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第5章 ジュンソには言いたいことがある③
ジュンソと外泊デートをする前夜、はな六はムイの部屋に泊めてもらった。本来ならマサユキの事務所に泊まるべきところ、またお飾りが暴走したら厄介だと思い、マサユキの部屋から一番近いところに住んでいるムイを拝み倒したのだ。
六畳ほどのワンルームは本であふれ、ベッドのヘッドボードにまで沢山の本が並ぶ。分厚い六法全書がちょうど、布団に潜り込んでいるはな六の頭上を占めている。大きな地震があれば顔面めがけて落ちて来そうだ。
ムイも寒がりであるらしく、掛け布団の下にふかふかの毛布が二枚も重ねてあるし、マットレスを覆うシーツもふかふかだ。それでも冷えるので、はな六は太腿の間に両手を挟み込み、足先をもじもじと擦り合わせていたが、
「ひとのベッドで“ご不善”をするな」
ムイが冷水をぶっかけるように言い放った。白に近い金色の濡髪の先に雫が滴り、蛍光灯の光を受け輝いている。一糸纏わぬ格好ではな六を見下ろす、その白い身体の臍の下の肉はぽよよんと柔らかそうで、普通の男ならごわごわと毛に覆われている股間はつるりとした無毛、色の薄い性器が無防備に垂れ下がっている。
「してないよ。ただ手が冷たいから温めてただけ」
はな六は起き出して、ムイの腹の肉をつまんだ。
「うわっ、マジ冷てぇ!」
身を捩るムイの腰に飛びついてベッドに引き込む。
ムイははな六に一夜の宿を提供する交換条件としてセックスを要求してきた。店のナンバーワンである六花の性技に興味があるのだとか。ムイは自分はネコ専門だからはな六がタチをやれと言った。はな六だってネコで相手に挿入することはできないが、Mっ気の強い客を攻めるのなら得意分野。唇と舌、そして最近治療した右手を器用に使い、ムイの身体を攻めていく。最後は舌で口内を愛撫しながら、指で腹の中を撹拌して射精させた。いつも憎まれ口ばかりきくムイの唇から切なさげな喘ぎが漏れるのは聴いていて気分がよく、お飾りさえ役に立てばタチに転向してもいいかも、などとはな六は考えた。
「お前が見た目だけの野郎じゃないのはよく解った。結構すげーじゃん」
「ふんっ、それほどでもありますよ」
はな六はマットレスの上に伸ばした、見た目だけは立派な上腕二頭筋を左手でポンポンと叩いて示した。
「ムカつく」
ムイは額に貼り付いた前髪を鬱陶しそうにかき上げ、大人しくはな六の腕に頭を乗せ、くるりと背を向けた。ムイの白い肩に、ふかふかの毛布二枚と掛け布団をかけてやる。自分のお飾りは全然構ってやれなかったのに、不思議と満足感がある。はな六はムイの金髪に鼻面を埋めた。
「お前さ、二晩も旦那放ったらかしにして、大丈夫なのかよ」
静かにしていたムイが不意に口を利いた。
「んー、別に平気でしょ。ちゃんと話したら、行って来いって言ってたし」
「どうだかな。他人の旦那のことをあれこれ言ってもしゃあないんだけどさ。一つ忠告させてもらえば、あまりサイトウの野郎を独りで放置するな。奴はほっとくとロクなことをしねえデレスケだ」
「んー」
デレスケとは。初めて聞く単語に気を取られたせいか、ムイの言葉はそれ以外全て右から左へと通り過ぎてしまった。臍に刺さった充電器のプラグに指で触れて接続を確認する。ちゃんと挿さっている。そもそも充電は、意識が朦朧としてしまうほどには少なくなっていない。タチでのセックスだなんて珍しいことをしたせいで、疲れてしまったのか。
「まったく、あんなマジ糞とパートナーになるなんて、どうかしてる。そのうち監督責任問われんぞ、お前……」
ムイは段々寝息混じりになっていくし、はな六もよくわからないままうとうとと寝入ってしまった。
午前四時半、はな六は一人で起き出してムイの部屋を出た。マサユキのマンションに予定通り着くと、マサユキは既に階段のところで、はな六を待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます、六花ちゃん。時間通りですね」
はな六はうなずき、マサユキの隣に、人二人ぶんほどの距離をあけて立った。一言も言葉を交わすことなく、ただただ時が過ぎていく。
