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第4章 サイトウと稲荷大明神様②

「つまり、おれたちにはそのうち、子供がいるようになるってこと?」 「ケケケ、そのうちな」  サイトウははな六の腹をすりすりと撫で擦り、そしてぎゅっと抱きしめた。 「パートナーを作ると、信用が上がるんだよ。俺みちょうな前科者でも、人間やアンドロイドの赤ん坊を引き取るための抽選に参加出来るようになんのさ」 「へぇ。知らなかった」 「おめぇはガキが欲しいか?」 「んー」  そんなことを急に問われても。子供が要るか要らないかなんて、これまでの人生で考えたことは一度もない。はな六の知っている子供といえば囲碁教室の生徒と猫の赤ちゃんだが、どちらも面倒を見るのは大変だった。どちらかといえば子供なんかあまり欲しくないかもしれない。 「まぁ、まずは夫婦になることだ。ガキのことは、追々考えればいいだんべ」 「んー」  確かに、一度にいくつもの決め事をするのは良くないかもしれない。はな六はペンを持ち、まず書類の、サイトウの氏名の書いてある隣の欄に、名前を書こうとした。はな六の場合、姓は無いので名だけだ。 「あ」  はな六は書き始めようとしていた手を止めた。 「サイトウ、おれの字、すごく汚いけど、大丈夫かなぁ?」  両手とも不具合があり指先に力が入らないから、ミミズののたくったような文字しか書けないのだ。 「ねぇ、もしよければ、一月の、手の治療をした後にしない? そうすればおれ、ちゃんとした字を書けるようになると思うよ」 「ケケケ。読めりゃあ字なんかどーだっていいんだよ。それともなんだ、急に不安になっちまったか? あれだ、マリッジブルーってやつ」 「そんなの知らないよ。それにしても、サイトウはどうしてそんなに慌てているの?」 「そりゃあ俺たちの記念すべき日を、俺様の誕生日、一月一日元旦にしたいからだよ」 「へぇ、サイトウの誕生日って、一月一日なんだぁ。あ、ほんとだ。ここに書いてある」  はな六は、自分を背後からから抱きしめている、この男、二年かけてはな六のこの身体を攻略し尽くしたというサイトウに関して、まだ知らないことばかりだ。はな六は書類にまた視線を落とした。 「サイトウって、本籍地はワコーシティーじゃないんだねぇ。イセサキシティー、グンマ?」 「おぉ。実家出てからも変えずに放置しててな。ついでに本籍もここに変更すっかな。俺もマサユキの野郎もおんなじ、イセサキの出身だ。風ばっかり吹いて何もねぇ所だったが、囲碁教室はあった」 「ふーん。囲碁教室、楽しかった?」 「ぜーんぜん。つまんねぇから毎週、マサユキの野郎を巻き込んで、いかにサボるか考えてたぜ。まぁ、昔のことはいいからオメェ、サクサクっと書いちまえや」 「んー、昔の話、もっと聴きたかったのに」 「そんなつまんねえ話でよければ、毎晩寝物語にしてやらぁ」  サイトウは、振り返ったはな六の頬にチュッと口付けた。  プロポーズを受けたのははな六自身ではなくこのボディ(レッカ・レッカ)なのだが、かといって今更翻意すれば洒落にならない程の揉め事になるのは、サイトウの嬉しそうな様子を見れば明らかなので、はな六は渋々黙って従うことにした。どうせはな六には他にやるべきことも何もない。書類を出してもいつもの日常が続くだけなら何てことはない。  はな六は書類の記入欄を拙い字でせっせと埋めていった。 (それに、おれがサイトウのもとにいれば、マサユキは安心だっていうんだ)  ツンと、鼻の奥が痛んだ。いつもならマサユキのことを思うとお飾りが暴れ出しそうになるのに、なぜか今は、鼻の奥のツンとした痛みがじわっと目の方へと抜け、潤んだ膜となって目の表面にくまなく広がっていく。 「サイトウ」  はな六が振り返りサイトウを見ると、サイトウは片眉を上げて、一歩ぶん後ろにさがって言った。 「どうした?」  はな六が首を横に振ると、サイトウははな六の肩を掴んで真っ直ぐ向き合うように促した。はな六は座り直し、サイトウに向かい合った。するとサイトウははな六の頬を両手で包み込み、もちもちと揉んだ。 「へへっ」 「何するんだよぉ」  はな六の抗議などお構い無しにサイトウははな六の頬をこねくりまわす。 「おめぇは本当に可愛いなぁ。なにしろ、可愛がられるためにおめぇは生まれてきたんだ。そんで、世界で一番おめぇを上手に可愛がれるのは、この俺様だ。だろ? はな六」 「うん」 「その俺様が一生可愛いがってやるんだからよ。いいだろう、なぁ? だから泣くんじゃねぇ」  サイトウに抱き寄せられ、はな六はサイトウの胸の中に倒れ込んだ。 