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 ボールを手にしたのは、茶髪の生徒だ。この先輩はたしか、能力をクラスメイトに向かって使用して喧嘩したと謹慎処分になった人だ。  バチっと目があった。  ──もしや、これはチャンスなのではないか?奴の意識は、明らかに自分一人に向いている。 (だとしたら、どうにか頑張って俺がボールを取れさえすれば)  森塚の頭に、そんな考えが浮かんだ。ジトリと滲む汗をぬぐい、意識を集中させる。  転機は突然にくる。外野が取り損ねたボールが、こちらのコートに転がってきたのだ。 「──チャンスボール!」  榎本が叫ぶ。ギリギリ中央線を抜けてしまいそうだが、これを取るしかない、と無我夢中で走り出した瞬間、右足が不自然に固まった。  しかし勢いは殺しきれず、そのまま無様にも派手に転んでしまった。勢いよく打ちつけた右膝を庇いながら顔を上げる。すると、茶髪の生徒がボールを手に口角を上げているのが見えた。どうやら取り損なったボールが向こうのコートまで転がってしまったようだ。  ──あ、ヤバい。  やけにスローモションに見えたが、実際はほんの数十秒のことだった。茶髪の生徒が投げたボールは、至近距離で森塚の顔面にヒットした。まともに食らい、地面に倒れこんだまま動けない。  榎本と出雲、それに周りで試合の流れを観戦していた生徒たちが、ざわついた。 「ちょっと……!こんなの、反則でしょうが……!顔面に当てるなんて、ルール違反だ!」  出雲が審判を務めている生徒に猛抗議する。失礼だと思うがそんな出雲の態度に、意外だと森塚は思った。  ボールを投げた茶髪の生徒は、「俺は顔に当ててなんていません」としらを切っており、その言い分に腹を立てた出雲がさらに口を開こうとした時、幾分かダメージから回復した森塚が止める。 「出雲、俺は大丈夫だから」 「大丈夫って……、なわけねぇだろ!鼻血、出てるぞ⁉︎」  慌てる榎本。出雲は静かに上級生を睨んでいる。そんな二人を安心させるよう、務めて気丈に振る舞う。 「ちょっと、保健室行ってくるから、あとは頼んだ」  鼻を押さえながら観戦者の人混みを縫って救護室に向かう。先ほど右足首が不自然に動かなくなったのだが、そのせいか重心がかかるたびにズキンと刺すような痛みが走る。 (考えたくないことだけど……誰かが『念力』で、妨害した?)  念力だったら動きを止めることくらい楽にできるだろう。とはいえ、あの中から犯人を見つけるのは難しそうだ。とりあえず注意喚起はした方がいいかな、と結城に報告しておく。 ◇ 「……え、先生いないんですか」 「ごめんねぇ、なんか羽目外しすぎた馬鹿がいるらしくて、そっちにかかりきりなんだって」  どうやら第一グラウンドで行われていたサッカーで、乱闘騒ぎが起こったらしい。騒ぎを鎮めるために、役員や教師が大勢駆り出されているとのこと。そのため、救護室もてんやわんやで、湿布や薬も足りなくなっているとのこと。 「ちょっと待ってもらうかも……、名簿に名前書いてそこに座ってて」 「あ、だったら俺、保健室の方に行くので大丈夫です」 「え?ここから結構歩くけど……いいの?」 「大丈夫ですよ。お手数かけました」  保健委員の生徒の申し出を断り、救護室を出て、ひょこひょこと右足を庇いながら歩く。普段の倍ぐらい時間をかけて、なんとか校舎近くまで着いた。  わぁぁ、と歓声が聞こえる。使える保健室に行くには、体育館から通じる中通路を通らなければいけない。そこを通りがかった時、たまたまバスケの試合が見えた。そういえば、バスケも順調に勝ち進んでいて、ちょうど午後の試合時間が被っていると榎本が言っていた。  チラリと中を覗いてみると、どうやら十点差ほどで、二組が見事勝利したようだ。嬉しそうにハイタッチする沖と日野原に、何故だか胸が痛んだ。  そっとその場を離れ、静かな廊下を歩き保健室へ向かう。鼻血はもう止まっているので、別に行かなくてもいいのではと思ったが、足首の捻挫が思っていたよりもひどく熱感を伴っている。歩くのがかなり大変で、こちらは思っているよりも重傷のようだ。  何はともあれ、素人判断はよくない。  ゆっくりと壁伝いに歩きながら思い出すのは、先程見た光景だった。 (……いいなぁ)  子供じみた嫉妬だ。なんにも悩みがなさそうな彼らが羨ましい。本当は誰しも大変なことがあるって知っているが、今日はどうにもダメだった。落ち込んだメンタルが持ち直せない。 『お前がいると、迷惑なんだよ──』 『お前がいると周りの人間に迷惑がかかるんだ!さっさと消えろ!』  出雲に言われた言葉に重なるように、かつて言われた罵倒が頭の中に響く。  ブンブンと頭を勢いよく振って、声を追い出す。  うだうだ考えながら、とある教室に差し掛かった。 「っ……!や……!…………、はなし……‼︎」  物音がする。しかも、人と人が争う音だ。瞬時に意識を風紀委員としてのものに切り替える。まずは情報把握に努めるのが鉄則。それに則り、扉付近で息を潜めながら中をそっと伺う。

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