62 / 63

エピローグ①

 はな六のボディ(レッカ・レッカ)が大破し廃棄されて以降、サイトウははな六に見向きもしなくなった。  はな六は数日の間、レイ医師のクリニックで借りた、五体満足の消しゴムのような見た目の代替機を使っていたが、その後“あのはな六”のクマともタヌキともつかないぽんぽこりんのボディに乗り換えた。ハナナとその元の家族が“あのはな六”のボディを返してくれたのだ。返還されたボディはきちんと整備され、ピカピカに磨き上げられていた。  魂移植手術を受け“元のはな六”に戻ったはな六は、ハナナと面会した。ハナナは新しい幼児型のボディを得ていた。急ぎで取り寄せたものだからスペックはあまり高くないとハナナの“息子”のハルトは言った。見た目も生身の人間よりはぬいぐるみに近い。ハルトは、今後ハナナの成長に合わせてボディを新調するつもりだと言った。そういうわけで、ハナナは生家に戻ることになった。  ハナナは新しいボディに乗り換えてもはな六を忘れなかった。別れの時、ハナナはぽんぽこりんのはな六を抱きしめて言った。 「はなっくぅ、ママって呼んでいい?」  はな六としては、より一層母親っぽさのない外見になったのにママと呼ばれるのは複雑な気分だったが、屈託なく甘えてくるハナナに嫌とは言えなかった。ハナナは時々ママに会いに来ると言ったし、ハルトもそうさせると約束してくれた。実際、以来月に三、四回はハナナから会いたいと連絡が来て、はな六は月に一、二回は仕事を調整してハナナと会った。  ハナナと別れ、サイトウに見捨てられて身寄りのなくなったはな六を引き取りたいと、ジュンソとマサユキが同時に申し出て、一時は綱引き状態になった。だがマサユキの渾身の土下座によって、はな六はマサユキの所へ行くことになった。それからはな六は彼が病気で急死するまでの七年、マサユキと暮らした。  マサユキははな六に責任を感じていた。サイトウが元からおかしいのを知っていながら、はな六をサイトウと住むようけしかけたのは自分であって、自分は六花ちゃん(はな六)の生活の面倒を見る義務があると、マサユキは主張した。マサユキは、毎日はな六に謝罪を繰り返した。  一方、はな六の方はというと、ボディを替えた途端にマサユキへの妙な執着心が消えて、さっぱりした気持ちでマサユキと共同生活をした。実のところ、マサユキは肥満と不摂生な生活のせいで数々の持病を抱えており、独りで暮らしていくには危ういところがあった。だからはな六は、責任を取ってもらうというよりは、自分がマサユキの見守り役を買って出たような気分で、同居を了承したのだった。  はな六ははな六で、一つの病に苦しめられることになった。それはふとした拍子に“再生出来ません”というポップアップが視界を埋め尽くし、脳内に警報音がわんわんと鳴り響くというものだった。この症状は高スペックの機体から低スペックの機体に乗り換えたアンドロイドに希に見られる症状だと、新しい主治医ははな六に説明した。  はな六はマサユキと同居を初めて間もなく、かかりつけを変えなければならなくなった。というのも、レイ医師が死んでクリニックも閉鎖してしまったからだ。レイ医師は、レッカ・レッカを廃棄するしかないと診断したことへの逆恨みにより、サイトウの手にかかったのだった。  レイ医師を殺し、逮捕されたサイトウだったが、警察による取り調べで、他にいくつかの性犯罪を犯していたことが発覚した。サイトウは裁判にかけられ、有罪判決を受けて刑務所に服役することになった。  二十年が経った。はな六の古いボディはとうとう、完全に動かなくなった。  クマともタヌキともつかないぽんぽこりんのボディは、構造が単純なだけに寿命は長いはずだった。だがはな六は、この二十年を昼夜問わず可能な限り働きづめたせいで、ボディの寿命を著しく縮めてしまったのだった。  魂移植手術の翌日、新品の人型アンドロイドのはな六は、ジュンソと退院の準備をしていた。二床しかない狭い部屋で、はな六の使ったベッドの隣のベッドには、クマともタヌキともつかない“あのはな六”の脱け殻(ボディ)が寝かされていた。 