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第2章 はな六の独立宣言⑦

 はな六は昼に起き出して、さっそくホームセンターまでカーテンを見に行った。様々な色と模様のカーテンが陳列されていたが、はな六の気に入った無地のクラシックブルーは生憎在庫切れだった。  仕方なく、後日出直すことにして帰宅してみると、ドアに大きな紙袋がかけてあった。 「んんんんん!」  はな六は恐怖におののいた。袋の中身は新品のピンク色のカーテンだったのだ。   「そんなことがありまして……」  はな六は早めに出勤し、マサユキに相談した。マサユキははな六の正面に正座し、腕を組んでふむふむと真剣な面持ちで話を聴いてくれた。 「そうですねぇ、十中八九、サイトウくんでしょう。夜中に六花ちゃんのお家の近くを流していた車の車種は分かりますかね?」 「おれ、車の種類ってよくわかんないんですけど、平たくて前の部分が長くて、全体にカクカクした感じの車です。色は暗くてわかりませんでした」 「なるほど。サイトウくんの愛車は古い型のグレーのセドリックです。ちょっと待ってくださいね。今、画像出しますから」  マサユキが携帯端末で検索して、画像を見せてくれた。確かに、はな六が見かけた車とも、サイトウの車とも、よく似ている。 「やっぱりサイトウだったのかぁ。一体何のつもりであんなことを」 「単に、六花ちゃんのことが心配なのでしょう。彼はそういう人です」 「んー」  単に心配なだけで夜中にひとの家の周辺をうろつく奴など、いるものだろうか? 「面倒見の良いところがサイトウくんの良いところですが、半面、相手の気持ちにはまるでお構い無しなのが、彼の欠点なんですよねぇ」  その時、マサユキの端末がぶるぶる震え始めた。ディスプレイには「サイトウくん」と表示されている。 「噂をすれば影ってやつですね」  マサユキは電話に出てサイトウと話し始めたが、少しすると通話を保留にしてはな六に端末機を差し出した。 「怖がらせるといけないのでずっと黙っていましたが、六花ちゃんが引っ越ししてから毎日、サイトウくんから六花ちゃんはどうしてる? って僕の方に電話があったのですよ」 「えっ」 「不安に思うでしょうが、今は出てあげてください。カーテンのお礼もちゃんと言った方がいいです。礼儀に関しては、サイトウくんは結構厳しいですから」  夜中に人の部屋を覗くような男から、礼儀について厳しくされても。不満だが、マサユキがそう言うのなら仕方がない。はな六はしぶしぶ電話を替わった。 「もしもし、サイトウ」 『おうはな六、元気か?』  サイトウは怒っているかと思いきや、いつもの調子で言った。 「えぇ、おかげさまで。今日はカーテンのプレゼント、どうもありがとうございました」  はな六はあくまで事務的に淡々と礼を述べたが、 『んなもん良いんだよォ。てぇしたもんじゃねぇからよ』  サイトウははな六が拍子抜けするほどに人情味のある言い方をする。はな六が突然家を出たことを怒ってはいないようだ。 『カーテンねェと(さみ)ぃだろうが。どうだ、ちったぁ暖まるようになったか?』 「えぇ、まぁ。無いよりはマシです……」  サイトウから貰ったものを自分の城に入れるのは嫌だったが、素直に使わないで相変わらずがらんとした窓辺では、サイトウがそれを見て怒鳴り込んで来かねないと思い、渋々カーテンを取り付けた。驚くべきは実用性以上に視覚効果だった。カーテンのピンク色により殺風景だった部屋がたちまち華やぎ、室温が二、三度上がったように感じられた。 (おれはもっとカッコいい配色がよかったんだけどなぁ)  はな六はジュンソの部屋の統一されたインテリアを思った。 『それとお前さん、寒がりな癖にお布団もまだ揃えてねぇんきゃ?』 「ややや結構ですっ! それくらい自分で買えますっ」  はな六はサイトウを遮って言ったが、サイトウがまだ言っていないのに“買ってくれる”のを前提にしてしかも断ったことをすぐに恥じた。恥じてつい、 「すみません……」  何も悪いことはしていないのについ謝ってしまった。 (ノビるところをマガッた気分)  ポンッと視界の中央にポップが現れる。久しぶりだ。“再生できません。”囲碁のことを連想しようとしたせいだ。 『まぁいいけどよぉ。そうだお前さん、俺様を着拒すんなや。心配で夜も寝られねぇよ』  はな六はむっと口を結んだ。サイトウに心配される謂れなんかない。家を出たとき、それまでボディーショップ斎藤で世話になったぶんの料金を、封筒に入れて茶の間の炬燵に置いてきたのだし。