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第3章 はな六のふぜんなクリスマス⑨

 マサユキは、はな六の前に大判の封筒を差し出した。 「バイク便で送ろうかとも思ったんですけど、直に取りに来て貰った方がかえって早いかなぁ、と思いまして。差出人はハンさんという方です。ほら、土日に六花ちゃんを一晩貸し切りにした、お金持ちのお客さんですよ」 (ジュンソだ)  はな六は首を傾げて、ボール紙で出来た封筒の表裏を確かめた。 「どうしても、六花ちゃんのアドレスが知りたいと仰有るので、丁重にお断りしました。すると事務所宛に送るというので、僕個人所有の宅配ボックスに、送っていただきましたよ」 「これ、今ここで開けてもいい?」 「それはいいですけども、何が入っているか分からなくて危ないので、僕が開けてあげましょうか?」  はな六は首を横に振った。 「ううん、大丈夫。ジュ……いや、ハンさんはそんな悪い人じゃないよ。あ、でもこれ、どうやって開ければいいの?」 「あらら」  マサユキが貸してくれた鋏で封を切ろうとしたところ、はな六の脆弱過ぎる握力では上手くいかず、結局マサユキに開けて貰った。中には、眩いような赤と白に彩られた一枚のカードが入っていた。二つ折りのカードをそっと広げてみると、  ぽん! 「おわぁ!」  3Dホログラムの紙吹雪がパッと散り、目を瞬かせている間に、カードの表面からにょきにょきともみの木が生えてきた。そして木の枝にぽこぽこと弾けるように飾り玉やマスコットや電球が出現し、最後にツリーの天辺に銀色の星が輝くと、雪が降り、サンタクロースがトナカイのソリに乗ってやって来て、ツリーの下に流れるように滑り降りた。  ソリのもとに、一匹のクマともタヌキともつかないぽんぽこりんな見た目の青い生き物が、転がるようにしてかけてきた。サンタクロースはその小動物に、プレゼントを手渡した。小動物がプレゼントの箱を抱えて嬉しそうにぴょんぴょん跳ねると、 『Merry Christmas! Hanaroku!!』  と、筆記体の文字列が中空に現れた。 「あらら、これはずいぶん手の込んだカードですねぇ。もはやアートの域だ、これは。へぇぇぇぇぇ」  マサユキは顎を擦り、細い目を可能な限り見開いて、ホログラムを眺めた。そんなマサユキに気付かれないように、はな六はこっそり目尻を指で拭った。  カードの上では、小さくてぽんぽこりんな“あのはな六”が小躍りを続けている。プレゼントを持った手を、極限まで伸ばして、左右に振りながら、ぴょんぴょんと足を交互に雪に着いて、跳ねている。“あのはな六”には表情というものがなかったので、感情を表現するときにはこの最長150cmまで伸びる、伸縮自在の腕を使っていたものだった。腕を長く伸ばし、ブンブンと振り回して、嬉しいときも、悲しいときも、怒ったときも……。 (あ、なんだかいま、とっても嫌なこと、思い出しそうになった)  はな六はスンと鼻をすすった。  それにしてもジュンソがこの、嬉しかったときの“あのはな六”の癖をちゃんと覚えてくれていて、しかもこんなに可愛らしく表現してくれるとは。はな六は思いがけずに胸を打たれてしまった。  五分ほどでホログラムはシュッと消えた。はな六はカードを封筒に戻した。 「これはこれは、ハンさんにお礼のメッセージを送った方が良さそうです」 「こっちからメッセージを送るなんて出来るの!?」 「えぇ、出来ますよ。実は、お店のサイトでは会員登録してくれているお客さんとお店の子達とが、ダイレクトメールでやり取り出来るようになっているのです。ですが、安全上の問題から、普段は僕が皆の代わりに返信しているのですよ」 「へぇー」 「ですが、この件みたいに、お客さんから心のこもったプレゼントをいただいたときなんかは、自分でお礼のメッセージを送りたいものでしょう?」 「うん、おれ、自分でメッセージ書きたい!」 「では、一緒にメッセージを考えて送りましょう。さ、あちらのパソコンにどうぞ」  はな六とマサユキは、隣の部屋の窓際に置かれたパソコンの前に移動した。はな六がパソコンの正面に正座し、はな六を抱えるように、マサユキがその背後に座った。マサユキがマウスを動かすと、画面が明るくなった。マサユキはすいすいとマウスを動かして、ブラウザにお店のサイトを表示させた。そして店のキャスト専用ページに入り、“六花のダイレクトメール”を開いた。 『ハン:六花、先日は楽しい一夜をありがとう。店長さんのアドレスに、六花宛のクリスマスカードを贈りました。喜んでもらえたら嬉しいな』 「このメッセージに返信をしましょう。えっと、キーボードで打つのは難しいですかね?」 「うん」  マサユキははな六の頭にヘッドセットを装着した。 「今、音声入力モードに切り替えましたよ」 「ありがとう。じゃあ喋ってもいい?」  マサユキが頷いたので、はな六は話し始めた。 「えっと、ハンさんへ。素敵なクリスマスカードを……」  不意に背中に電流のようなものが走った。背中に感じるマサユキの体温、耳元にかかる息遣い、肩に載せられた掌の感触……。ズボンの中でお飾りがピンと反応した。頭がくらくらして、身体が勝手に傾いでいく。 「ぁ……」 「おっとと、すみません! 無断で近付き過ぎてしまいました。あらー!?」  