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第5章 ジュンソには言いたいことがある⑦

「んー?」  街道を遠ざかっていくハイヤーを見送りながら、はな六は首を傾げた。 (こんな大きなものもらっちゃって、いいのかなぁ)  行きはデイパック一つだったはな六の荷物だが、今はそれに加えてキャリーカート一台にみっしりと乗っている。ジュンソがカートごとくれた荷物、そしてオキナワ土産の山だ。 (お土産……自分のお小遣いで買うはずだったのに、結局全部払ってもらっちゃったなぁ) 「うー、さぶっ!」  オキナワもうすら寒かったが、真冬のトウキョウもかなり寒い。はな六は身震いし、ポケットの中に手を突っ込んだ。指先に硬い紙片が当たった。これもまたジュンソがくれたもので、彼の連絡先が書かれている。帰りの車の中で、ジュンソはやけに食い下がって来た。店を通さずに個人的に連絡を取り合いたい、と。 「俺は、お前とただの友達同士に戻りたいだけなんだよ、はな六。信じられないかもしれないが、俺は、お前とは友達という関係が、一番しっくりくる。その為にはお前の身体を抱けなくなったって、構わないんだ」  はな六は丁重に断った。客と個人的な付き合いをするのは就業規則に反するし、何より、ジュンソと関わり続けては、囲碁界との縁がきれない。 「わかった……」  ジュンソは渋々といった感じで引き下がった。そしてはな六の髪を優しく撫でながら言った。 「はな六には可愛がってくれる人がいるから、その人のために、俺とは関われない……だろ? 仕方ない。だって、はな六はこんなに可愛い。俺が遅かったんだ。はな六、俺ね、お前にはいつでも会えると思っていたよ。ジャパンに行けば、お前はいつもの場所にいると思ってた」  確かにはな六は、二十年もの間、大体同じ場所にいた。あの囲碁教室に。毎週水曜日は、対局の為にアンドロイド棋院ジャパン支部に。ジュンソがプロになる為に故郷へ帰ってしまって以来、はな六は彼に何度会っただろうか? そんなに多くはなかったはずだ。なにせ、はな六から会いに行くことは一切なかったのだから。  時々、ジュンソははな六を見に来た。誰もいない教室で教材作りに励んでいた時、ふと顔を上げたら、廊下と室内を隔てる窓から、彼がこちらを見ていて、すぐに踵を返して行ってしまった。長いこと、その程度の関わりでしかなかったはずなのに、ジュンソははな六を、子供の頃と変わらず、共に同じ囲碁教室で学んでいた頃と変わらず、“友達”だと、思っていたとは。 「いつでも会えると思っていたから、なかなか会いに行かなかった。俺が悪かったんだ。ごめんね、はな六。友達と言いながら、淋しい思いをさせた」 (いや、淋しいのはジュンソの方だって)  はな六は生まれて二十年、淋しいなんて思ったことはなかった。ジュンソとは確かに、幼少期の一時期に頻繁に顔を合わせていたが、それだけだ。それも、ジュンソの方がいつも独りで淋しそうにしていたので、はな六は構ってやっていたのだ。 (それは、今思えば本能だった)  子守り専用アンドロイドとしての、本能だった。はな六は長い間自分を囲碁専用アンドロイドだと勘違いしていたので、当時は完全に無自覚だったものの……。 「今回の旅行で、抱き納めだよ。やっぱりお前は俺の友達で、恋人ではないから。これ以上は、のめり込めない。お前を抱くことに。そうでしょ? はな六」  はな六はポケットから紙片を取り出した。紙片の裏に彼の字で走り書きがしてあった。 “何か困ったことがあったら、連絡して”  はな六は夢の中でレッカ・レッカの言ったことを思い出した。 『大丈夫、ジュンソが何とかしてくれるから、安心して』 (いや、それはレッカ・レッカの言葉なんかじゃない。おれ自身の言葉なんだ。……おれ、無意識に、ジュンソのことをアテにしてたのかなぁ?) 「さて……事務所に戻るかぁ」  はな六はキャリーカートを引いて、とぼとぼと歩き出した。マサユキの事務所のあるマンションは、すぐそこだ。 (でもこの荷物、結構重そうだけど、どうやって階段の上に乗せようかなあ?)  マンションのエレベーターホールに上がるには、ほんの数段だが階段を昇る必要がある。建物はあまりにも古く、西暦二〇〇〇年代後半にもなって、いまだにスロープがついていない。ほんの少しの段差の先、エレベーターホールの蛍光灯の点滅を見上げた時だった。 「んっ!」  はな六は背後から何者かに口を塞がれ、荷物から手を離した。 「んーっ!」  都会の真ん中の、街道沿いとはいえオフィスビルばかりで、夕方のこの時間帯は案外人通りの少ない界隈だ。助けを呼ぼうとも口を塞がれたとなれば、一階のテナントに入っているドラッグストアの店員が気付いてくれでもしない限り……。  ぎゅっと腰に腕を回された。