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誰よりも大切なひと 2

 ――僕にとってもそうだ  島ノ江に対する刻の信頼は、親族よりも厚い。恐らく、実の親以上に。 「千木良はよくやってくれていたよ。申し分なかった」  島ノ江に上着を預けながら、報告がてら伝える。 「左様でございますか」 「あとで労ってやってくれ。おまえから言うのが一番いいだろう」 「承知しました」  久須美家の使用人達――若い千木良や、特に男性陣は島ノ江をリスペクトする者ばかりだ。だから皆、態度や思考まで島ノ江モードに育っている。  そんな堅苦しい態度は時代に合っていないようでいて、しかし、過去に出逢った女性達には評判がよかった。礼儀正しい執事を従えた刻に、秋波を送ってくる女性が多かったからだ。  けれど、壮吾への想いを自覚してからは、一転、女性たちの評判はどうでもよくなった。  ――優しくしたいのに、どうすればいいのかわからないなんて、春井くんが初めてだ  過去に交際してきた女性には思うまま気持ちを伝えてきたし、そうするべきだと思ってきた。  しかし、壮吾に対しては素直になれず、からかうような言動をしてしまう。まるっきり小学生男子だ。(さすがの刻も小学生時代はフェミニストではなかったから、不器用な愛情表現しかできない人間の気持ちは痛いほど理解できる)  どうすれば相手を満足させられるか、どう振る舞えば喜ばせることができるか。熟知しているつもりだ。  けれど、壮吾相手となると、手持ちの武器は役に立たなくなる。  本気の想いは、こうもままならないものなのだと、初めて知ったのだ。  呼び出せば付き合ってくれるから、嫌われてはいないと思う。刻の気持ちを壮吾は気づいていないだろうし、男友達が皆無の壮吾の、唯一の友人の座は守っている。  今回、壮吾の周囲が慌ただしくなった事は、刻にとっては好機だった。壮吾を邸宅に呼び寄せる理由になったからだ。  彼にとっては危険な状況だが、屋敷内なら安全だし、何かあればすぐに護れる。  逸る気持ちを隠し二階へ向かおうとして、視線を背中に感じた。刻が振り向くと、島ノ江が見守っていた。いつものありふれた光景のようで、何かが違う気がした。 「どうした?」  声をかけると、島ノ江の瞳が引き締まる。やっぱり、今日の島ノ江は変だ。 「いえ、何もございません」 「後は他の者に任せて、今夜は早く休めよ。これは命令だぞ」  少々大袈裟に言ってみる。それでも、この男はこの類の命令を聞いた試しがないのだが。 「はい」  深々と頭を垂れる島ノ江を一瞥し、刻は壮吾の部屋へ向かった。 ♢  ノックの後、返事がなかった。  まだ就寝には早い時間帯だ。急ぎの仕事でも入って没頭しているのだろうか。たとえ仕事中でも、刻の電話に素早く出る彼にしては珍しいなと思った。  ――千代さんの気配を感じない 「春井くん、入るよ」  ドアを開けると、キイと普段なら気にならない蝶番の音が響いた。室内が暗い。もう休んでいるのだろうか。  疲れたのかもしれないな、と、刻は口元に笑みを浮かべた。友人の家とはいえ、やはり自宅よりは気を遣うのだろう。  睡眠の邪魔はしたくない。が、一日の終わりに一目顔を見たいという思いもある。

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