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第6章 バイバイ、はな六④
「冷てぇお手々ちゃんだなァ。おめぇ、前に俺がくれてやった手袋はどうした。使わねぇんきゃ?」
サイトウの指が、はな六の指先を擦った。はな六はスンッと鼻をすすり上げた。
「だって、せっかくサイトウが買ってくれたものを、使えないよ……」
他の人に抱かれに行くときに、と言いかけて、はな六は慌てて口をつぐんだ。
「そんな遠慮なんか要らねぇんだよ、はな六。俺様はおめぇを幸せにしたくって、手袋やったんだからな。おめぇ、お手々ちゃんが温けぇと、幸せだろ?」
はな六はこくりと頷いた。
「はな六、おめぇは難しく考え過ぎなんだ。幸せっちゅうのはな、簡単なことでよ。こうやって、手ぇ繋いだら温けぇ。飯ぃ食ったら腹が温けぇ。一緒にお布団に入ったら温けぇ。そうだんべ? それが幸せってもんだんべ」
「んー」
「おめぇはよぉ、勝って負けての可哀想な世界で生きてきたから、分っかんねぇんだ。おめぇは強くも偉くもならなくていいんだよ。おめぇはポンコツでも俺様の嫁だかんな。俺様がおめぇを温める。それだけじゃ不満なんか?」
(不満、だよ……)
“勝って負けての可哀想な世界”、生まれて二十年もの間、そんな世界ではな六は過ごした。生まれてすぐに刷り込まれた価値観と世界観を、容易には変えられない。ただボディを変えたくらいでは。
「おれは、サイトウの隣に、堂々と立ちたい」
「立ってりゃいいじゃねぇか。おめぇは俺様の嫁だんべ」
「んーっ! でもでも、サイトーウ」
サイトウははな六の手を引っ張り、繋いだ手と手を上着のポケットに突っ込んだ。
「ケケケ。どーしても分からねぇ、可哀想な分からず屋ちゃんには、身体で教えてやらねぇとなぁ」
街灯と駅の明かりだけが頼りの夜道で、サイトウの目は夜の闇よりも黒く塗り潰された目をして、ゲヘヘと笑った。
「やっぱよぅ、夫婦の語らいにはこれが一番だでな」
サイトウは布団に潜り込むと、仰向けに寝たはな六の上着を胸の上までたくし上げた。露にされたはな六の乳首は、肌寒さにキュッと縮こまった。それをサイトウは片方ずつ交互に口に含み、唇と舌で揉み解すように愛撫した。
「んーっ」
(なんだか、またセックスで色々誤魔化されつつある、気がする……)
分かっていても、はな六の身体は勝手にサイトウを受け入れる準備を始める。お飾りはピンと勃ち、蜜を垂らしてサイトウに触れられるのを今か今かと待ち構えているし、腹の中はサイトウを欲して蠕動し、入り口は馴らされてもいないのに大きく口を開く。
「ぶすくれた顔しちゃってよぉ。まあ、何日もちゃんと構ってやってなかったから、しょうがねぇか。さ、脚ぃ開きな。気持ちよくしてやるからよ」
おずおずと開いた脚の間にサイトウが入ってきた。サイトウの大きく硬く張った一物が、はな六の中に滑り込む。と、
「んっ!」
はな六のお飾りはすぐに精を吐き出した。それでもお飾りは硬度を失わず、ピンと立ったまま、精液を噴出したあとは粘液をたらたらとこぼし続けた。サイトウの一物ははな六の中で一層質量を増した。はな六の内部は、硬くいきり立つ一物を懸命にしゃぶった。
「はぁっ。ヤベェな、はな六」
サイトウは小刻みに腰を動かし、はな六の中を擦り上げた。
「んんんっ!」
はな六は堪らずサイトウにしがみついた。すぐにお飾りは二度目の射精をし、サイトウの腹の毛を粘液で濡らした。
「くっ……俺も、出る……っ」
