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第6章 バイバイ、はな六⑤
日曜日の朝、はな六は身体をゆさゆさと揺さぶられて目を覚ました。瞼をあげると、まばゆい日差しに目を射抜かれ、はな六はショボショボとまばたきをした。
「ケケケ、やーっとお目覚めだな」
「はなっくぅ、あさでしゅよ」
「んー」
サイトウとハナナがはな六を見下ろしていた。一瞬、二人が何ではな六の目覚めを待ち構えていたのか、はな六はわからなかった。
「はな六ぅ、出掛けるぜぃ。早く起きて着替えなァ」
「んー、そうか……今日、日曜日……」
かねてからの約束で、今日は遊びに出掛けることになっていた。サイトウはすでにいつもの普段着の上にいつもの古びたウインドブレーカーを着ていた。はな六がむくりと起き出すと、枕元に置いておいた着替えをハナナが伸びきった腕ではな六の方へ押しやった。
「ケケケ、今日もいい天気だぜぇ。予定通り、午前中は公園を走り回って、午後はハナナはマサユキ達と動物園、俺らは久しぶりに夫婦水入らずだ」
サイトウは車の後部座席に設えたチャイルドシートにハナナを載せた。ハナナは相変わらず伸縮自在のはずの長い両腕を伸ばしきったままだった。サイトウはハナナの両手を助手席まで引っ張り、はな六に握らせた。
「ほぉらハナナちゃん。お母ちゃんがお手々握ってくれるからねぇ、いい子で乗ってなねぇ」
「ぬん、はなな、いいこしてうね!」
走行中、ハナナは案外聞き分けよく、大人しくしていた。車の中でうるさくしたらマサユキ達と動物園はなし、と言い聞かせたのが効いたようだ。車は郊外の森林の方に向かっている。
「公園って、おれ、歩いて行けるところかと思ってた」
「ケケケ、いつでも行ける所じゃあ面白くねぇかと思ってな。それにちょっとやりたいことがあってよ」
「やりたいこと?」
「おぉ。行ってからのお楽しみ」
着いたのは森に囲まれた広い公園だった。駐車場に車を停め、松や欅 に囲まれたアスファルトの歩道を歩く。森の木々に葉はなく、日差しが遮られないので明るい。しかしハナナは珍しい場所を恐れているのか、はな六の胸にぴったりと抱きついて離れなかった。
五分ほど歩くと急に目の前の視界が開けた。そこには雲ひとつない空の下、一面を白っぽい芝生に覆われた広場があった。広場は手前と奥の二つがあって、奥の広場の方がより広いようだった。手前の広場の中心には一本の枯れ木のような桜が立っており、その向こうに奥の広場との間を隔てるようにして休憩所やドングリの木があった。更に向こうには動物小屋や遊具が見える。広場の至るところに親子連れの遊ぶ姿が見られた。
「わいわーい!」
ハナナはぴょんと地面に降り立った。サイトウは手の空いたはな六に弁当の入ったリュックと上着を手渡し、
「オメェはあすこのベンチにでも座ってな。さぁ、行くぜぃハナナ!」
と、手前の広場の端を目掛けて駆け出した。ハナナはサイトウのあとについて、伸ばしっぱなしの両手を引摺りながら走っていった。そっちには子供用の遊具はない。何をするのかと思えば、
「うぉらあ、ハナナァ!懸垂じゃあ!」
サイトウは自らの背よりも高い鉄棒に飛び付き、懸垂を始めた。
「お父ちゃんの真似してやってみろ、ハナナよ!」
「ぬん、ぬんっ、ぬんっ!」
ハナナは初めは腕を高くあげつつ、右に左によたよたとふらついていたが、やがて鉄棒を掴み、ぶら下がることに成功した。
「三十七、三十八、三十九!」
ハナナが四苦八苦している間に、サイトウはせっせと懸垂を続けていた。
「はな六よぉ、どうだ、オメェの旦那はカッコいいだろが!」
サイトウが叫んだ。
「えぇ、よくわかんなぁい! サイトウ、そんなに張り切って大丈夫ー!?」
はな六もサイトウに叫び返した。
「あー?。これっくらいどってことねぇー! 鍛えまくって午後はオメェの上で腕立て伏せ運動だーい!」
そうは言うものの、サイトウには既に疲れがみられた。懸垂は徐々に勢いとスピードを喪っていった。そんなサイトウの横で、ハナナはサイトウの方に顔を向け、短い足を前後に振って、ゆらゆらと揺れていた。ハナナはしばらく首を傾げてサイトウを見詰めていた。ところが、
「ぬんっ!」
「えぇっ!?」
ハナナは両手で鉄棒にぶら下がったまま、両腕をきりきりと収縮した。腕はどんどん短くなり、やがてハナナの身体は上昇し、頭がコツンと鉄棒に当たった。
「すごい、ハナナ! 腕、短くできた!」
はな六は拍手をした。ハナナはスススと下降上昇を繰り返す。
「ケケケ。やーっと出来るようになったな」
「ねぇサイトウ、もしかしてこれがサイトウのやりたかったことなの?」
「おうよ。お手本見せてやらねーと、ハナナもやり方が分っかんねぇと思ってな」
サイトウは地上に飛び降りた。そしてがに股で立って左右の拳を天に向かって交互に突き上げた。
「おしゃー! お手々の伸び縮みマスターしたぜぇ!」
「ウォウウォウ、ウーーー!」
ハナナもサイトウを真似、腕を交互に伸ばしては縮めてを繰り返した。
