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誰よりも大切なひと 3

 出かける前、壮吾から不意に『浄化のために抱いたのか』と問われ、好きだから抱いたのだと口をついて出そうになった。    うっかり素の表情が出てしまい、心配される始末だ。もし若梅がいなかったら、壮吾を抱きしめていたかもしれない。  刻は、暗い室内に足を踏み入れた。    廊下の灯りが眩しく感じて、静かにドアを閉める。暗闇の目が慣れてくると、窓から差し込む月明りで、室内の様子が浮かび上がってきた。  ――スタンドライトくらい点ければいいものを  遠慮しているのだろうか。  大雑把な性格のようでいて、その実、思慮深い壮吾のことだから容易に想像できる。ベッドに近づきながら、刻は室内の異変に気付いた。  家具以外の物がない。  注意深く目を凝らすと、ライティングデスクが閉じられていた。昼に刻が来た時には、デスクは開かれ、壮吾のノートパソコンが置いてあったはずだ。  ミニテーブルの上には何も置かれておらず、すっきりしている。そしてなにより、チェストの上に置いてあった、壮吾がいつも持ち歩いている鞄がない。  刻は室内の灯りを点けた。眩しさに眼がくらむが、かまわずベッドへ大股で近づいた。 「春井くん!」  天蓋付きのベッドの中身は空だった。きちんとベッドメイクがなされていた。中に手を差し込むと、ひんやりとしていた。ベッドから離れて時間が経っているということだ。 「春井くん……」  ――千代さんの気配を感じなかったのは、ここに居なかったからだ  刻は一旦部屋を出て、廊下を歩いた。  この屋敷は部屋数が多い。万が一、刻が部屋を間違えた可能性もある。  しかし、たった今出てきた部屋が、壮吾にあてがわれた部屋で間違いなかった。 「春井くん……なぜだ、どうして……」  茫然としてしまうが、刻はなんとか崩れ落ちてしまいそうになる足を踏ん張り、立ちつくした。そしてはっとして、腰高窓に近づいた。  ガラスの向こうに視線を向ける。  この屋敷をぐるりと取り囲むように、シールド状に結界を張りめぐらせている。結界のベースを刻が作り、それを二十四時間体制で、刻を含め家人達が交代で護り続けているのだ。  すべては壮吾のために、刻が命じたことだ。  この屋敷内にいれば壮吾の安全は保たれていた。なのに、結界の外へ出てしまったら……。言わずもがな、極めて危険な場所へ身を晒すことになる。 「落ち着け……僕が焦ってどうするんだ……」  壮吾が安全な場所に居ないという事実は、刻の冷静さや思考を奪うのに充分だった。もし、彼になにかあれば、刻は自分を許せないだろう。 「冷静になれ、考えろ……」  千代や霊達の力を借りて事件を解決に導いているが、自分は探偵だ。きっと、この部屋に手がかりが残っているはず。しかし、一刻の猶予もない。    刻は、深呼吸して目を閉じる。数秒で目を開け、動き出した。 ♢ 「島ノ江!」  刻が階段を降り声を張り上げると、控えの部屋から島ノ江が飛び出した。 「刻様、いかがなされましたか」 「春井くんが部屋にいない。召集をかけてくれ。彼を見かけた者がいないか聞いてくれ」 「……かしこまりました!」  足早に動く島ノ江と入れ違いに、若梅が刻の元に駆け寄る。 「刻様!」  刻の顔を見るなり、若梅の顔も蒼白になった。

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