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二度と離さない 2

「まったく君は……まだそんなことを言ってるのか」    刻は静かに壮吾から離れると、控えていた島ノ江の前に立った。  ガツッと鈍い音の後、島ノ江の大きな身体が崩れた。   壮吾が涙で塞がる目を開けた時には、島ノ江は頬を押さえて尻もちをついていた。黒いスーツや、磨かれていたはずの革靴にも、土埃が付着している。 「春井くんをここまで追い詰めた自覚はあるか? 島ノ江」 「ですが私は、刻様と久須美家のために……」 「たとえ一族が認めなかったとしても、春井くんは曾爺様の孫だ。だがそれ以前に、僕にとって生涯かけて守りたい、かけがえのない大切な人だ……それを忘れるな」   しばらくの沈黙の後、頬を腫らせた島ノ江が口を開いた。歯は赤く染まり、中が切れたのがわかる。  しかし、妙なことにその口元は真横に伸び広がった。笑ったのだ。 「……なにを笑ってるんだ、島ノ江」  口腔を真っ赤にさせた人物が笑う様子は不気味で怖い。刻も主人のくせに使用人相手に怯んでるし、壮吾も同じく、恐怖のあまり思わず刻のスラックスの裾を摑んでいた。 「申し訳ございません! 刻様! 春井様!」  いきなり島ノ江が、風を切る勢いで頭を下げる。 「……は?」 「……勝手な行動で、お手を煩わせて申し訳ございません。春井様にも、大変ご迷惑をおかけしました」 「どういうことだ島ノ江、わかるように説明しろ」 「島ノ江さん……」  さっと顔を上げた島ノ江の表情は晴れやかで、主人に殴られて口の中を切った人物とは思えなかった。なんだか狐につままれた気分だった。    壮吾がよろめきながら立ち上がると、刻が腕を取って支えてくれる。   「私は刻様専属の執事です。この身は刻様に捧げたもの。私の行動はすべて刻様の指示で決まります。志向や思想も。……ですが、今回だけは、刻様がご自身の本当のお気持ちに気づいていらっしゃらない様子でございましたので、僭越ながら、私が行動に出た次第にございます」  「……え……」  壮吾は開いた口が塞がらなかった。刻も隣で微妙な表情をしている。 「島ノ江……おまえ……気づいていたのか、僕の気持ちに」 「はい。お二人とも長い間、両片想いをこじらせておいででしたので、非常にじれったく感じておりました」 「両片想い……」  島ノ江に感づかれている気がしたが、まさかそんな風に見られていたなんて、恥ずかしすぎる。壮吾は思わず顔を両手で覆った。  壮吾を支えている反対側の手で頭を抱えていた刻が、はっとしたように顔を上げた。 「若梅か」 「はい。……ですが、今回の私の企みを、あの子は知りません」 「そうか……」  ――え、なんで若梅さん?  深々と頭を垂れていた島ノ江が素早く動き、「春井様」と、壮吾に耳打ちした。 「浄化の件は、私の作り話ですので、どうかご安心ください」    後部座席に乗り込み、刻と並んで座った。  その間壮吾の手は、刻にしっかり握られたままだ。そうっと刻の様子を窺うと、過去に例がないほど不機嫌な表情だった。  久須美家の次期当主らしからぬ態度だが、運転席の島ノ江の、バックミラー越しの穏やかな眼差しに、自分はここにいてもいいのだと実感し、安堵する。    刻に握られた手を、自分からもきゅっと力を込め、壮吾は赤い目のまま俯いた。  

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