サイトウははな六を折れそうなほど抱き締めて、激しく内壁を擦り上げた。まもなく熱い液体がはな六の中にどっと溢れ、満たした。サイトウの一物がびくんびくんと脈打つ。だがサイトウは乱れた呼吸を整えるのもそこそこに、腰を大きくくねらせてはな六に打ち付け始めた。
「ヤベェ、ヤベェよはな六。何度でもイけるぜ。だってよ、おめぇを一杯気持ちよくしねえとよ。おめぇに幸せっつうのが何なのかよ、教えてやらねぇと、たくさんっ!」
パンッパンッと激しく打ち付ける抽送が繰り返され、腰から下がビリビリと痺れていく。痺れは背骨を通って脳まで伝わり、思考をぐちゃぐちゃに掻き乱した。はな六は丸っこい目を見開き、サイトウをぼうっと見上げた。
「気持ちいいだろ、気持ちいいだろ、はな六よぉ」
はな六は何も答えられない。腹の内壁はぴったりとサイトウの一物に添い、隙間なくくっつき過ぎているせいで、サイトウが腰を引く度にずるりと外に引摺り出されそうなほどだが、はな六は止めてと言えない。サイトウを恐れたからではない。まるで魂と身体が切り離されてしまったようで、はな六はただただ受け入れるというよりは、傍観し続けるしかなかったのだ。
「あ、あぁっ、あぁっ。気持ちいい、もっとして、もっとして」
自分の口から漏れる懇願は、まるで他人の声のようだ。誰かがはな六の身体を借りて、はな六の代わりによがっているようだ。
サイトウが毒沼の底のように深い闇を湛えた目ではな六を見下ろしてくる。はな六はがくがくと身体を揺さぶられながら、闇に引き込まれるようにサイトウの目を見詰めた。身体は揺れ続けている。サイトウに揺らされているのか、自発的に揺らしているのか、もはや区別がつかない。一方サイトウの目は、揺らぎ一つない真っ黒い闇に塗り込まれていた。闇がはな六の方に近づいてくる。はな六は瞳孔を大きく開いて闇の奥を見ようとした。その時、
「くぅ……ぬんぬん……」
「は、なな?」
はな六の下半身を一際大きな快感の波が襲った。はな六は声を上げないよう歯を食い縛って、サイトウの身体にしがみついた。腹の中ではサイトウの一物が、熱い体液を勢いよく射出した。
今までむこうを向いて静かに寝ていたハナナの首が、くるりとはな六の方を向いた。瞼を持たない縦長の楕円形をした双眸が、じっとはな六を見た、ように見えた。なにせハナナの目には表情がない。そのため、一見起きているのか寝ているのかわからないのだ。
「ハナナ、起きたの?」
「おきてぃないょ」
「なんだ……起きてんじゃねぇかよ」
サイトウが呼吸を整えながら言うと、ハナナはぴょこんと飛び起きた。
「はなっく、とおっちゃ!」
折り重なるはな六とサイトウの間に、ハナナは無理矢理鼻面を押し込もうとした。サイトウははな六の上から退いて隣に横になった。ハナナはちゃっかり両親の間に陣取ると、ご機嫌そうに短い両足を交互に振った。ハナナの伸縮自在のはずなのに常時伸ばされっぱなしの両腕は、今も伸ばされっぱなしで、伸びきった腕の先についた手首は、隣の布団に置き去りにされていた。はな六はハナナの両腕を手繰り寄せ、サイトウはハナナとはな六に掛け布団をかけた。
「はなっく、まーきは?」
「もうバイバイしたよ。ここはおうち。ハナナが寝ている間に帰って来たんだよ」
「やんやぁ、はなな、まーきと、あそびたい!」
「また後でね」
「あとって、いつぅ?」
サイトウがケケケと笑った。
「ハナナもマサユキが気に入ったんきゃ?親子揃って、好みが似てらいな」
「んー?」
