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 点滴が落ちるのをジッと見つめたまま、数時間が経過した。何もすることがないというのは、思っていたよりも暇だ。  しかし、絶対安静を言い渡されている今、ぼんやりと天井を眺めるくらいしかやる事がない。というか、ここで無茶をしたら、また山倉に怒られてしまう。 (………………ねむ……)  ふわぁ、と欠伸をした拍子に閉じた瞼を開けると、そこには渡辺の綺麗な顔があった。 「うわぁぁ!?」 「あは、期待通りの反応ありがとう」 「渡辺……?授業中じゃないのか?」 「うん?んー……もう関係ないから、いいんだ」 『関係ない』  それはまるで、他人事のようだ。森塚が動揺したのが分かったのか、渡辺は苦笑しながら「答え合わせをしよう」と言った。 「答え合わせ……?」 「そう。敵は、なぜこの学園の中に侵入できたのか。なぜ、ピンポイントで目当ての学生に接触できたのか」  薄っすらと考えていた。椎名は『侵入者用の結界に異変はなかった』と言っていた。つまり、犯人は正規の手順で学園の敷地内に入ったということになる。 「あの日、黎明軍から派遣されたのは十名。うち、八名が体育館で新一年生に指導をしていた。あとの二人は、紛い物だ。黎明軍ではなかった」 「でも、日下部に確認したけど、ちゃんと十人いたって……」 「それ、本当にそうだったって言えるかな?ちゃんと自分の目で確認した?もしかしたら、日下部が嘘をついているかもしれないよ」 「それは……そうかもだけど、」  それでも、日下部が裏切っているなんて思えない。 「日下部に連絡した時、話し声とか説明する声が聞こえたし、日下部はそんな怪しいことに首を突っ込むような性格じゃない」  日下部は、思ったことはすぐに言うし、歯に絹着せぬ発言をするし、そもそも裏表がない性格をしている。 「本当に?その性格がフェイクだって言ったら?目に見えているものが真実だなんて、胸を張って言える?」 「…………」  黙って渡辺から視線をそらす。そう言われてしまえば、反論できる余地はない。自分だって何食わぬ顔で、のうのうと過ごしている。どうやって生きてきたとか、何を思っていただとか、親しい友達にも知らせずに、ずっと。  何も言えなくなった森塚は、黙ってギュッと手を握りしめた。それは、言いたいことがあるけれど、何を言いたいか定まっていない時にする仕草と似ていた。 「そう言われると、自信ない、けど──」 「けど?」 「俺は、自分が信頼できると思う奴は、間違わないよ」  渡辺は驚いてパチパチと瞬きをした。我慢出来ない、と笑いをこらえる。 「ふふっ……あは、あはは……!そんなマジな顔で言われると、笑っちゃうよ……!」  ひぃひぃ腹を抱えている渡辺に、森塚が思わず「なんだこいつ?」と思ってしまったのも無理はない。 「ごめんごめん、笑っちゃって……。──ねぇ、森塚。その理屈だったら、俺はどっちに入る?」 「渡辺は──、昔から何考えてるか腹の中は読めないし、小馬鹿にしてくるし」  思えば、散々な出会いだったのかもしれない。今でも新聞部の部室には、あまり寄りつきたくないし。 「……でも、お前の情報に何度も助けられた。俺は、お前のことを信頼している」 「……うん、ありがとう。そう言ってくれると、嬉しいよ」  泣きそうな、それでいて気丈に微笑む渡辺の表情が、やけに心に残った。 「意地悪してごめんね。日下部は何も知らないよ。これは本当。今から話すことは、まだ誰にも言ってはいけない。約束して」  こくん、と首を縦に振る。 「侵入者は黎明軍に変装して、学園内に侵入した。これが一番考えられる可能性の一つだ。あの日、体育館には確かに黎明軍の隊服を着ている者が十名いたことは確認済み。……考えられるのは、元々黎明軍として侵入した二人と、学園内の誰かが入れ替わった。──どちらにせよ、学園内に裏切り者が少なくとも二人いるってことは確実だと思う」  渡辺の言うことに、目を見開いた。 「それ、って……、もしかして、生徒側にも……?」 「可能性はなくはないよね。俺も探ってみたけど、尻尾を出してない。むしろ、こっちが──……」  言いかけて、ハッとして渡辺は「時間だ」と森塚の目を真っ直ぐに見据える。 「最後に餞別だよ。──君の未来を、少しだけ教えてあげる。これから先、辛い現実が待っている。逃げ出したくなるかもしれない。目を逸らしたくなるかもしれない。でも、君には君を想っている人たちが沢山いることを忘れないで」  ジッと見つめていると、急激な眠気に襲われる。渡辺の声が耳の奥まで浸透してきて、ふわふわとした感覚……眠りにつく前の浮遊感のような心地だ。 「俺、もう行かなきゃ。ごめんな、嘘ついてて。……達者でな。お前と話すの、割合楽しかったわ」  窓際に足をかけたまま、渡辺は振り返る。 「春名によろしく言っといて。……あいつのこと、守ってやってくれな」  じゃあな、と彼は背中を向けた。待て、と手を伸ばした瞬間、再び突風が吹き荒れた。 「ま、…て……」  ダメだ。眠ってしまう。起きた時には、きっと彼はもういない。それだけは確信できる。だけど、どうしても眠くて。最後に見た渡辺の顔は、悲しそうな、それでいて泣きそうな笑顔だった。  ぐらっと視界がふらつき、ベッドに逆戻りになってしまった。抗いようのない眠気に、意識は沈んでいった。 「ん……」  ゆっくりと目を開ける。目元が濡れている感覚がして、そこでようやく自分が泣いていたことに気がついた。 「……バカ、なんでも一人で抱え込んでんじゃねぇよ……」  さっきまで話していたのが嘘のよう。  そして、彼はもう二度と、この学園に戻ってくることはなかった──

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