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 時間を確認すれば、もうとっくに約束の時間は過ぎていた。足がつかないよう少し遠回りして、目的地へ向かう。  中には速水ではなく、長峯がいた。長峯が窓の淵に腰をかけて外の景色を見ていた。その横顔には全く表情がなくて、ゾッとした。作り物の人形のように見えたのだ。 「遅かったね」  森塚の存在に気づいた長峯の、形のいい唇が言葉を紡ぐ。声を聞いた瞬間、ヒッと体が固まるのを感じた。 (……大丈夫、落ち着け……、落ち着け)  荒くなっていく呼吸を落ち着かせるように、深く大きく息をする。 「ケツ、大丈夫か?」  長峯の口から出た言葉が、意外にも己の身を案じるものだったので、森塚は驚いて一瞬何も言えなかった。言葉の選びようは、だいぶアレだが。 「まぁ、俺が言っても何にも説得力ないだろうけど」  ゆっくり森塚に近づく長峯に、ドクンと心臓が大袈裟に拍動する。額から汗が出てくる。そんな森塚の様子に、彼は「安心しな」と口角を上げた。 「あの写真なら、もう全部消した。いや~……マジで参ったわ。手痛い制裁受けたしさぁ」  長峯の左頬には湿布が貼っており、口端にも赤黒い痣ができていた。誰かに殴られたものであるのは明白だ。 「お前にちょっかい出すのはこれで最後だ。……ただ一つだけ。これ以上目立つのはお前のためにならない。それだけは肝に命じておいてくれ」  それだけ言うと、長峯は一人、扉に向かって歩く。「……あぁ、そういやぁ」と思い出したように振り返った。 「速水は関係ねぇから。これも、俺がアイツの携帯で勝手に呼び出しただけだから」  小さくなっていく長峯の姿に、慌てて「ま……、待って!」と叫ぶ。その声に反応したのか、長峯はピタッと足を止めた。 「速水先輩は……、あなたが操ったんですか……?」 「────それは、俺が答える義務があるか?」  ジロリ、細められた目つきが恐ろしい。何も言い返せないまま、長峯は歩いて行ってしまった。完全に姿が見えなくなるまで、一歩も動けなかった。  無意識に止めていた息を吹き返す。長峯の眼には迫力があり、蛇に睨まれた蛙状態になってしまうのだ。 (何が目的だったんだろう──……)  結局、彼の真意は読めない。何を考えて、あんなことをしたのか。速水までを巻き込んだのか。分からないことだらけだ。  ふぅ、と息をついたところで、カタン、と音がした。──誰か、いる。考えることに集中していて、第三者の存在に気がつかなかった。先ほどの会話を聞かれていたら不味い。 「……森塚、いる?」 「はやみ、せんぱい……」  走ってきたのか、肩で息をする速水が姿を現した。 「すまなかった」  黙ったままの森塚に、速水は真っ先に謝罪を口にした。アプリの文面は長峯が書いたといっていたが、『謝りたい』というのは本当のようだ。 「……長峯が勝手に呼び出したみたいなんだけど……何もされなかった?」  速水は決して無理に距離を詰めずに、適度な位置を保っている。ガシガシと後頭部を掻き毟っている姿から、何か言い淀んでいるのかもしれない。 「俺が言うのも、なんだけど……」  静かに速水は口を開く。 「アイツのこと、あんまり悪く言わないでやってくれ。昨日お前を襲ったのは、実行犯は俺だ。もう風紀には言ってあるからさ…………謝っても許されることじゃないけど、ごめん」  ゆっくりと頭を下げる速水に、恐怖心やら彼に対する疑念やらが、スゥッと溶けていく。 「速水先輩は……長峯薫の能力を知っているんですか?」  ずっと疑問に思っていたことだ。彼自身から聞き出すことはできなかったが、速水だったら知っているかもしれない。 「長峯の能力……?」  口元に手を当てたまま速水はじっくりと考え込む。 「先輩……?どうしたんですか、」 「あ、いや……ちょっと、な」  速水は遮るように言葉を濁した。 「ごめんな。俺、アイツが能力使ってるところ、見たことがないんだ」 「……⁉︎それって、どういうことですか……?」 「長峯は授業をほとんどサボってるから、滅多に学校にも姿を見せないよ。俺は同じ部屋だから喋る方だとは思ってるけど、他に誰かと話すところを見たことがない」  藤ヶ丘学園では、授業以外で能力の使用を禁じられている。しかし実技では実際に能力を使用した対人訓練や、コントロールの仕方などを学ぶため、学園にいる限りは能力を使用しないなんてことはありえない。能力使用は厳禁であるが、学園生活が長くなっていくほど、魔が差すというもので、「バレなきゃいいだろ」とこっそり使う者は多い。 (長峯は、それすらもしないってことか……?)  結局、長峯の能力を知ることはできなかった。もし、また接触するようなことがあった時のために知っておきたかったが、仕方ない。  ピリリリリ 「すみません……」  一言断り、携帯の画面を見ると、日野原からだった。出ようか出まいか迷っていると、「力になれなくてごめんな」と速水は泣きそうな表情で止める暇もなく去っていく。

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