はな六はカーペットの上に倒れそうになったが、すんでのところでマサユキが抱え起こしてくれた。 「大丈夫ですか?」 「んー、えっと、えとえと……」  心配そうに見下ろされて、はな六の身体は、マサユキの腕の中でカチンコチンに硬直した。ボッと火が点いたように身体が熱くなる。 「どこか具合が悪いのですか?」 「んぅー、そうじゃなくて、し、し、し……」  とその時、炬燵の上でマサユキの携帯端末がブンブンと震えた。そしてほどなく、はな六の端末まで震え始めた。 「はて、誰でしょ? ちょっと失礼しますよ」  マサユキはゆっくりとはな六を座布団の上に下ろし、丸々とした身体をゆすりながら、炬燵へと歩いていった。はな六もトカゲのように腹這いで、マサユキの後を追う。床に擦れたせいでズボンの中のお飾りが爆発しそうになって、はな六はぐっと息を詰めた。  這ったままの姿勢で手を伸ばし、テーブルの上から端末を取り上げると、サイトウからメールが届いていた。開かなくても何と書かれているか想像がつく。 「わはは、サイトウ君からでした。六花ちゃんに手を出すな、ですって」 (やっぱり……)  サイトウの言うことなどに従う義理など普段はないのだが、今日に限っては、クリスマスプレゼントを貰ったぶんだけ、言うことを聞かなければならないような気がしてしまう。 「いやぁ、サイトウ君、すっかり六花ちゃんにお熱ですねぇ。彼が誰かに熱烈に恋しているなんて、もう二十年ぶりくらいではないでしょうか」  はな六は心臓にズキズキとした痛みを感じた。 (そんな話、マサユキの口から聞きたくない) 「最初、六花ちゃんがここに連れて来られたとき、サイトウ君がそこまで六花ちゃんを好きだなんて、全然気付かなかったんですよ。僕としたことが、大変な」 「失敗をしたって言うの? おれとセックスしたことが……」  はな六はむくりと起き上がり、マサユキに向き直った。 「失敗だって?」 「えぇと……」  マサユキは狼狽え、後頭部をボリボリと掻いた。 「その、サイトウ君は僕の三十年来の親友なので、彼の最愛の人に手を出してしまったのは……」  はな六はふぅ、とため息を吐いた。 「ごめん、もうその話は終わりにしよ。さて、ダイレクトメールの続き、書かなきゃ。そしたらおれ、すぐ帰るね」  はな六はよつん這いでパソコンの前に戻ると、ヘッドセットを頭に着け直して、パソコンに向かって話し始めた。  帰り際、はな六は用意していたプレゼントをマサユキに渡した。ふかふかの綿入れ袢纏だ。マサユキからは、正方形の薄い紙袋を貰った。はな六は礼を言ってそれをポケットに仕舞い、事務所を出た。  電車の中で、マサユキからのプレゼントを開けてみた。それは赤と緑のチェック模様の、手触りのよさそうなハンドタオルだった。おそらく、店の子達全員に同じものを渡しているのだろう。 (おれからのプレゼント、重すぎたなぁ……)  はな六は後悔ひとしおで、項垂れた。  終点のワコーシティで降りると、駅構内に妙な男がうろついていた。 「いくら? ねぇいくら?」  男は駅舎を出ようとする若い女の行く手を遮っては、声をかけている。そして男は、いつものよたよた歩きで歩いていたはな六の目の前にも立ちはだかった。 「いくら?」  はな六は足を止め、自分よりも少し背の低い男を、上から下まで見た。嫌らしい顔つきでニタニタと笑っている。「いくら?」とは勿論、いくらで身体を売ってくれるか、ということだ。はな六のお飾りが、下着の中でもぞりと蠢いた。マサユキをすぐ側に感じて高まり、不発に終わった欲の燻りがパッと再燃した。 (あ、頭がくらくらする……)  店を通さない売りは厳禁だが、はな六の理性は今や風前の灯だ。 「あ、あの……お金とか……」  すると男は顔を歪め舌打ちをした。 「なんだよ、男かよ」  そして男はさっさとはな六から離れていくと、また女の行く手を遮っては「いくら?」と声をかけるのを繰り返した。  ロータリーに出るとそこにはサイトウが待ち構えていた。しかもサイトウはいつも通り、表着(うわぎ)には薄いウインドブレーカーを羽織っているだけで、その下に着ている薄手の黒い服は、おそらく半袖だろう。そんな格好で、サイトウははな六の帰る時間も知らない癖に待っていた。 「ケケケ、案外真面目に帰ぇって来たな」  はな六は無言でサイトウの横を通り過ぎようとしたが、サイトウはあっさりとはな六を捕まえ、肩に腕を回してはな六に凭れかかって来た。 「……っ!」 「あ? どうしたはな六?」 「サイトウ……こっち来て、早く!」  はな六はサイトウの腕を両手に抱え込んだ。よろよろと力の入らない足で懸命に歩いていると、サイトウははな六の目指す所を察し、はな六を抱いて走り出した。公衆トイレに駆け込み、二人で多目的室に雪崩れ込む。 「おい大丈夫か? 気分が悪ぃのか?」  はな六はぶんぶんと首を振り、サイトウの首にしがみついた。鼻先にサイトウの体臭を感じた途端、完全に抑制が効かなくなった。 「んぁっ、やだ……出ちゃ……」  はな六はぎゅっとサイトウに掴まり、びくん、びくんと背中を丸めた。 「うっそ、マジかよ。はな六テメェ……」  はな六は喘ぎながらぎゅっと目を閉じた。下着の中に、熱いぬめりが撒き散らかされ、それは脚を伝ってズボンの内側を流れていく間に、ひんやりと冷えていった。

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