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第1章 お客様に夜の楽しみを提供するお仕事⑥

「どうぞご査収ください」  はな六は、テーブルの向こうに座っている男にコピー用紙の束を差し出した。男はサイトウの古くからの友人で、“はな六に向いている仕事”の出張サービス店を経営している。男は紙束受け取ると、黙々と読み始めた。それははな六が整備工場(クリニック)で貰ってきたカルテの写しだった。このほんの数枚のA4コピー用紙の為に、はな六は八千円も払わなければならなかった。  はな六は、男が眉間に深い皺を寄せて黙々と書類を読んでいるのをいいことに、男の容姿をまじまじと見た。クマだ。いや、それ以上に、昔テレビで囲碁トーナメント中継の後にやっていた子供向け番組の、ゴミの塊から生まれたモンスターに似ていた。はな六はごくりと息を飲んだ。何故だかこの男から、目が離せない。 「げふん」  男は軽く咳払いをした。 「なるほど……わかりました」  あまり口を動かさない喋り方で言うと、何がわかったのかを説明もせず、男はのっそりと立ち上がった。クマともヒトともつかないずんぐりむっくりな巨体をゆさゆさ揺らしながら、深い緑色のカーテンに覆われた窓際まで歩いて行き、パソコンの前に座った。 「採用、したいです……たぶん。採用できるといいなぁ」  キーボードを指で叩きながら男は言った。 「はな六ちゃん良かったじゃん」  炬燵の、はな六の斜向かいに座っていた女が馴れ馴れしくはな六に肩をぶつけてくる一方、炬燵より少し離れた所に脚を投げ出して座っていたサイトウは、 「たぶんっちゃなんだよ、マサユキよぉ」  とヤジをとばした。 「この子の材質次第ってことです、まぁ。たぶん大丈夫だと思うんですけど。ローションやゴムでお肌が傷んだりとか、最悪溶けちゃったら嫌じゃないですか。あとは、トリセツでもあれば」 「取説は無ぇ。一昨年コイツを買った時に付いてなかったからあちこちのメーカーに問い合わせまくったらよ、どのメーカーにも製造記録がなくてな。おそらく誰かが趣味で造ったハンドメイド品だとよ」 「ほぉ。世の中には器用な人がいるもんですねぇ。あ、大丈夫そうです。さすが、さすが。セクサロイドですもんねー。よかった、こんなエチエチな子、採用しない手はないと思ってたので」  マサユキは書類ケースからこれまたA4のコピー用紙を二枚抜き取り、こちらにのそのそと戻ってきた。女がキャッキャと歓声を上げ、はな六に飛び付いた。 「良かったねぇ~はな六ちゃん。お祝いにユユちゃんがスペシャルハグしてあげる!」 「そういうの要らないから。鬱陶しいの嫌いだから!」  断るはな六の後頭部をユユはガッツリ掴むと、豊かな胸の谷間に顔を挟み込んだ。 「うらやまぁ~。いいなぁ、はな六ぅ」  サイトウはケケケと笑った。 「全然よくないっ!」  やっとのことでユユの巨乳から逃れたはな六に、マサユキが紙束を差し出した。はな六が持参したカルテの写しに、就労契約書に、そして“プロフィール”と題された一枚。 「就労契約書は太枠の中だけお願いします。プロフィールはわかるとこだけでいいので、ざっくりと埋めてみてね。身長体重はカルテに載ってるから見て書いて。あ、血液型は“不明”でいいです。年齢はそのまま二十歳ってことで」  マサユキは、はい、とはな六にボールペンを渡した。はな六はすぐに記入し始め、就労契約書の事項はすぐに埋めたが、プロフィールの用紙は最初の名前欄ですぐに躓いた。 「店長」 「なんでしょう」 「質問いいですか」 「どうぞ」 「本名の横にある、“源氏名”とは何ですか?」 「お店で働く時にだけ使う、ニックネームのようなものです。何か希望の源氏名ってあります?」 「んー」 「じゃあ“六花(りっか)”でいきましょう」 「えっ」  自分で考えていいのかと思いきや、勝手につけられた。 「花六(はなろく)とレッカをかけてみました。かわいいでしょう?」 「かわいい、かわいい!」 「いんじゃね?」  はな六が応えるよりも早く、ユユとサイトウが反応したので、はな六は慌てて言った。 「店長!」 「はい?」 「私……じゃなかった、おれ、女じゃないんですけど。男なんですけど」 「男の子なので、かわいい系よりカッコいい系の名前がいいということでしょうか? まあ、そうですねぇ、それがいいんですね、君としては。でも、君にはかわいい系の方が似合うと、僕は思いますよ。今の“はな六”ちゃんも……まぁ、お似合いですけども」 「でも、おれは男です」 「いやに拘りますね。もしかして、実は受けよりタチになりたい方ですか」 「んー?」  はな六が答えあぐねていると、サイトウが横槍を入れた。 「ねぇ! それはねえって。コイツの身体はバリバリの猫ちゃんだね。一昨年レッカ・レッカ(コイツ)を手に入れてからはな六(コイツ)に売るまで、幾度となくお世話になってきた俺が言うんだから間違いない。コイツはれっきとした猫ちゃん。オトコ専用だ。お前もヤッてみればわかる」  マサユキは腕を組み、鼻から息を吐いた。鼻が小さくぷひーと鳴った。 「ま、これが済んだらすぐにでも試させていただきますよ」  試すとは? はな六がまた質問をしようと口を開きかけたとき、ユユが言った。 