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真実 5
「昨日君と話したとき、築き上げてきたそれらが虚しく崩れていったよ。まったく、青天の霹靂とはこのことだ。――君が、気づかせてくれたんだ」
刻は自嘲気味に微笑み、握りしめた壮吾の手首を引き寄せ、自分の胸に当てた。
「春井くん、僕はやっと言える。よく聞いてくれ」
真っ直ぐ見つめてくる真剣な表情の男に、壮吾の全身が震えた。
「きっかけは君の目だったかもしれない。だが、そんなことは関係なく、僕は君が好きだ」
握られた壮吾の腕がぴくっと震えた。
「君を……愛している」
壮吾は限界まで目を開いた。
「なに……言ってんだよ、おまえが好きなのは若梅さんだろ」
「なぜここで若梅の名前が出てくる?」
「違うのかよ」
「酷い勘違いだね」
刻はふっと口許を歪めた。
「まあ、この十年間、僕は君に散々悪態をついてきたからな。信じられないのもしかたがないが……。まったく滑稽だ。長い間、君への執着はその魔性の目のせいにして、まともに向き合おうとしなかったんだからね。他人の心より自分の心がわからないなんて、呆れ返るよ」
刻は自分の胸に、トン、と拳を軽く当てた。
「君が消えた後、頭ではなくここでわかったんだ。君への好意はその目のせいだけじゃないと」
「久須美……本当に……? こんな処まで追っかけてきて、俺をからかってるんじゃ」
「まだ油断ならないこの状況で、そんな趣味の悪い冗談を言うものか。……僕だって気づいたばかりでまさに嵐の中だ。君が僕にとって大切な存在なんだと気づきもしなかった自分が、おかしくてしかたがないよ」
「じゃあ、本当に……」
「そうだよ。君も一緒に笑ってくれ」
「……笑わないよ。笑ったらばちが当たるだろ……」
壮吾は、傍らの男の顔を見る。初めて目にする刻の表情だった。笑顔なのに今にも泣きだしそうな顔だった。
人形のように整った美しい顔を、やけに人間臭く見せていた。
ずっと気合いでせき止めていた決壊が崩れ、壮吾の頬に温かな液体がつたう。涙で視界がぼやけて、亜麻色の髪の下で刻の耳のピアスがきらきらと煌めいた。
「気づけてよかったよ」
「久須美……」
愛しげに細めた眼差しに見つめられ、これは現実なんだと思えた。
壮吾は胸がいっぱいで、唇からため息が漏れた。刻の白く繊細な指先が伸びて、そっと壮吾の濡れた頬に触れる。刻の吐息が近づき、壮吾はごく自然に目を閉じた。
優しく、撫でるように口づけられた。
何度も身体を重ねているのに、キスを交わすのは初めてのことだった。すぐに解放された唇がさみしくて、求めるように刻を見つめる。
「境内の中じゃ、ここまでだ。僕は紳士だからね」
「でも……」
壮吾には時間がない。だからこそ欲が出る。
刻と離れても、生涯忘れられないようなキスの思い出が欲しかった。たとえ両想いだとわかっても、刻の将来のために、久須美家の邪魔をしないためにも、姿を消す決心は揺らいでいなかった。
――久須美も俺を想ってくれていたなんて、こっちのが青天の霹靂だ
でも、これを支えに生きていける。
壮吾が静かに感動する中、ザリ、と背後で砂利を踏みしめる音がした。はっとして振り向くと、島ノ江が折り目正しく立っていた。
「島ノ江さん……」
壮吾は慌てて涙を拭うと、刻から離れ立ち上がった。屋敷で島ノ江に告げられたことを思い出す。
『刻様から、離れてくださいませんか――』
壮吾は、見えない何かに急き立てられた。
「春井くん?」
刻に見上げられ、愛しさに胸が潰れそうになる。そのどこまでも綺麗な顔を見下ろして、壮吾はなるべく明るく聞こえるように言った。
「久須美、俺、おまえに会えてよかったよ。本当にありがとう」
刻の目に困惑の色が浮かぶ。
それを忘れまいと目に焼き付け、後ずさり、壮吾は境内の外へ向かって走り出した。
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