それをもってはな六はサイトウとは完全に縁が切れたはずだ。 「それは余計なお世話です。サイトウ、おれはあなたの玩具じゃない。私は誰の物でもない“はな六”です。私にしつこくつきまとうのはやめてください」 『あぁ? なんだとテメェはなろ……』  はな六は通話を切ってマサユキに端末を返した。 「あらら……」  マサユキは呆気に取られた風だ。 「これでいいんです」  マサユキに、礼儀知らずの恩知らずと思われてしまったかもしれない。だがけじめはつけなければならないと思ったのだ。  マサユキの端末はすぐにブンブンと鳴り出したが、マサユキは電話には出ず、端末をカーペットに置いてはな六の目を覗き込むように見、口を開いた。 「六花ちゃん。君が一人の大人として自立的な生活を営みたいのはよく分かります。ですが、サイトウくんはその……彼の一番の親友を自称する僕が言うのもなんですが……悪口みたいで、でも敢えて言いますと、彼、いわゆるストーカー気質なんですよね、うん」  ストーカー気質。はな六にもストーカーなるものが何なのかは解るし、はな六が内心言いたかったことはサイトウはストーカーだということだ。ストーカー“気質”とかいう曖昧な表現ではなくハッキリと“サイトウははな六のストーカーだ”と言いたかった。だがマサユキの前では遠慮して言わなかった。サイトウはマサユキの親友だからだ。 「サイトウくんはストーカー気質なので、彼への対応はストーカーへの対応と同一でいいと思うんですね。すなわち、サイトウくんを着拒するのは今すぐ止めましょうか、六花ちゃん」 「えっ?」  この人は一体何を言っているんだろう? サイトウからはな六を護ってくれるのではないのだろうか。これは仕事中に起きた危害ではなくプライベートのことだからだろうか。それとも彼ははな六よりも“親友”を優先しようとしているのだろうか。 「ややや、そうではないんです。そういう訳ではなくて、ストーカーへのごくごく一般的な対応を言っています。急に連絡を断つというのはストーカー対策としては悪手なのですよ……」  マサユキの口調は言い訳がましかった。はな六はマサユキの長口上をほとんど聞き流した。どうやら、はな六が着信拒否を解除すること以外の選択肢をマサユキは認めないようだ。  サイトウは本気で怒るととても恐いいが、怒らせなければ気のいい男だのなんだの。そんなことははな六だって知っている。  どうせサイトウに部屋に押し入られたところで、無理矢理セックスに持ち込もうとしてくるくらいで無害だのなんだの。セックスの強要は暴力ではないというならそうだろう。何しろはな六はただの人間ではなくセクサロイドだ。セックスをするために生まれてきたこのボディが、自発意思だろうが強要だろうがただのセックスをして……サイトウははな六の客達に比べてもかなりノーマルな嗜好の持ち主だ……何か問題があるだろうか? このボディ(レッカ・レッカ)が喜ぶくらいだ。 「夜、君と電話でお喋りするだけできっと彼はある程度満足するはずですから。彼だって毎晩まともに睡眠を取らずに“夜回り”を続けるなんて無理な訳で。このままだと彼も参ってしまうでしょうから」  やっぱり、とはな六は思った。マサユキははな六のことよりもサイトウのことこそを心配している。 「分かりました」  はな六はその場で電話の着信拒否を解除した。メールやメッセンジャーアプリはブロックしたままでも、一ヶ所だけ繋がりを残しておけば、サイトウもこれ以上ムキになって来ないとあれば。    深夜、帰りの車の中で、はな六はいつも以上に疲れを感じ、窓に頭をもたれて目を閉じていた。運転席からナカヤマが絶え間なく話しかけてくる。元気のないはな六を気遣ってのことだろう。はな六は悪いなと思いながらも適当にうん、うんと相槌を打つばかりだった。  四本の仕事をこなして、お腹の中が痛む以外は特に悪いことはなかった。むしろいいことがあった。客の一人がプレイに使った玩具を「もって帰っていいよ」とくれたのだ。  仕事でセックスをしたくらいでは、セクサロイドであるはな六の性欲は解消されず、帰宅してもしばらくの間悶々としてしまって眠れないので、玩具はよい入眠の手助けになってくれるだろう。太くて長さも十分にあって気持ちいいでこぼこがあって、欠点はといえば内部に仕込まれたモーターの音が少しうるさいことくらいか。室内で使えば隣人から苦情が来てしまうかもしれない。ならばユニットバスで換気扇を回しシャワーを浴びながら使おうか。

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