「すべての願いと宝物を 優しく抱いて 温かく※」  歌を口ずさみながら、はな六は、古びたクマともタヌキともつかないポンポコリンの“あのはな六”の身体を捧げ持つと、ベッドの上に置かれた白い箱の中に、うやうやしく納めた。  ジュンソが用意してくれた箱は、思ったよりもずっと小洒落ていた。はな六としては、アンドロイド専用保存ケースの一番小さなやつか、なんならただの段ボールでもいいくらいだった。  箱は桐の板を組んで作られた、一抱えほどの大きさの直方体だった。白っぽい木箱の中には白い綿入れのサテンで内張りがされている。そして内張りと同じ布で出来た、ふかふかの敷き布団と枕と掛け布団が付属していた。  はな六は“あのはな六”の身体に二つ折りした掛け布団をかけた。コトリ、と、“あのはな六”の顔が左に傾いで、ちょうどはな六を見上るような角度になった。  はな六は“あのはな六”の、瞼のない縦長の楕円形をした目の下に出来た細かな傷痕を、人差し指の腹でそっと撫でた。ここ二十年、何かあると目の下を金属製の円形をした指でカリカリと掻くのが、“あのはな六”の癖だった。引っ掻いたせいで塗装が剥がれ、錆びが浮いて隈のようになっていた。この隈のせいで"あのはな六"の顔は酷くやつれ疲れ果てているように見えた。 「お疲れ様、よく頑張ったね」  はな六は“あのはな六”に囁いた。ハナナから返してもらってから昨日まで、はな六の身体だったはずのこの機体。なのにこうして見ると、まるで、何十年もの長い時を共にした旧い友人を亡くしたようで、侘しさを感じるのだ。 「不思議なもんだね」  ジュンソは呟いて、“あのはな六”の胸に造花の白いカーネーションを一輪置いた。 「こんなに小さかったっけ。まるで赤ん坊みたいに小さいじゃないか。魂があって動いているときは、もっと大きく見えたのに。母さんが死んだときも、同じことを思った。人もアンドロイドも、魂を喪うと途端に小さくなる。軽くて、空っぽで。死んでいるって一目でわかる」 「うん」  はな六は十三年前の出来事を思い出した。ある日目を覚ますと、同じ布団の隣でマサユキが動かなくなっていた。はな六はすぐにマサユキが事切れていることを悟った。あまりにも唐突な別れだった。眠る前、マサユキはいつものようにサイトウの昔の話をし、そしていつものようにサイトウのことを案じていた。 『彼は寂しいと不善をなしてしまうタイプなのです。あー心配だなぁー……』  それがマサユキの口癖であり、はな六の聞いた、マサユキの最後の言葉だった。  ワコーシティーの自宅までジュンソが送ってくれた。 「また、いつでも頼ってくれよ」 「んー、おればっかり世話になっちゃってて、フェアな感じがしないんだけど」  もじもじするはな六の肩をジュンソはポンポンと叩いた。 「そんなことはない。はな六は、いざというとき必ず駆けつけてきて、側にいてくれただろう? それで充分だよ」  それはその通りだった。ジュンソに何かあった時、はな六は連絡を受けるとすぐにどこにでも会いに行った。彼がプロ棋士を辞めた時、新しく興した会社が中々軌道に乗らず思い悩んだ時、突然麗凰(リーフアン)がどこぞの一般男性と結婚してしまった時、敬愛する母親を亡くした時、はな六はいそいそと身一つでジュンソに会いに行った。  ジュンソ自身が病気になって入院をしていた時などは凄かった。入院先は富裕層専用の豪勢な病院で、一流の医師にかかり、有能かつ若く美しい看護師達がこまめに彼の世話を焼いてくれるなか、はな六に出来ることといったら、本当にただそこに居るだけだった。自分の存在は医療者の邪魔でしかないと、いたたまれずに過ごしたはな六だったが、ジュンソは大層喜んだ。はな六の、金属で出来た輪っか状の手を握るだけで生きる力が湧いてくるなどと、大袈裟なことを言っていたジュンソだった。 「これからも、会いたい時には会ってくれるだろ」 「もちろん」  はな六は小指を差し出した。いつもの指切りだ。  互いの小指を絡め、 「約束」  小指はそのままに、親指と親指を合わせ、 「判子」  指を離し、掌を合わせて、スッと引く。 「コピー」 「俺のこと、忘れないでね。絶対だよ」 「たった一人の友達を、忘れるわけないよ」

ともだちにシェアしよう!