ブウンとどこか遠くでバイクの走り去る音がした。マンション前の大通りは、都会の真ん中だというのに、車も滅多に通らない。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
不意にマサユキが口を開いた。
「行き先は聞いているので、何かあったら絶対に助けに行きますから、困った時にはお電話してくださいね」
「はい」
はな六は大通りの方に顔を向けたまま、応えた。
「六花ちゃんは、サイトウ君の大事なお嫁さんなので」
(ああ、やっぱりそれか)
マサユキにとって一番大切なのは、サイトウなのだ。
車体の長いピカピカの高級車が、日の出前の闇をライトで切り裂きながら滑るように近づいてきて、目の前に停まった。運転手が降りてきて、はな六の為に後部座席の扉を優雅な動作で開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
はな六は運転手に荷物を預け、後部座席に乗り込んだ。奥の席にはジュンソがいた。
「はな六、待たせてごめんね」
「ううん。今日はお誘いありがとう」
「いいえこちらこそ、忙しい中、お付き合いどうもありがとう」
ジュンソの掌が、はな六の頬に触れる。はな六は彼の方に身を乗り出して、チュッと口づけた。数回ほど親愛の口付けを交わした後、ジュンソが運転手に車を出すよう合図した。ゆっくりと車が動き出す。薄闇に包まれた、まだ眠りから覚めない街の中を走っていく。
「ちゃんと防寒対策をしてきたね」
「ねぇ、ジュンソ。今日はどこに連れてってくれるの?」
はな六はまだ行き先を知らされていないのだ。
「南の島だよ」
「南の島!?」
温かくして行くように、とマサユキから言われていたので、てっきり寒い地方に雪見にでも行くのかと思っていたのだ。
「南といっても北半球だ。冬は普通に寒いよ。雪は降らないけど、みぞれくらいなら、希に降ることがあるらしいしね」
「へぇ、そうなのか……」
ジュンソの言う通り、南の島の空港に降り立ってみれば、シンジュクの昼間くらいの気温しかない。しかも厚い雲が低く立ち込める地上は閑散として、枯れた芝生の縁に間隔を広く取って植えられた、シュロやソテツが辛うじて南国らしさを演出している。
ここでもハイヤーが迎えに来た。車窓から見える景色は古びたコンクリート造りの家々がひしめくうらぶれた街並みばかり。島の地形は起伏に富むわりに木がほとんどない。
島の観光スポットにあちこち連れて行ってもらう。膝を故障中のはな六の為に、ジュンソが車椅子を一台用意してくれた。車を降りてどこを見て回るにしても、はな六を乗せた車椅子をジュンソが押してくれる。午前中の古式庭園をそうやって散歩すると、まるで老人になった気分。実際、時たますれ違うのは老人ばかりだ。
ジュンソは車椅子を押しながら、あのジュンソとは思えないほど沢山喋った。話題はやはり囲碁のことが多く、もうはな六には縁のないと思っていた世界に引き戻されてしまう。だがそれが不快かといえば、そうでもない。
小さな動物園にも寄った。この島の珍しい動物から他でも見れる動物まで、多くの種類が飼育されている。はな六は動物番組を観るのは好きだが、本物の野生動物を見るのは初めてだ。
はな六はひくひくと鼻を鳴らした。
「なにこれ、変な臭い」
「動物の臭いだよ」
「んー」
動物園など初めてなのに、不思議と嗅いだことのある臭気のような気がして、はな六は周囲を見回した。
(そうだ。昔、動物園に行ったときは……)
はな六はその時は車椅子を押してもらう方ではなく押す方だった。“お祖父ちゃん”の口利きで特別に許可を得て、一般人には非公開の施設に入れてもらった。そこにはライオンの母親と生まれたばかりの赤ちゃんライオンが収容されていた。一生懸命母親の乳首に吸い付く赤ん坊達をはな六は熱心に眺めた。その夜、ベッドの上で“お祖父ちゃん”は、
『あのライオンの赤ん坊のようにしてみなさい、レッカ・レッカ』
と命じた。
「はな六、どうかした?」
気が付けばジュンソが心配そうにはな六の顔を覗き込んでいた。
「ごめん、何でもないよ」
はな六は作り笑いをし、もっとライオンを近くで見たいと言って、車椅子から立ちあがり、よろよろとライオンの檻の側へ歩いた。
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