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第2章 はな六の独立宣言④
はな六はすとんとベッドから床に降り立ち、脱ぎ散らかした服をさっさと着込んでゆく。
「じゃあね。バイバイ、ジュンソ」
手を振り、にくまんの背中をひと撫でして寝室のドアの隙間に身体を滑り込ませた。シャワーは諦めるしかない。玄関の収納から自分のダッフルコートを出して羽織り、靴を爪先に引っ掛けて玄関を出る。ドアが自動ロックされたのを確認してからエレベーターに向かった。エレベーターの中で携帯端末を取り出し、店の運転手のナカヤマに今出るとメッセージを送る。
正面玄関から表通りに出ると、白いワゴンが目の前に停まった。ナカヤマの車だ。後席のスライドドアが開く。はな六はいそいそと乗り込んだ。
「すみません、遅くなりました!」
「お疲れ様です六花ちゃん」
ナカヤマは後席を振り向き深々と頭を下げた。はな六達がどんなに遅刻しても、ナカヤマは笑顔を崩さない。
はな六は先客の金髪の男の隣に座った。
「おい、はな六。お前いい加減にしろよ。多過ぎんだよ、遅刻が」
金髪の男、ムイは携帯ゲームから目を上げてはな六を睨んで言った。
「ごめん、客が中々放してくれなくて」
「言い訳はいい。てかそういうのはきちんと割り切れ。じゃないとタイムオーバーが当たり前だと思われて、お前だけじゃなくて俺らまで働きづらくなるだろ」
「うん」
「それと」
ムイははな六に肩を寄せ、声をひそめて言った。
「ウチみたいに男しかいねぇ店で車出してくれるなんて、珍しいんだ。だからあんまり遅刻ばっかりするんじゃない。車出すメリットよりもデメリットが上回るって判断されたら、廃止されちまうからな」
「うん」
「ウチは面子を女みたいな見た目の奴で揃えてるからさ、男でも夜道の一人歩きは無用心だってこういうシステムになってんだけど、他は違うんだ。だからてめぇの客の勝手ワガママのせいで、せっかくの福利厚生潰すような真似はよせ。分かったな」
「うん」
「店長が何も言わなくても、次やったら俺がシメるぞ、いいな」
「はぁい……」
ムイははな六の肩を拳で小突くと、またゲームに視線を落とした。ムイに小突かれたところをはな六は手で擦った。そんなに強く小突かれた訳ではないが、ちょうどジュンソの爪が食い込んだところに当たった。皮膚が破れているのだろう。昼にクリニックで買った応急手当キットを試すにはちょうどいいかもしれない。
はな六は携帯端末を取り出し、メモ帳アプリを起動した。ぽちぽちと文字を入力していると、ムイが首を伸ばして画面を覗きこんだ。
「こら、ひとの携帯覗くな!」
「何のゲームしてんのかと思ったら、案外マメな、お前」
はな六は客とのプレイ内容を記録しているのだ。話しながら思い出しつつ文章を書くのは難しい。はな六はちょっとイラッとしながら答えた。
「でも、皆だってムッちゃんだってやってるでしょ」
「まぁそりゃ普通にな。だけどお前、遅刻ばっかしてるし喋りもそんなんだから、ただボーッと仕事に来てるだけのバカかと思った」
「なにそれ酷い」
「ま、それくらいやらなきゃやってけねぇよな。にしてもお前さ、こういうのって紙の手帳に書いた方があとで見やすくね?」
「そうかな」
「俺はそう思う」
ムイは自分の荷物をごそごそと探り、一冊の分厚い手帳を取り出した。ページの間に沢山の付箋が挟まれている。
「画面をスクロールしたり検索するのが面倒なんだよ。自分で書いた手帳ならほら」
ムイはばっとページを開いて見せた。そこには細かい手書き文字が几帳面に並んでいる。
「大体目測で目当てのページが見つかる。一ページざっと全部を見渡せる。ついでに関係ないページも見て、そういえばもうじきこの客こっちに出張して来るシーズンだな、なんてわかるじゃん?」
「なるほど」
本当は言われなくてもそんな事は分かっている。だが、なにしろはな六は文字が上手く書けない。ペンを持つ指がどうしても震えてしまってミミズがのたくったような文字しか書けないのだ。
「でもさ、はな六ってアンドロイドだろ。何で外部端末に頼らなきゃこんなことも記憶出来ねぇの?」
「それは、おれが機械で出来た人間だからだよ。人間に出来ないことは、大抵おれにも出来ないんです」
「ふーん、そんなもんかよ」
「そんなもんだよ」
それきりムイははな六と話す気が失せたらしく、再びゲームに熱中し始めた。
はな六はプレイ内容の記録を再開した。文字を打ちながら考える。ジュンソにはまた来ると約束してしまったが、棋士時代の知り合いとこのまま会い続けるのはいかがなものか? と。店のキャストには、もしも客が身内や知人だった場合は接客を拒否する権利がある。
(けど、どうせジュンソのことだから、おれを“あのはな六”だって気付かないだろうし、おれとセックスしたことを人に喋ったりはしないだろうしなあ)
プレイをする前はかつての弟分とセックスすることに抵抗があったが、いざやってみるとまあまあやれた。
(まあいいか。あまり仕事を断って、マサユキにワガママなヤツだと思われたら嫌だし)
車はやがて街中の細長いマンションの前に留まった。以前にも何度か来た場所だ。
「六花ちゃん、次の仕事場に着きましたよ。いつものハラダさんです。六十分コース指名ありです」
「了解です」
はな六が荷物をまとめていると、
「いいよなぁ、アンドロイドは日に何度セックスしようが平気だもんな」
ムイが憎々しげに言った。そんなのは偏見だ。はな六の身体だってセックスを重ねれば傷がつく。だが言い返すのも面倒なので、
「おれこれで上がりだから。バイバイ、ムッちゃん」
と車を降りながら手を振った。閉まっていくドアの向こうでムイは顔も上げずに手を振り返した。すっかりドアが閉まってから、はな六はワゴンに背を向け、マンションの狭いエントランスまで歩いた。
帰宅して数十分後、はな六はレッカ・レッカ の馬鹿さを呪いながら、サイトウに後ろから犯されていた。
(まったく腹の立つヤツ!)