「ねえ、はな六ちゃん。のど渇かない? お水なら飲めるんでしょ?」 「え、いや、お構いなく」  しかしユユは台所から彼女自身とサイトウとマサユキの分のドリンクといっしょに、はな六のためにミネラルウォーターのペットボトルを一本持って来てくれた。 「はい、どーぞ」 「どうもありがとう」  はな六が受けとるよりも速く、サイトウはペットボトルをひったくり蓋を開け、 「ほらよ」  と、はな六に差し出した。 「……どうも」 「あらーっ、サイトウさんったら過保護なんだねぇ」  ユユの言葉に、サイトウは首を横に振った。 「いんや。コイツが非力なだけだから」 「これで?」  ユユははな六の二の腕を指でツンツンとつついた。 「おう、これで。俺もはじめはわざと出来ねぇフリしてんのかと思ったぜ。甘えん坊でかわいーなーってよ。まさかマジでペットボトルの蓋も開けらんねぇとはな」  レッカ・レッカは精巧な人間型アンドロイドの一種だから、人間のやりそうなことなら何でも出来るはず、という話だったのだが、実はとても非力だった。  主治医によれば、はな六の手足は関節部分が傷んでおり、その部分を通る神経にも悪影響が及んでいるか、あるいは神経自体がダメになっている可能性もあるらしい。それら全てを治すとしたら、新品のボディを買うよりも高くつくという。それで、はな六はしばらく治療はせずに騙し騙しやっていくと決めた。そうでなくとも、ボディの購入とメンテナンス費用に収入のほとんどを注ぎ込まなければいけないのがアンドロイドの宿命だ。アンドロイドは生きる為に生きているといっても過言ではないのだ。 「こんだけ非力じゃあ、できる仕事なんか限られてんだよなぁ。事務職なんかだとまず、募集がねぇし」 「なるほどー、確かにそうするとウチみたいな夜職しか選択肢ないよねー。でも腕が弱かったら、やれる体位とか限られててちょっと残念かも」 「そーなんだよ。駅弁とかやってみたかったんだけどな」 「あらまっ、やっぱサイトウさん、やることやってたんだ、やだぁ~」  などと、書類を書いているはな六を跨いで、サイトウとユユはどうでもいい雑談に花を咲かせていた。 「それがさぁ、コイツ全然ヤらせてくんねぇの。ちょっと首を甘噛みしてやっただけで失神しちゃってな。整備工場(びょういん)送りになったの、まだ根に持ってんだよ」  言わせておけば、聞き捨てならないことを! 「違うよ! 首じゃないってば。サイトウは、おれの“お飾り”を強く握って擦ったんだ。それやられると頭痛くなるからやめろって言ったのに」  はな六がサイトウに言い返すと、 「お飾り? なにそれ」  とユユが訊くので、 「これ」  股間を指差してみせた。今はジーンズと下着に包まれているそれに、急に強い刺激を与えられたせいで、あの時はな六の脳はブラックアウトしたのだ。  はな六にとっては深刻なトラウマを植え付けられた出来事だったのに、ユユもサイトウも噴き出し、クスクスと笑い出した。 「“お飾り”って。可愛いけどぉ」 「確かに、お前のはそうかもしれねぇな」  はな六は眉間に深い皺を寄せ、ペンを置いた。書き上がった書類には、ミミズののたくった跡のようなふにゃふにゃな線が這い回っていた。これも手首の故障のせいだ。昔は字を書くのが得意だったのに。 「書き終わりました。これでいいですか?」  はな六は書類をマサユキに差し出した。マサユキはそれを受け取り、ふむ、と唸った。 「さっきさ、六花ちゃん。その、お飾りを握られると頭痛くなっちゃって気を喪うって言ってましたけど、今は大丈夫なの?」 「んー、多分。無茶をしなければ。主治医は、魂が新しいボディに馴染めばそういうことは起きなくなるって言っていました」 「ほぅ、そうですか。ま、どの程度なのかは実際してみればわかりますしねぇ……。とりまやってみましょうか、今から。僕もこの仕事長いですが、セクサロイドちゃんには初めてお目にかかりましたし、興味があるんですよねぇ」  マサユキは独特の喋り方で言った。 「ほんじゃ、俺ぁそろそろ帰ぇるわ。マサユキ、はな六をよろしく頼むな」  サイトウはおもむろに立ち上がった。 「え、サイトウ。帰っちゃうの?」 「なんだお前、俺様がいないと寂しいんか?」  サイトウのゴツゴツした大きな手がはな六の頬を包み、もちもちと揉んだ。 「んー、そんなんじゃないけど」 「ケケケ、やっぱやめとくっつーんなら今のうちだぜ」  はな六はぶんぶんと首を横に振った。 「大丈夫だよ。私……じゃなかった、おれ、ちゃんと働けます」 「捨て猫みちょうな顔してらァ。じゃあな、はな六」 「ん。バイバイ、サイトウ……」  玄関の方でドアが重そうな音を立てた。居間は水を打ったようにシンと静まりかえってしまった。顔を上げたらユユと目が合った。するとユユはなはな六の肩を平手でバシッと叩いて言った。 「心配しないで! 店長すごーく上手なんだから。いっぱいいっぱい気持ちよくしてくれるよ。ね、店長?」 「もちろんですとも。セックスの真の気持ちよさを知らずして、お客様に上質な夜の楽しみを提供することは、出来ませんからね」  マサユキは深く頷き、頼もしげにフンッと息を吐いた。

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