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第5章 ジュンソには言いたいことがある⑤
外に月明かりもなく、室内は真っ暗であるのに、レッカ・レッカはまるで“普通に見えている”かのような動きで二つのティーカップを用意し、それらにお茶を注いだ。はな六は椅子に座ってその様子を見ていた。レッカ・レッカが顔を上げた。丸っこい目がわずかばかりの光を反射して、きらりと輝いた。
はな六は目の性能が良いので、暗い室内でもよく見える。が、レッカ・レッカはというと、身体の他の部分同様、目もかなり老朽化しているので、これほど暗ければ、ほとんど何も見えないはずだ。
「さ、どうぞ」
レッカ・レッカははな六の前にソーサーに載せたカップを差し出した。
「ありがとうございます」
はな六はソーサーを二本しかない指でつまみ、少し自分の方へ引き寄せた。奇妙なお茶会の始まりだ。はな六は、レッカ・レッカの目と同様に微かな光を反射して揺らめく、お茶の表面をじっと見詰めた。はな六は、視覚は優れているものの、嗅覚や触覚は無きに等しい。そのはずなのに、ティーカップからは湯気と共に、馥郁としたジャスミンの香りが立ち上ってくるのを感じた。
顔を上げると、向かいではレッカ・レッカがテーブルに両肘をつき、両手で包み込むように持ったカップを傾けていた。
「どうぞ」
レッカ・レッカはまたはな六に飲むよう促した。
「大丈夫。ここはおれ達の夢の中だから、何でもアリだ。おれ達“ロボット”だって、お茶を楽しむことができる」
“ロボット”……アンドロイドに対する最悪の蔑称だ。
『だって、あなたは“ロボット”でしょう?』
(そんなことを言っても許されるのは、無邪気な子供だけだ。いや、今ならもう、子供でさえ許されないかもしれない)
その、許されざる一言を平気で言ってのけた女の子と同じ顔で、レッカ・レッカは“ロボット”とはっきり発音した。
はな六はレッカ・レッカを真似て両手でカップを持ち上げた。
そもそも口などという器官すらないというのに、鼻の下辺りにカップを押し当て、首と一緒に後ろ方向に傾けると、無いはずの口内に温かい液体と花の香りが広がった。そして液体は喉から胃へとゆっくりと落ちていった。
「美味しい?」
「よくわかりません」
「はは、そうか」
レッカ・レッカはまた一口啜った。彼も、別に美味しいとは感じていなさそうな表情だ。
(おそらく、これは私の見ている夢なのだ)
はな六は思った。でなければ、目の前の相手の“魂”は、一体どこから来たと言うのだろう?
(私はこの目で見たではないか。あのボディに“魂”は残っていなかった)
そして、今このはな六のボディがクマともタヌキともつかないぽんぽこりんの“あのはな六”だなんて、あり得ないことだ。あのボディは今頃廃棄処分になっているはずだ。二十年も使ってボロになったボディなど、バラして使える部品を売り払うくらいにしか、役に立つはずもなく。アンドロイド棋院の総務も、おそらくそうなるだろうと言っていた。
「うーん……」
背後のベッドで、ジュンソが呻いた。
「お母さん……」
どうやら寝言のようだ。レッカ・レッカはカップをソーサの上に置くと、テーブルの脇を通り、ベッドへと歩いて行った。
「俺、一人はもうやだよ」
「はいはい、お母さんは側についていますから、安心しておやすみなさい」
レッカ・レッカはそう囁いて、ジュンソの背をトントンと叩いた。やがてジュンソはまた穏やかな寝息をたてはじめた。
「身体は大きくなったけど、心は昔と変わらないんだなあ。彼は子供の頃から、ひどく寂しがり屋だった」
「あなたはジュンソを昔から知っているのですか?」
「うん。彼は何度かうちに遊びに来た。彼は、おれのお祖父ちゃんのひ孫の幼馴染でね。いつも、まだ幼いガールフレンドの背後にぴったりくっついていて、周囲と全く馴染もうとしなかった。だからおれが構ってやっていたんだ」
(ガールフレンド……麗凰のことか。レッカ・レッカと麗凰は、同じお祖父ちゃんの孫とひ孫という関係……なるほど、どうりでよく似ているわけだ……。というより、)
これははな六の見る夢の世界であるので、そのようにレッカ・レッカの語る事を、事実と思うのは、いかがなものか。
(これは私自身が、そうだったらいいなと思う、納得のいく物語ではないだろうか。レッカ・レッカと麗凰がよく似ている理由。そしてこの“|六花《わたし》”がジュンソから妙に執着されることへの理由。それらを欲する私の作り出した物語が、これなのでは)
レッカ・レッカは音もなく自分の席に戻り、腰かけて、はな六を見つめ、口を開いた。
「ところではな六」
「はい」
「そろそろ、この身体、おれに返してくれない?」
「は!?」
はな六は思わず、椅子の上に立ち上がった。
「何を言ってるんですか!? それはもう、私のものですっ」
