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第1章 お客様に夜の楽しみを提供するお仕事①

 「人生一周目」のアンドロイドにはありがちなことだが、はな六も御多分にもれず、生まれて初めて己の魂が搭載されたボディで生涯を全うするものだと思っていた。実際、アンドロイド流棋士にボディの交換経験者は少ない。  戦績上位者の中には、賞金を使って新しくより格好いいボディに買い換えをおこなう者もいるが、そんな贅沢が出来る者はごく僅かだ。何故ならアンドロイド流棋士のファイトマネーは安く、ボディの値段は高額だからだ。  はな六の場合、自分のボディの所有権が自分自身ではなくアンドロイド棋院ジャパン支部にある為に、引退するにあたってボディを棋院に返却しなければならなかった。だが、換えのボディを買うのに補助金が出る訳でもないから、自分のなけなしの預金で何とかしなければならない。  はな六の預金口座に貯まっていたのは、たった二百万円ほど。当面はこれをやりくりするしかない。ボディには大抵それぞれ固有の職能があるので、就職活動はボディを入手してから、自分の適性を考慮の上、始めなければならないだろう。潰しの利く職能を持ったボディが見つかりますように、と、はな六は願うばかりだった。  引退(クビ)からボディの返却日までには法律によって最大半年の猶予が設けられていたが、はな六はさっさと棋院との関係を絶って第二の人生を歩み始めたかったので、引退当日の丁度ひと月前までにボディを購入するという目標を立てた。  棋院の外のことをよく知らないはな六にとって、わざわざ街に出て実店舗を巡ってのボディ選びは、ハードルが高いように思われた。だからはな六は、VRショッピングモールを利用することにした。はな六の脳は直にインターネットに接続することが可能なので、モールにアクセスするには、ソファに楽に腰掛け、ただ念じるだけでいい。  VR空間に降り立つ。通路の左右には様々な店が軒を連ね、沢山のアバター達が往来していた。  はな六は言った。 「検索お願いします! ボディ、アンドロイド、格安、安心、百万円台」  掘り出し物、とも言おうかと思ったが、あまり検索ワードが多いと検索結果が0件になりそうだと思ったので、自重した。 『かしこまりました』  電子音声の後、風景がぐんにゃりと歪み、そして猛スピードで形を変えていった。  はな六は、先ほどとはうって変わって、シャッターを下ろしたテナントの目立つ、寂れた裏通りのモノクロームな景色の中に立っていた。店舗の検索結果はたった三件で、しかもヒットした商品の数は二十体にも満たなかった。  一番近くの二つの店舗から回った。だが、そこにはろくなボディがなかった。多くはリペア用の部品を取るためのものと思われる、破損の激しいものだった。使えそうなものといえば直立二足歩行タイプではないものばかり。しかも、ゲジゲジや芋虫など、おおよそ人扱いなどされなさそうなタイプのものが多い。一体だけ猫型の直立二足歩行タイプがあったが、今まで毛の無いクマともタヌキとも区別のつかないぽんぽこりんな形状のボディで過ごして来たので、そういったマスコット的な外見にはうんざりだった。  残るショップはたった一件。そこはシャッター通りの一番奥まった所に位置していた。 『ボディーショップ斎藤』  全国津々浦々に同名の店がありそうだ。しかも、横看板には屋号の他「鈑金(ばんきん)、車検、保険各種取扱」とあった。 「ごめんください」  暗い戸口をくぐると、中空にクラゲ型のアバターがふよふよ浮かんでいた。 『いらっしゃい、ゆっくり見てってくれ』  はな六は三歩下がって再びクラゲの前に立ってみた。 『いらっしゃい、ゆっくり見てってくれ』  案の定、お留守番モードだ。  店内を歩き回ってみると、やはりここは自動車関係の店のようだ。車体や工具、それとカタログやパンフレットの類いの、黒く塗り潰されたシルエットがあるばかり。シルエットになっているのは、それらがはな六が検索したものではないことを表している。  この店舗にあるのは一体だけのはずだが、それがどこにも見当たらない。ふと、はな六は二階へと続く階段に明かりが点いていることに気づいた。どうやら目当てのものは階上にあるらしい。しかし、近付いてみれば、その階段はどうにもプライベートな空間に繋がっているようにしか見えないのだった。 (本当に上がっちゃっていいのかな?)  不安を覚えつつも、はな六は軋む階段を一段一段昇っていった。  二階にはいくつかの部屋があるようだが、実際にはな六が入れるのは奥の部屋だけのようだ。小汚ない木製のドアを開けると、そこは六畳ほどの和室で、部屋の真ん中には布団が一組敷かれていた。