者が多く働いているこの家では、仕方がない事なのだが。 「僕の留守中に、特に不穏な動きはなかったようだな」 「はい」  安堵して、刻は背後に控える若い男にも言葉をかけた。 「千木良、お前もごくろうさま。今日は初めての勤めで疲れただろう、もう休んでいいよ」 「はい刻様。勿体無いお言葉ありがとうございます。失礼いたします」  千木良は一礼後、その場を立ち去る。    腕時計を身に着けない刻は、ホールに設置された巨大な振り子時計に視線を向けた。  ――九時半か……。意外と時間がかかってしまったな  だが、自分の屋敷に壮吾がいると思うだけで、少々気が急いてしまったのは否めない。  本当なら彼を連れ出したかったが、なるべくリスクは回避すべきだと思った。だから、壮吾のために島ノ江を置いていったのだ。  刻は、二階の壮吾の部屋へ向かおうとして、思い出したように振り返った。 「おまえ、体調は大丈夫か?」  背後に控える島ノ江に声をかける。長身の男は、目を見開き一瞬隙を見せた。おや、と刻が感じたその次にはすでに、元のポーカーフェイスに戻ってしまっていた。 「このところの気温差の影響を少々受けていたのかもしれません。ご心配おかけして申し訳ございません」  体調が悪いと、島ノ江本人から申告を受けていたわけではない。  今朝方島ノ江の様子が、どことなくいつもと違う気がした。うまく説明できない何かを確かに感じとったのだ。  見上げた顔はいつもと変わらないように見えて、どことなくよそよそしさを感じた。  刻は、軽い引っ掛かりを覚えたが、島ノ江は本心を表には決して出さない男だ。長い付き合いの中で、それは理解している。 「ゆっくり休んどけよ――って言っても、どうせおまえはそうしないんだろうけど、僕のためにも自愛しろよ」 「ありがとうございます、刻様。お気遣い、恭悦至極に存じます」  ピシっと折り目正しく、島ノ江は一礼する。 「はいはい。まったくおまえは……カタいんだよ、昔から」  本当にこの男は、初めて出逢ったころ――刻が八歳のときから変わらない。ずっとこんな堅苦しい態度なのだ。    刻が中学生になったとき、島ノ江のそんな頑なな態度を変えたくて、あらゆる悪戯を仕掛けたりしたものだ。  それでも、この男の態度は崩れなかった。  もしかしたら、自分以外の使用人には別の顔を見せているのかもしれないと、探ってみたりもした。しかし、皆口を揃えてこう言った。『島ノ江さんは常に礼儀正しく優しいです』と。  さすがに目下の者に敬語はないだろうが、乱暴な言葉や態度は皆無だ。だから、この屋敷で働く彼らにとって、島ノ江は一番信頼できる上司、先輩であり、憧れの対象なのだ。

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