「きっとあれだ、クマとも人ともつかないずんぐりむっくりな見た目がいいんだんべ。親しみが持ててよぉ」
「はなな、まーき、しゅきぃ」
ハナナは一層足をバタバタさせた。
「違うよぉ。マサユキは優しいし“ふぜん”しないからだよぉ」
「ケケケ、オメェ、俺様をふぜんだふぜんだって言うけどよ。俺様のことが大好きじゃねぇか。“ふぜん”かどうかなんて関係ねぇじゃねぇかよ」
「んーっ」
出会った頃は、あまりにも“ふぜん”なサイトウのことが、はな六は嫌いだった。サイトウのことを好きになったのは、クリスマスを境にサイトウの“ふぜん”の頻度が激減したからだ。だが、最近は時々、サイトウが“ふぜん”をしてきても、ついつい許してしまっている。
(だって、サイトウの“ふぜん”、気持ちいいんだもん)
今もサイトウは、ハナナを間にして寝ているというのに、こっそりとはな六の“お飾り”に手を伸ばしている。ハナナの声を聴いたとたんに元気をなくし、包皮の中に引っ込んだお飾りを、サイトウの指がツンツンつついて、出ておいでと誘ってくる。なんという“ふぜん”! はな六は布団の下でサイトウの手の甲を叩いた。サイトウはハナナの向こうで頬杖をつき、ゲヘヘと笑った。
「はなな、まーきしゅきぃ、まーきとあそびたいー、まーき! まーき!」
「いい加減、寝ようよもぉー」
はな六はともかく、サイトウは明日も朝から仕事なのだ。しっかり睡眠を取らないと、明日の仕事に支障が出てしまう。というのに、当のサイトウの方が余裕綽々でいる。
「はな六よ、オメェ、ハナナと一緒にシャワー浴びてこいや。身体べとべとで気持ち悪かんべ。その間に俺ぁ片付けしてるからよ」
「わい! しゃわ! はなっくぅ、しゃわいこ!」
「ありがと、サイトウ。ごめんね、お片付けまでしてもらっちゃって」
「いいんだよぉ。こーゆーのは旦那の仕事さ」
「とっちゃ、おかたづけ、なに?」
「ケケケ、おめぇも大人になりゃあ分からァ」
はな六はハナナを抱いて風呂場に入った。シャワーの下で、ハナナは飽きもせずにお湯に打たれ続けた。その間、はな六は椅子に腰かけて、泡立てたボディソープで身体を丁寧に洗った。
シャワーヘッドをフックから外し、お湯を身体の隅々まで当てて泡を流す。身体が温まり、弛緩していく。体内電熱器の稼働がゆっくりになる。はな六は抱き合うのとはまた別の心地よさにため息をついた。
(これもサイトウ基準でいえば“幸せ”の一つ)
ふと気づけば、ハナナがはな六の様子を、首を傾げ、瞼のない目でじっと見詰めていた。
(そうか、ハナナには触覚がないんだ。じゃあハナナは、おれとサイトウと暮らして、何が“幸せ”なんだろう?)
ハナナはハグやキスをされても、はな六とサイトウの間に寝かされても、何も感じないのだ。温かいなどという概念は、ハナナにはない。それを“あのはな六”のボディの前のユーザーだったはな六は、よく知っている。
クマともタヌキともつかないぽんぽこりんのだった頃のはな六は、頭を撫でられることすら鬱陶しいとしか感じていなかった。なぜなら相手の掌の温かさを知らなかったからだ。人がはな六の上から頭を“押さえつけてくる”のは馬鹿にしているからだと、はな六は思っていた。
ハナナは降り注ぐ飛沫ともうもうと立ち込める湯気の中で、はな六をじっと見詰め続けていた。
「楽しい?」
はな六が声をかけると、
「ぬん! たのしーよ」
ハナナはそう答えて、腕をくねくねさせた。
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