服越しに、尻に熱くて硬いものが押し当てられるのを感じた。 (無理矢理される!)  なのにはな六の身体は、自動的にセックスの準備をし始める。お飾りがピンと立ち、身体の内部では腸が蠕動をしはじめ、粘液が分泌される。 「んー!」 (助けてサイトウ!) 「ケケケケケ」 「ん?」  はな六を縛めていた手がふっとほどかれた。 「オメー、マジでビビってやんの」 「サイトウ!?」  振り向くと、そこにはサイトウがいつもの薄着で立ち、ヘラヘラと笑っていた。 「そんなにビビりの癖によ、無防備にボーッと突っ立ってるんだからよ」  サイトウははな六の頭に手を伸ばし、前髪を掻き上げ、露になった額にチュッと口づけた。 「おどかすにしても趣味が悪いよぉ。あんな風に後ろから口塞がれて、怖がらないヤツはいないよぉ」  はな六の抗議をよそに、サイトウははな六の腰を引き寄せ、チュッチュッとはな六の唇を食んだ。 「お帰り、はな六。ちゃんと俺様んとこに、帰ぇって来たな。偉ぇぞ」  サイトウははな六を抱き締めた。 「だって当たり前でしょ。サイトウはおれのパートナーだよ」  はな六はサイトウを抱き締め返し、温かい腕の中で背伸びをして、サイトウの鼻に自分の鼻先を擦り着けた。人通りが少ないのをいいことに、二人は長いことしっかりと抱き合った。 「さて、そろそろ帰ぇるぞ。あすこの駐車場に車停めてあっからよ」  サイトウはキャリーカートを片方の手で持ち、もう片方の手ではな六の手を引いた。 「ちょっと待って! マサユキのとこに寄らなきゃ。お土産渡さないとだし」 「あ? お土産だぁ? んなもん後でいいべな。なんなら俺様がひとっ走り上まで運んでやらぁ」 「あとね、お客さんに旅行のお礼、メールしなきゃ。お店のサイトのダイレクトメールから」 「わーったよもー。じゃあほら、土産物だけ持ってここでちょっくら待ってな。あとの荷物、車に積んでくっからよ」  サイトウはキャリーに積んであった荷物から、マサユキと店の皆あての荷物だけ取ってはな六に手渡すと、「なんだか重いなぁ」とぼやきながらデイパックとキャリーを駐車場へと運んで行った。  マサユキの事務所にははな六はサイトウと二人で顔を出したが、玄関先で立ち話をしただけで、部屋には上がらなかった。 「お客さんへのメールは僕が代筆しときますから、六花ちゃんはおうちに帰って、早く休んでください」  はな六はシッシッと門前払いをされたような気分になったが、素直にサイトウに伴われてマンションを出た。  帰りの車の中、助手席に深く腰掛けたはな六は、携帯端末を持ち迷っていた。ジュンソに直接、旅行のお礼のメッセージを送るべきかどうか。ジュンソがキャリーごとくれた荷物のことも聞きたかった。  ジュンソは、もう二度と店を通してはな六を呼ばないと言っていた。彼は今後ははな六とは身体抜きで、ただの友達付き合いがしたいとのことだった。あれほどはな六の身体に溺れていたのに、急に友達に戻りたいなど信用し難い。それに実際、ジュンソと日常生活の中で会うのは難しい。セックスどころか、外で会って話すこともままならないだろう。なにせジュンソには多くのファンの目があるし、あの麗凰もいる。 「オメェ、眠そうだなぁ」  サイトウは正面を向き運転をしながら言った。 「んー」 「昨夜はあの後、眠れなかったんきゃ?」 「んー。まあ、もう一回戦、やっちゃって」 「ケケケ、一回で済んだんか。じゃあ、オメェ、今夜はたーんと、欲求不満を解消しねぇとな」 「んー」 「俺様が気持ちよくしてやっからよ。狂うほどにな」 「んー」  はな六は火照る頬を、コートの襟を立てて隠した。  帰宅すると、サイトウは重い荷物をキャリーから下ろし、易々と肩に担いで二階へと続く階段を上がって行った。はな六はサイトウの後に続いて、膝を庇いつつゆっくりと階段を上がった。  そして二人は茶の間で、ジュンソのくれた謎の荷物を間に挟み、向かい合って座った。 「妙に重いが、何だろうなこれ」 「さぁ……お客さんは、自分が持っていても仕方ないから、おれにくれるって」 「ほーん」 「開けてみてもいい?」 「おぉ」  はな六は戸棚から鋏を取り出して、梱包をほどこうとした。 「ボン!」 「おわぁ!」 「ケケケケケケ」 「なんだよもー。おどかさないでよぉ」  などとふざけながら箱を開けた二人だったが、中を見た途端、二人とも真顔になった。緩衝材に覆われ、段ボールの内側にぴったりと嵌まった、灰色の合成樹脂製の板。 「これは……」  サイトウが段ボールの側面を破り、緩衝材を剥がした。すると現れたのは、アンドロイド収納専用ケースだった。青白く光るケースの中には、クマともタヌキともつかないぽんぽこりんな見た目のアンドロイドが一体、納まっていた。

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