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誰よりも大切なひと 6
『誰のこと? 彼はいつも一人じゃない。そもそも、春井くんに私以外の女友達はいないはずよ』
そこで、その黒髪の女性がこの世の者ではないと、ようやく気づいたのだ。
幽霊を人間だと勘違いするなんて、初めての事だった。それをきっかけに、刻はその霊体の女性と壮吾に、興味を持ったのだ。
当時の刻と壮吾の接点といえば、付き合っていた彼女を介して、遠目に会釈をする程度だった。
壮吾には、地味な印象しかなかった。
そもそも、刻は男を注視することなどなかったから、真っ黒な髪の細身の男という認識だけだった。
だからある時、彼女に伴われ壮吾を至近距離で見たときは驚いた。遠目の印象とはまったく違っていたからだ。
黒髪はカラスの濡れ羽色のごとく艶々で、風が吹けばサラサラとなびいた。
肌は、男とは思えぬほどきめ細かく、――刻の隣に並ぶ彼女よりも数倍美しいと思った。
一筆書きで描かれたような切れ長の一重目蓋は、キラキラと水分を含み潤んでいた。
特別美形ではないのに、見つめられると背中が粟立った。
――何者なんだ、この男
初めて間近で見た壮吾の印象はまさにそれだった。その時の雷に撃たれたような感覚は、忘れられない。
艶やかな髪に触れたい、肌に触れてみたい、その瞳に自分を映したい。その欲求が溢れそうだった。
この男は危険だ。と感じた。
交際中の女性が隣にいたにも拘わらず、刻の視線は壮吾に縫い留められていた。
実際、壮吾の友人である刻の恋人は何も感じでいないようだった。その後の調査でも、壮吾の女性達からの評判は皆、印象が薄かった。
男を惑わす魔性――、男にだけ有効な力。
壮吾は、「一部の男性に執着される」と思っているようだが、それは全ての男達が壮吾を間近で見ていないからだ。
壮吾は天涯孤独で、ひっそり生きてきたから、人目を忍ぶ行動が身に付いていた。だからその程度で済んでいる。
壮吾の魅力に気付いてしまった男達は、執着し、会いたくて苦しみ、ストーカー行為を働いてしまう。
その魔力は、刻にも効いているようだった。
壮吾を見かけると、彼だけ光輝いているように見えた。傍に行って話したくて、自分を見つめてほしくなった。
得意のポーカーフェイスのおかげで、彼には素っ気ない態度を貫くことは難なくできた。何度か彼が危険な状況のときに助けたこともあったし、彼の友人の恋人という縁で、一応友人になれた。
壮吾への想いは、彼の魔性の影響なのは明らかだった。
なのに、十年経った今も彼に対する想いは変わらない。寧ろ、ポーカーフェイスをこじらせひどいツンデレ状態だ。
まさか、刻に十年も想われていたなんて、壮吾は夢にも思わなかったはずだ。
でも、両想いだった。
――千代さんは口の硬い女性だな……
刻の知っている女性達の多くはどちらかといえば口が軽かった。刻相手だから話すのだろうが、余程強い意志を持たない限り、女性は親しくなるほど本心を打ち明けたくなるものらしい。
十年もこの世に留まり、壮吾を心配しているのだ。相手が刻なら、財力を使い切ってでも壮吾を護れるのに。
その意志の強さといい、孫に対する情愛といい。千代の真っすぐさ、背筋のぴんと伸びた姿に、尊敬の念を抱かずにはいられない。
曾祖父の刀禰 が強く惹かれたのもわかるような気がした。同時に千代のそんな性質が、壮吾に受け継がれているのだと感じる刻だった。
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