布団には誰かが眠っている。 「失礼します」  声をかけたが、寝ている人物は目を覚まさなかった。それもそのはず、それは“生きた”人間でもアンドロイドでもなく、一体の“脱け殻(ボディ)”だった。 (これが、最後の一体……)  ただし、はな六の設定した予算の範囲内においては。  通常、ボディは専用のケースに入れられて保管されるもので、先ほどの二件で見てきたものも全てそうだったのに、なぜこの機体は人間みたいに布団に寝かされているのか? いぶかしがりつつも、はな六はその枕元へと近づいた。  それは若い人間の女のような顔をしていた。目を閉じていて、いい夢でも見ているような。はな六はその人形に興味を惹かれた。その美しい容姿が気に入ったというよりは、なぜだか、磁石と磁石がくっつくような引力を、魂に感じたのだ。 「これは何ですか?」  はな六が言うと、すぐさま目の前にウインドウが開かれ、文字列が表示された。 『Lecca-Lecca(レッカ・レッカ) 男性型セクサロイドです。中古品。破損あり』 「へぇ、これで男の子なのか」 「気に入ったかい? 遠慮せずにもっと近くで見てもいいぜ」  はな六はビクッと飛び上がった。いつの間にか、クラゲの店主がはな六の真後ろに浮かんでいた。 「あ……はい、それではお言葉に甘えさせていただきます」  はな六は身を乗り出してレッカ・レッカの顔を覗き込んだ。名前は洋風だが、顔付きはアジア人に近い。正面から見ると丸っこくてあどけない顔だが、横から見れば鼻がスッと高く彫りもやや深い。丸顔に高い鼻といえば、はな六もそういう形状なので、少し親近感が湧く。  アジア系にしては白すぎる肌は、頬の辺りが僅かに変色しており、細かい皹が入っていた。経年劣化によるものだろう。  布団の上に扇状に広がる髪は、根元が漆黒で、毛先に向かって徐々に色が黒から茶色に変わり、一番先端は金色というグラデーションがかかっている。ストレートヘアだが所々ぴんぴんと外跳ねしていた。 「あの」 「なんだい?」 「目を開いているところを、見てみたいです」 「あいよっ」  店主は二本の触手で、レッカ・レッカの片方の目の上まぶたと下まぶたをガッと引っ張った。 「うわっ……」  剥き出しになった眼球が、ちょっとグロテスク。虹彩は何の変哲もない、赤みの強い茶色だった。 「んー、そうじゃなくて、自然に目を開いているところが見たいんですけど。普通に両目をパチッと、起きてるみたいに」 「はぁ? そりゃあ無理だろ、普通に考えて。魂が入んなきゃ、目ぇ覚まさねえんだから」 「すみません」  はな六の愚かな質問に、店主は気を悪くしたのかと思いきや、明るい声で言った。 「まぁ、それは後のお楽しみだよ。それよか身体もみてやってくれ。触ってもいいぞ」  店主は触手をぬるぬると伸ばして、掛け布団をパッと剥いだ。布団はレッカ・レッカの鳩尾の下辺りで二つ折りになった。顕になった彼の身体は何も身につけていなかった。  顔だけ見ると幼い女の子のようだが、確かに体つきは男のものだった。年頃は十代後半から二十代前半といったところか。  はな六がよく知ってる、その世代の男子達といえば若手棋士の男の子達だが、レッカ・レッカは彼らよりもしっかりとした、骨太で筋肉質な身体をしていた。  レッカ・レッカの胸には厚みがある。はな六は彼の胸を軽く叩いてみた。はな六の二本しかない指で作った拳はぽいんと跳ね返えされた。  それから、布団の中からレッカ・レッカの左手を出してみた。まず、上腕を握って横にずらし、腕全体が現れる。今度は手首を掴んでゆっくりと持ち上げてみた。関節がぐにゃりとしていて、手首と指は重力に従い、くったりと垂れた。 「すごい、指が五本ある!」 「破損ありったって、そこまであからさまにぶっ壊れてないわな」  しかも指は柳の枝のようにしなやかに細く長く伸びている。この指に碁石を握らせてみたら、どんなに格好いいだろうか。  人間の棋士がよくやる、つまみ上げた碁石を人差し指の爪の上で一回転して中指で上から挟み、残りの指は優雅に開き、水鳥が水面に舞い降りるようにし、パチリと小気味良い音を鳴らして碁盤に打ち付ける動作。あれに憧れて、わざわざ人間型アンドロイドのボディに乗り換えたアンドロイド棋士がいた。はな六は自分がそうする日が来るなど、今まで考えたこともなかったが、いざ目の前にしてみると、この手が熱烈に欲しくなった。 (いけない、いけない、棋院との規約で、私はもう碁の世界には関われないのだった)  はな六は首を軽く横に振った。

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