はな六の腕がビュンと伸びた。はな六の指はテーブルの向こうの、レッカ・レッカの鼻先のすぐ手前でピッと彼を差した。
「いや、おれのだね」
レッカ・レッカは余裕の表情で首を横に振った。
「大体、はな六はこの身体を気に入っていないじゃないか。なら返してくれたって良いだろう? それとも、おれの身体じゃないと困るってこと、あるの?」
「んー」
はな六が唸ると、ふとレッカ・レッカははな六から気を逸らし、少し顎を上げた。
「電話が鳴っている」
「ん?」
はな六は首をかしげ、聴覚に意識を集中した。すると言われた通り、微かながら振動音が聴こえた。オモチャみたいな……と思った途端、
「わんわっ」
目の前にポップアップがでかでかと表示され、はな六の視界を塞いだ。それには“再生出来ません”と書かれていた。はな六が首をブンブンと左右に振ると、ポップアップは消えた。
電話の呼出音は、はな六の荷物の中から聴こえて来る。
(どうせ、サイトウだろう)
時刻は大体サイトウの就寝時間を少しまわったところだ。寂しいのかなんなのか、寝る前にはな六の声が聴きたいのだろう。
(はな六の、というよりは、レッカ・レッカの声が、だろうな)
はな六は伸ばしていた腕をシュッと戻し、着席した。
「とにかく、その身体はもう私が購入しましたので、返すわけにはいきません。私には当面、他に行くあてがないのです。ところであなたは、なぜ今更、その身体を欲しがるんです? ジュンソのお守りでもしたいんですか?」
「いや、そうじゃないんだなぁ。ジュンソも可愛いけどね。おれは、天国に行きたいだけ」
「天国?……天国って、あの天国のことですか?」
「そ。その天国だよ」
天国とは、人間や生き物が死んで魂となった後に行き着くと言われる伝説上の楽園のこと。アンドロイドという人工生物が行く場所ではない。
アンドロイドの“魂”とは、あくまで人間がアンドロイドと長く付き合い易さを感じていられるように作られた、統合人格なのだ。一体のアンドロイドが何度身体を取り換えても、一人の“人”であるために。人間や生き物の魂がなんたるかを解明しないまま、人間が科学の力によって造り出したのが、アンドロイドの“人工魂”だ。
人間やその他の生物が持つという、神から与えてられた魂の行き着く所に、人間によって造られたオモチャの魂が入る資格など、あるものか?
「仮にアンドロイドも天国なる場所に行けるとしてですよ? しかし天国って魂の行き着く場所なわけでしょう。そこに行くのに、どうして身体が必要なんですか?」
「必要だよ。おれの言ってる“身体”というのは、このボディそのものじゃなくて、魄のこと。魂魄が揃ってないと天国の門はくぐれないんだ」
「んー」
「人間のや動物の魂と違って、おれ達アンドロイドの魂は、|魂《こころ》と|魄《からだ》の二つに分割されているんだ。おれは|魂《こころ》だけが死んでしまって|魄《からだ》を無くしてしまったから、天国の門をくぐることが出来ないんだよ。だからもう二十年近く、おれはずっと、一人でさ迷い続けている」
「んんんんー」
「おれみたいになると、大抵のアンドロイドが、天国を諦めて消える事を選ぶ。けど、おれには天国でずっとおれを待っている、お祖父ちゃんがいる。おれは、消えるわけにもフワフワと浮遊霊をしているわけにも、いかないんだよ」
「その為に、その|魄《ボディ》をよこせというのですか?そしたら、私はどこにも行けないじゃないですか。代わりのボディ、あなたが用意してくれるというのですか!」
「それなら大丈夫、ジュンソが何とかしてくれるから、安心して」
「えっ」
「とにかく、おれに早くこの身体を返してくれ。本当は、おれもお祖父ちゃんと一緒に死ぬはずだったのに、家族がお祖父ちゃんの遺言を破ったんだ。おれの魂だけを壊して、この身体を改造して売り払った! おれに対する嫌がらせとして……」
「えっ」
(これも、私が望む物語なのだろうか? それとも、これはレッカ・レッカの脳に残された、本当の記憶?)
「お願いだよ、はな六。早くおれにこの身体を返してくれ。おれをお祖父ちゃんの元に行かせてくれ。じゃないと、もうおれ、天国に行けなくなっちゃう。このままここにいたら、サイトウにお別れすることが、出来なくなっちゃうよ」
「えっ」
「おれは、サイトウが好きだ。でも、お祖父ちゃんよりも、好きになりたくはない」
レッカ・レッカはそう言うと、指先で目尻を拭った。まだ微かに、はな六の携帯が鳴っている。レッカ・レッカは立ちあがり、ソファーの上に置きっぱなしにしてあるはな六の荷物を開け、携帯を取り出した。
「電話、きっとサイトウでしょ。はな六が出て。おれは今は、サイトウの声、聴きたくない……」
差し出された携帯に、はな六は手を伸ばした。五本の指のついた、人間のような手を。
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