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第一章

 背中から感じる暖かい風が、新しい季節の始まりを告げている。新たな門出を祝うように優しく吹くそれは、しかし森塚の心までは温めてくれない。新学期早々、上司である山倉に呼び出しを食らったため、朝食もそこそこに、急いで駆けてきたところだ。  早く向かわなければ。あの人のことだから、コンマ一秒遅れただけで、物凄くチクチク釘を刺してくるに違いない。  想像しただけでげんなりしてくるが、今は足を動かすしか現状を打破する方法はない。一刻も早く、地獄のような風紀室へ。自分が現れるのを一番待っているであろう後輩のために。森塚は人混みの中を全速力で走った。 「───遅い」  息も絶え絶えの森塚に、山倉は開口一番、そう言い切った。案の定な態度に、最早乾いた笑いが込み上げてくる。もちろん、そのような油断は、この人の前では決してしてはいけない。あくまで深刻そうな顔つきで、頭を下げる。 「申し訳ございません。これからは気を付けます」 「口だけではないことを祈るけどな。お前、遅刻多すぎ。罰として、この書類今日の放課後までにチェックしておけよ」 「……はい。分かりました。それで、俺を呼び出した理由は」  本来の目的を忘れてはいけない。森塚のすぐ隣、山倉を前にブルブルと小さく震えているのは、一個下の後輩だ。森塚にとって、直接面倒を見ている後輩でもある。大方、この後輩が何か不備をやらかして、その尻拭いをさせるために呼んだのだろう。想像はできているので、心の準備はとっくにしてある。 「これ、全然できてねぇぞ。俺に先に見せていたからいいが、これを生徒会に出してたら、どうすんだよ。風紀のみっともないところを見せるつもりか」 「……申し訳ございません」 「誤字脱字ぐらいまともに直してこい。小学生でもできるだろ」 「俺の方からよく言って聞かせます。今日はすみませんでした」  深く頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。彰人の行動を目にし、後輩である志木も慌てて頭を下げた。山倉は朝会の準備があるため風紀室を去り、しばらく重苦しい空気が流れていた。沈黙を破ったのは、森塚の「……はぁー……、ほんっと、怖すぎんだろあの人……」というため息だった。   「怖かっただろ、山倉さん」 「えっ……いえ!俺のせいで、森塚先輩まで怒られてしまってすみません!」 「あ、謝らんくていいって。新人のうちは失敗なんて、たくさんするもんだしさ」  涙目になりながら謝る志木に、苦笑しながら森塚は志木が作成した書類に目を通した。まだ中等部を卒業したばかりで、右も左も分からないまま放り出されてはこんなことになるのは当然だ。遅いか早いかの違いで、新人は誰でも一度は通る道である。

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