無理矢理犯してくるのもさることながら、はな六の私物にまでケチをつけてきたのが許せない。家に帰り着いた時、出掛けた時よりもはな六の荷物が一つ多いことにサイトウは目敏く気付いた。
「お前さん、それァ何でや」
「応急手当キットですけど」
はな六は新しいかかりつけのクリニックでそれを買ったことを説明した。するとサイトウは、やれ押し売りされたんじゃねえかだの、やれ高いキットで直すのと近所のクリニックで直してもらうのとどっちがコスパがいいかちゃんと計算したのかだの、うるさく口を出してきた。
「仮におれが騙されていたとして、そんなことはおれの自業自得なのであって、あなたには関係ないでしょう!?」
「あぁ!? 生意気言うないっ! テメェは俺様のもんなんだよ。俺様の目が黒いうちはテメェが他人から食い物にされるなんざ許さねぇ。おら、領収書出して見せろやこんにゃろっ」
と揉み合っているうちにいつの間にかこうなっている。お腹の中はサイトウの一物で擦り上げられる度にとろっとろに溶け、お飾りの先からは粘液が長い糸を引いて、布団の上に敷かれたバスタオルに染み込んでいった。
「はぅん……」
今日一番の濡れっぷり。ジュンソ相手の時は中々濡れずにローションを足さなければならない程だった。次の相手とは、馴染みの上客だからかしとどに濡れた。その余韻がまだ残っていたのかもしれないが、よりによって一番ムカつくサイトウにこんな風にされてしまうだなんて、情けなくて涙まで出てしまう。
「あー、糞あっちぃ」
秋の夜更け、むしろ寒いくらいなのにサイトウはTシャツを脱ぎ捨てた。そればかりかはな六の上着まで脱がしにかかる。
「わんわっ! やめてよっ、寒いってば!」
はな六は脱がされかけの上着に頭をすっぽり覆われながら抵抗した。するとサイトウが突然ピタリと動きを止めた。
「なっ、なに?」
「お前さん、こいつァどうした」
サイトウの指先がつつっとはな六の背をなぞる。なぞられた所がぴりりと傷んだ。ジュンソとのプレイ中に引っ掻かれて出来た傷だ。素直に言うと今度はこんな仕事辞めちまえ! とでも言われそうだなと思ってはな六は唇を引き結んだ。
はな六の中からサイトウの一物がずぽっと抜かれる。掴まれていた腰を不意に放され、強風で裏返った傘のような格好にされたまま、前のめりにびたんと倒れ臥した。苦労して上着を元に戻して起きてみれば、サイトウが勝手に応急手当キットを開封し、顎に手を当てて説明書を読んでいた。
「勝手にひとの物を開けるな!」
「ごちゃごちゃ言ってねぇでシャワー浴びてこォ」
サイトウは目を上げもせずに命令し、説明書のページを捲った。はな六はぶつくさ言いながらも大人しく風呂場に向かった。
寝室に戻ると、サイトウは布団周りにキットの中身を整然と並べて待ち構えていた。
「もしかして、今からやるのぉ?」
「おぅよ」
サイトウはケケケと笑った。時刻はとっくに午前0時を回っている。明日も朝から仕事だというのに……はな六の背中の引っ掻き傷がサイトウの修理屋魂に火を点けてしまったらしい。
(そんなに酷いことになってるのか?)
先程、洗面台の鏡に背中を映して見てみようとしたが、奮闘の甲斐なく見ることは叶わなかった。
「ほれ、早くうつ伏せになれや」
はな六は渋々布団の上に寝そべった。手を枕代わりに顎の下に入れようとしたが、サイトウに手首を掴まれて、身体の脇に沿うように下ろされた。
「さーてと」
サイトウの声は楽しそうに弾んでいた。帰宅したはな六が応急手当キットを提げているのを見た時は文句を言っていた癖に。
「サイトウ。こんな事してたら、明日の朝起きられなくなるよ」
「ケケケ、んなこたぁ分かってらぁ。ちょっと試しにやってみるだけさ。ほんで使えなかったら、朝イチでクリニックに苦情言ってやるかんな」
「はー、勘弁してよぉ」
背中をサイトウの熱い指先が這い回る。脚の間でお飾りがひくひくと反応した。やがて引っ掻き傷の間に何かを塗り込まれ、痛さに身動ぎすれば「動くな」と尻をひっぱたかれ、結局サイトウによるお手当ては、午前三時頃まで続いた。
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