「だが嬉し泣きなら大歓迎」  ケケケ、と、いつものカエル笑いも、腕の中で、振動としてサイトウの熱い体温と共に直に伝わってくるとやけに心地いい。はな六はサイトウの胸に顔を押し付けた。  サイトウいわく、大晦日は毎年「マサユキのところのガキどもが、俺様の誕生日祝いにかこつけて、マサユキお手製のご馳走を食う日」なのだという。それで大晦日、はな六はサイトウに伴われてマサユキの事務所を訪れた。  テーブルにはマサユキが手作りしたという大きなバースデーケーキやご馳走がずらりと並んだ。皆で飲んだり食べたりして騒いで年を越し、そして翌日ぞろぞろとシンジュクステーションの向こうまで行って、ハナゾノシュラインへ初詣に行く。それに加えて今回は、区役所へ行ってパートナーシップ宣誓書を提出する、というのがサイトウプランだった。 「てな訳で俺達は明日、俺様の誕生日の一月一日元日をもってパートナーシップを締結することになりました。拍手!!」  しん、と水を打ったように座が静まりかえった。はな六の仕事仲間達はポカンと口を開けていた。マサユキはいつものどろんとした目付きのまま、いつも通り分厚い唇をへの字に閉じていた。サイトウが両手の指先をクイクイ動かすと、一同はやっと、思い出したかのようにパラパラと拍手をした。 「お、おめでとーう! おめでとう、サイトウさんとはな六ちゃん、良かったねー?」  ユユは無理矢理感のありありと出たハイテンションで祝福した。 「サンキュー!」 「ありがと……」  はな六はもっと普通に喜ばれると思っていたので、皆の様子を見て途端に不安になった。自分たちは何か、間違ったことをしているだろうか? と。 「いやぁ、良かったですねぇ。サイトウ君、六花ちゃん」  マサユキが言うと、ムイが細い目を丸く見開いて「え!?」とすっとんきょうな声を上げたが、小さく咳払いしたのち、「うんまぁ、いんじゃね?」と咳払いよりも小さな声で言った。 「三十年来の親友として、僕はとっても嬉しいですよ。サイトウ君に素敵なパートナーができて。六花(りっか)ちゃん、サイトウ君をよろしくね」 「うん」  また鼻の奥が痛んで、はな六はスンと鼻をすすり上げた。  皆でサイトウの為に歌をうたった。サイトウはケーキの上の、「4」と「1」をかたどった二本の蝋燭の火を、ふうっと吹き消した。 「ねぇ、サイトウさん。どうせだからサイトウさんとはな六ちゃんで、ケーキ入刀やってよ、ドラマみたいに!」  ユユがそうせがむと皆が拍手をしたので、はな六とサイトウは二人で一本の包丁を握り、ケーキを半分に切り分けた。あとはマサユキがすいすいと人数分に切り分けていった。  はい、と、はな六とサイトウの前にケーキの載った紙皿が差し出された。皆に囃されながら、はな六はケーキをひと口ぶんスプーンですくい、サイトウに食べさせた。仲間達の歓声が響き、カメラのフラッシュがパシパシと光る。 「ほら、オメェも食え」  サイトウはスプーンでホイップクリームの塊をすくって、はな六の唇に近づけた。 「えー。おれ、人間の食べ物は食べられないよ」 「今日ぐれぇいいだろ。クリームだけだから、ちょっと舐めてすぐに漱いじゃえ」  そう言われて、はな六はしぶしぶ口を開けた。舌の上にふわふわしたクリームがぽってりと落とされた。甘い、と顔をしかめたとき、はな六の顎をサイトウの手が掴んだ。 「んぅ!」  サイトウの長い舌が、はな六の口の中からの、クリームの塊を掠め取っていった。 「んあー!」  フラッシュのまばゆい輝きに、はな六はぎゅっと目をつぶった。ちゅっちゅっとサイトウの口がはな六の舌を吸う。はな六は目をつぶったままサイトウのTシャツを掴んだ。サイトウの両手がはな六の背中に周り、はな六を抱き締めた。  悪ふざけの口付けのはずが、次第に本気のものになっていく。口付けながら、サイトウがどんどん押してくるので、はな六は膝立ちのまま海老反りになった。限界まで反らされたところで、サイトウの圧力がふっと緩んだので、はな六は姿勢を戻しながらサイトウを両手で押し返した。 「もー、何するんだよ人前でっ!」  どっと笑いが起こる。サイトウもゲラゲラ笑っている。 「オメェもマジだったろうがよ」  サイトウは笑い続けながらはな六を抱き締めた。サイトウの肩越しに、ふとマサユキと目が合った。マサユキは顔を曇らせて、すぐに目を逸らせた。サイトウのせいでピンとなっていたお飾りが萎え、鼻奥がツンと痛んだ。そんなことには気付かないサイトウの手が、はな六の背中をトントンと叩いていた。

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