サイトウとハナナは走り出した。遊具のある奥の広場に突進し、ジャングルジムや滑り台やアスレチックに挑戦していった。
腕の伸縮をマスターしたのを機に、ハナナの運動能力は爆発的に向上した。ハナナはジャングルジムの高い位置目掛けて両手を射出し、腕を一気に巻き上げて飛び上がった。アクロバットのように空中で回転し、ジャングルジムの頂上に降り立ち、ぴょんぴょん跳ねた。
「はなっくー、おいでー!」
ハナナは地上でおたおたしているはな六に手を振った。はな六はアスリートのような体型をしているものの、体力は幼児並み。ジャングルジムの頂上まで登るどころか、自分の両手で自分の体重を支え引き上げることすらままならない。
やがてハナナは次の目標を発見した。
「はなな、ありやりたい」
そう滑り台を指差すと、街灯の支柱に向けて手を射出し、柱を回転軸としてブンブン回り、遠心力で勢いをつけて飛翔した。
「ハナナーっ、危ないよぉ!」
はな六は叫んだが、サイトウはゲラゲラ笑った。ハナナは狙い通り滑り台の頂上に着地した。ところが、ハナナが着地する直前、梯子を登って今まさに頂上に到達するところだった幼児が、驚いて後ろ向きによろめいた。
「危ねぇ!」
サイトウとはな六は滑り台に走ったが間に合いそうにない。幼児は落下していく。周囲の人々の悲鳴がこだまする。と、
「だいじょーび」
ハナナの手が幼児の襟首を掴み、吊し上げた。ハナナは腕を振り、幼児を滑り台に降ろした。幼児は目を丸くしたままツツーッと滑り台を下まで滑って行き、停止してしばらくは呆然としていたが、わっと泣き出した。
「うわーん、パァパァー!」
「ハルトー!」
幼児の父親が駆けつけてきて、幼児を抱き上げた。幼児は父親の肩に顔を埋めて泣いた。サイトウは幼児の父親のもとへ走って行き、深々と頭を下げて謝罪した。相手の父親も同じように頭を下げた。父親達がコメツキバッタのように頭を下げ合う中、ハナナはサイトウの背中に飛び降り、ピタリと貼り付いたが、やがてはな六の元へ逃げるように走ってきた。
「はなっくぅ、あれ、はうと」
ハナナは父親に抱かれている幼児を指差して言った。
「そうだね、お父さんからハルトって呼ばれてたね」
はな六はハナナの背中をぽんぽんと優しく叩きながら答えた。
「はうと、はーうーと」
ハナナははな六の腕から身を乗り出して、幼児を指差し続けた。
サイトウがはな六達のところに戻ってきた。ハナナははな六の腕からサイトウの肩の上によじ登った。
「ハナナよぅ。さっきのは危なかったぜ。飛ぶ前にお父ちゃんとお母ちゃんに飛んでいいか聞きな」
「うん、わーった」
ハナナはサイトウの頭の上に顎を載せた。
広場の中心に立つ大時計は十一時半をさしていた。広場の隅の木の下には、何組もの家族達がシートを敷き昼食を摂り始めていた。サイトウも桜の木の下に場所を見つけ、リュックからシートを出した。はな六は桜の枝を見た。木の芽は小さく固い。花が咲くのはまだまだ先だ。
サイトウが作った弁当が、シートの上に広げられた。お握りに唐揚げにソーセージにブロッコリー、そしてプチトマトと沢庵。勿論、アンドロイドのはな六とハナナには人間の食べ物を食べることは出来ないのだが。
「さあ、食べり」
ハナナはさっそくお握りに手を伸ばした。
「あーん、あむあむあむ、おいちいねぇ」
ハナナは食べる真似をすればそれで満足なのだ。はな六もサイトウに促されてお握りを手にした。ちょっとだけ齧り取り、口に含んだ。飲み下しても消化出来ないので、後で大量の水を飲んで胃を洗い、吐き出さなければならなくなる。サイトウはそれを知っているので、ハナナの頭上越しにはな六に口付け、口中からお握りの欠片を舐め取った。
はな六は口の中をねぶられながら、横目で周囲をうかがった。少し離れたところに数組の家族がいるが、どの家族も子供の世話をしながらの食事に忙しく、はな六達に気づく暇はなさそうだった。
「はい、とおっちゃん、じょーじょ」
ハナナはサイトウにお握りを差し出した。
「おお、ありがとうよ、ハナナ」
サイトウは三口で食べてしまった。
弁当は三人分といっても、量はサイトウ一人で食べきる程度に加減してあった。空になった弁当箱を仕舞うと、サイトウはちょっと食休みだといってシートの上にごろりと横になった。はな六はサイトウの横で膝を抱えた。ハナナはサイトウの言い付けを守り、近くをぶらぶらと歩き回っていた。風でシートの端がはためいた。
「やっぱ昼ぐれぇになれば、風が出てくんな」
サイトウは空を見上げながら言った。空はハナナのボディに似た、柔らかそうな水色だ。
「だが雲は一個もねぇし、空気は昨日の晩から暖けぇ。暴風にはならねぇだろうな、いい陽気だ」
「うん」
ハナナはどこかからか飛んできた蝶を追いかけ始めた。
「早ぇな。もう蝶々が飛ぶ季節かよ。最近、暖けぇもんなぁ」
「うん」
風はまだ少し冷たいものの、真冬のように肌をちくちくと刺してはこなかった。
「寒ぃか?」
サイトウがはな六の手を握った。
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