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 一人きりになった空間では、時計の針の音がよく響く。今、何時だろうか。時間を確認しようと、備え付けの棚の上に置いてあった携帯に手を伸ばす。 「ッ──は……」  手から携帯が滑り落ちる。大きな声が出ないよう、口元を手で押さえた。画面に現れたのは、速水からの連絡。そこには明日の朝、一人で音楽室まで来い、と。謝りたい、と最後に書かれていたが、本当だろうか。  冷たい速水の瞳を思い出す。あんな顔をした彼を見るのは初めてだった。 (先輩……なんで、)  ズズッと鼻をすすった。何度も何度も疑問を繰り返した。しかし、答えが出ることはない。 『頼まれたんだよ、そいつに──』  長峯薫、と名乗った生徒。大会中はジャージやクラスTシャツ着用を義務付けられている中で、ただ一人制服を着ていた。あの格好では目立つだろうに、大会中に制服姿の生徒は見かけなかった。行事には不参加なタイプだろうか?  なんにせよ、彼が元凶であることは、間違いない。 (長峯薫の能力は、『催眠』……?だったら、速水先輩は操られているだけ)  確証は全くない。こうあったらいい、という希望的観測を言っているだけである。自分の意思で性的暴行に加担するような人だと、森塚が信じたくないだけなのだ。その考えに甘さが表れていることに、自覚はなかった。  現状、長峯と繋がっているのは速水だけだ。直接会うのは憚られるが、情報を得るためには行動するしかない。 (大丈夫……、大丈夫だから)  冷えた手をさすって温めながら、何度も自分を励ます。 『大丈夫だから』  不意に日野原の声が蘇る。真剣な表情だった。何度も抱きしめてくれた。それだけで十分だ。流れる涙もそのままに、肩まで布団を手繰り寄せ目を閉じた。  ◇  次の日。 「それでは、定例会議を始める」  重い口を開いた結城の本日の変装は、古の体育教師風だ。顔つきも厳しい。もちろん口調も昨日までと打って変わって、真剣なものだ。 「昨日起こった乱闘騒ぎだが──……」  件の乱闘騒ぎは三年五組と二年五組の生徒によるものだ。さらに、森塚が報告しておいた能力使用の疑惑もあり、三年五組はペナルティとして本日の大会参加権を剥奪されるという結果になった。二年五組には関係者全員で風呂掃除の罰則が言い渡されている。 「報告は以上。本日の見回りだが、空いた委員で回すことになっている。試合がない者は前に来るように」  午前中に準決勝、決勝があるため、昨日の時点で負けてしまったフリーの生徒は結構多い。  榎本に確認しておいたところ、二組はあの後負けてしまったため、森塚も本日はフリーで動くことになっている。持ち場や時間を決定している委員に混ざろうとした。 「森塚はこのあと残るように」  結城の低い声に、心臓を掴まれた気分になる。ほとんどの委員が出払い、部屋には結城、森塚、それから目力が凄い山倉が残った。何を言われるのか、ドキドキしながら対面する。 「昨日、大会が終わってからお前、何してた?」  サァっと血の気が引いた。 「昨日、二年の吉原からタレコミがあってな。『襲われかけたところを、森塚に助けられた』と。だがお前から報告は来ていない。どういうことだ?」  吉原に口止めをするのを忘れていた。完全に失態だ。 「…………申し訳ございません。右足を負傷していたので、対処に当たった後、保健室に行ってました。報告するのが遅くなりました」  頭を下げながら謝罪を口にする。途端、山倉の眉間の皺が、さらに寄った。  気まずそうな顔をする森塚に、山倉が叫ぶ。 「負傷したのは、例の能力使用の件だな⁉︎それとも……、吉原の件か?!そういやぁ、さっきから腹を庇ってるな。その頬の湿布にも、気づかないわけがないだろうが!」 「っ……!」  全て図星だから何も言い返せない。山倉と結城の無言の圧力に、彼らの目をまっすぐ見ることができなかった。言い訳を考えるように、視線は宙を泳ぐ。  視線を合わせないようにする森塚に苛立ったのか、山倉はいきなり森塚の手首を掴んだ。大袈裟なほど肩が跳ね、指先が冷たくなってくる。 「山倉さ……なにして、」 「縄の痕がついているな。……もう一度聞くぞ。吉原を逃した後、お前は何をされた?」  力なく首を振る。言えない、と何とか意思表示をするが、それでは山倉の目は誤魔化せない。  散々殴られた腹が痛い。肛門には違和感があって、歩くのですら大変だった。 (どうしよう……、なんて言ったら)  チラリと結城を見るが、こちらも厳しい顔つきをしている。言い訳も許さない状況に、どんどん追い込まれているのが自分でも分かった。  ピリリリリ 「──!」  沈黙を破る携帯の音が鳴り響く。固まっていた体に力が戻ってくる。気力を振り絞り、山倉たちから逃げるように走り出した。 「あっ!こら……待ちやがれ!」という山倉の怒りが背後から聞こえるが、待てと言われれば逃げたくなるのが人間の性だ。足を止めることなく、必死に走って距離を稼ぐ。湿布を貼ってあるとはいえ、負傷中とは思えないスピードで足を動かし、次の目的である音楽室へと急ぐ。

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