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 幸いにも左手は自由だ。握っていた手榴弾のスイッチを口で外す。 「ッ!この──!」  櫻井が取り上げようとするが、遅い。思い切り手榴弾を地面に叩きつける。その瞬間、辺り一面に物凄い勢いで煙が広がっていく。 「ッチ!煙幕か……!」  煙はどんどん広がっていく。しかも、かなり濃い。ちなみにこれも朝日特製の煙幕弾で、通常よりも長く、そして広範囲に影響がある代物だ。頼んでおいてなんだが、つくづく朝日が味方でよかったと思う。  拘束が緩んだ隙に、自由な左肘を力の限り櫻井の腹部に当てる。空いた隙間で体を反転し、目元を狙いペイント弾を放つ。普段授業で使っている弾も持ってきておいてよかった。目さえ潰したら一旦後回しで先に弱い方を狙う。  櫻井から距離を取るように、ソファを盾にしながら、短髪と長髪の男二人の目を同じ手段で潰す。視覚が機能しなくなれば、赤子も同然。鳩尾を狙い拳を打ち込めば、簡単に倒れていった。コイツらは動揺している様子が多かったので、もしかしたら戦闘員ではないのかもしれない。  あと無傷なのは、一番厄介そうなスーツの男。だが、煙幕で視界が不良な今、こちらの方に分がある。  ペイント弾の残りは、あと二発。一回で仕留める── 「な……」  急速に煙幕が晴れていく。窓は締め切っており、風はないはずなのに。 「小手先だけで通用するなんて思わないでほしいな。対人を相手にする時、作戦を立てるには相手の能力も考えて立てないと。基本中の基本だけど、忘れちゃったのかな?」  ヤバい……、視界が良好になったら、また振り出しに戻ってしまう。 「──チェックメイト、ってね」  語尾に音符がつきそうな、上機嫌な声とともに、ゴリっと硬いものが額に押し当てられる。 「オモチャなんかじゃないよ。正真正銘の本物。なんなら、試しに撃ってみる?」  拳銃が高野と沖に向けられる。  どうしよう、このままじゃ、俺のせいで二人が。  どんどん息が荒くなってくる。目の前の状況を受け止めるのに必死で、次の一手が浮かばない。固まった獲物の隙を見逃すほど、男は甘くない。 「──っうあぁぁ゛!」  右の上腕が燃えるように熱い。撃たれた、と認識する前に、心臓が拍動するのと連動するように血液が溢れる。失血を防ぐべく左手で傷を押さえていると、フッと視界に影がかかる。 「……この目かな?あの視界の悪さで障害物を物ともせず動ける身体能力に、敵だけを正確に射抜ける腕と視覚機能──随分優秀な子だね」  眼球を抉るように、白い指先が目元に食い込む。痛いのと怖いのと、両方同時に感情が湧き上がる。 「名前、聞いちゃったからね。お礼に僕の名前も教えてあげよう。波切っていうんだ。覚えてね」  覗き込む波切の瞳の奥は、深い海の底のように冷たい。真っ黒で、どこまでも沈んでしまいそうな、深い闇の色。  ゾクッと背筋に冷たいものが流れる。名前を知られた。一言も言っていないのに、波切は確かに『名前を聞いた』と口にした。  考えられるのは、彼の能力がサイコメトリーで、目元に触れた際に情報が奪われたのだろう。波切がどれほどの能力者かは読めないが、自分の能力や過去がバレたかもしれないと思うと、取り返しがつかない。  能力者と戦う際、一番気をつけないといけないことは、自分の能力を相手に不用意に教えてはいけない、というもの。相手に与える情報が少なければ少ないほど選択肢は広がるのだから、今、かなり良くない状況に追い込まれている。 「可哀想に……君はこんなにも頑張っているのに、本当に報われないね。変な仲間意識なんて持たずに見捨てていれば、まだ長生きできたかもしれないのに」  心底同情するかのように、波切は目元を弧に描く。  ドクンと心臓が跳ねた。  ──逃げ出したい。そう、強く思う。圧倒的な実力差の前に、人の心は簡単に折れる。 「そこの二人はお友達なんでしょう?僕ら、少し話をしたかっただけなんだけど、結構強情でね。でも、彼らは丁重に扱わなきゃいけないんだ」  あくまで優しい口調で、波切は話す。 「話をしてくれない人の口を割るには、何が一番効果的だと思う?」  痛い目見るのが一番だよね、と突然波切は右腕の傷口を握る。今までに経験したことのない痛みが襲う。  血に濡れた掌をベロリと舐めると、波切は櫻井に「後は任せたよ」と告げ、自身は高野たちが座るソファに歩いていく。先程から抗議する高野と沖の真ん中にドスンと勢いよく腰かけ、耳元で「よぅく見ておきな。自分たちのせいで大事な友達が死んでいく様子をな」と囁く。

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