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二度と離さない 1

「春井くん! 待て! ここを出たら危険だ!」    刻の必死な声が聞こえるが、体力的に刻は追って来られないだろうし、万が一の時は島ノ江が刻を止めてくれるだろう。 「止まれ、春井くん!」    壮吾は身を切られる思いで刻の声を聞いた。過去に聞いたことのないほど、必死な声だった。    ――離れなくちゃいけない、あいつのために、俺は消えるんだ    鳥居をくぐり抜け、道路へ飛び出した時だった。    突然夜になったのかと錯覚するほど、目前が闇に覆われた。 「――ぅわっ」    巨大な黒い影だった。ザザザザーッと砂嵐のような音と共に、目前に立ちはだかり壮吾を見降ろした。 「な、なんだ、こいつ……まさか、あの晩の……?」  それは空に向かってぐんとゴムのように勢いよく伸びた後、壮吾に向かって真っすぐに降りかかった。凶器のような黒い塊を見て、不安と恐怖と、諦めに似た感情が壮吾の胸の内で渦を巻く。  この闇に飲み込まれたら、楽になれるのだろうか、切ない涙を流さずに済むのだろうか。壮吾の頭は、暗澹な思考に占拠されていた。  闇の中から数本の黒い手がぬっと伸び、壮吾の四肢を捕らえた。  次の瞬間。  目の眩むような光が、巨大な剣のように壮吾と対峙する黒い影の間に入り込んだ。 「春井くん!」  後ろから、壮吾を呼ぶ刻の声がした。  目の前が真っ白になった。  壮吾は光の中にいた。  眩しくて、真っ白で、何も見えない。  浮いているのか、地に足がついているのかさえわからない。ただ、そこに存在していた。  誰かが左肩に手を乗せている。  その白い腕の先に、黒髪をなびかせた美しい女性の顔が見えた。壮吾を見つめて、優しく微笑んでいる。    ――千代ちゃん…… 「春井くん! 戻って来い、春井くん! 春井くん!」    身体を揺さぶられ、引っ張られるように意識が覚醒する。千代の笑顔は消え、目前に泣きそうに歪んだ刻の顔が見えた。 「く、久須美……」    呟いた途端、猛烈な吐き気が込み上げ、ゴホゴホと咳き込んだ。 「大丈夫か、吐いてもいいぞ、すっきりする」 「う……」  吐かずに済んだが、ひとしきり咳き込むと、徐々に落ち着いてくる。刻が背中をさすってくれているからか、ひどく安心できた。 「もう、平気……」 「よかった。君が無事で本当によかった……本当に」  背中に腕を回され、きつく抱きしめられた。  壮吾は糸の切れた人形のように、刻に身体を預けた。もう、逃げる気力も体力も、一ミリも残っていなかった。  刻のやわらかい髪がふわりと頬に触れる。 「千代さんが、奴らをまとめて葬ったようだ。邪気の気配は一瞬で消えた。千代さんも、ここにはいない」  初めて目前で見た祖母の顔は、美しくて優しくて温かかった。 「千代さんは、君を守ったんだ」 「千代ちゃん……」  祖母には成仏してほしかったのに、消えたということは、あの黒い影もろとも消滅してしまったのだろうか。  けれど、光の中で見た祖母は、優しく微笑んでいた。あの時感じた例えようもない安心感はちゃんと身体が覚えている。  そして、否定的に追い詰められた壮吾の感情は、霧が晴れたように穏やかになっていた。けれど、島ノ江に言われたことを都合よく忘れたわけではなかった。  壮吾は、刻の胸にもたれたまま、疑問をそのまま口にした。 「久須美、俺……どうすりゃよかったんだよ。 だって、おまえの傍にいたら駄目だろ」

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