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第三章

 曇り空の隙間から、僅かに青空が見える。生暖かいような湿気をたっぷり含んだ風が吹いていて、もう衣替えの季節だと感じさせる陽気だ。六月も前半、藤ヶ丘学園は絶賛文化祭に向けて準備期間の真っ最中である。  森塚は汗だくになりながら、ペットボトルのお茶を箱ごと運んでいた。長袖のシャツはもう暑くて、袖口を捲ってはいるものの、ズルッと下がってしまうのが煩わしい。  もういっそのこと体操服に着替えてしまおうか、と思ったが、着替えている時間が惜しい。出入り口付近で作業をしていた榎本に声をかけた。 「お疲れ、お茶の差し入れあるから、一人一本分取ってってくれ」 「おっサンキュー!みんなー、差し入れだってー!」  わらわらと集まってくるクラスメイトたちに、一本ずつペットボトルを渡す。榎本が「時間ある?」と森塚に尋ねる。少しだけなら、と答えると、ちょいちょいと教卓付近の段差に座るよう促した。 「準備、どう?順調?」 「まぁいけそうだな!事前準備が俺らは大変だからさー……」  二組は圧倒的多数結により、映画を撮って上映することになった。そのために小道具を作ったり役者の演技指導をしたりと、当日は楽かもしれないが完成するまでが大変だ。 「あ、これ貰っていいやつ?」 「ん、そうそう」 「二人ともお疲れ様。森塚、ここにいていいの?」 「お疲れ。クラスに差し入れのお茶配るついでに休憩だから、少しだけ時間あるんだ」 「そっかー」と笑うのは、同じクラスの瀬戸敦士だ。二組の出し物が満場一致で映画撮影になった要因は、ほとんどが瀬戸の存在だと森塚は思う。  瀬戸敦士。かつて同年代ではトップクラスの有名子役だった。瀬戸は『変身』の能力者で、人を惹きつける演技も相まって各業界から引っ張りだこだった。藤ヶ丘学園に入学するタイミングで子役は引退したそうだが、高い演技力は未だ健在で、演劇部で才能を発揮している。 「マジで今年は話題性だけだったら、俺らが一番だと思うわ」 「あはは……、脚本も期待してるね?」 「任せろって!音無が燃えてるからな」  榎本はイベントごとが大好きで、こういう行事には人一倍張り切っている。二人の会話をぼんやり聞きながら、お茶を一飲み。ふぅ、と息をついてから「それじゃ、仕事に戻るわ」と立ち上がった。  まだ準備期間はあるとはいえ、これから長丁場になる。暑いな、と汗を拭う。  文化祭の準備期間は、球技大会が終わった直後の約一ヶ月前から行われる。最初の三週間は毎週水曜日のLHRと放課後の時間を準備に充てる。最後一週間は追い込み期間と称して、一日全て使って文化祭に向けて各クラス、各部活で準備することになっている。  文化祭自体は、三日間に分かれ、在校生だけの前夜祭、関係者を招待しての本祭、表彰式も含んだ後夜祭となっている。  大掛かりな準備が必要な分、文化祭全体完成度は毎年かなり高くなる。藤ヶ丘学園最大のお祭りが、始まろうとしていた。 「森塚、戻りましたー……って、うわぁ……」  風紀室の扉を開けると、そこには屍体が広がっていた。 「森塚ぁ……こっち手伝ってくれ……」  屍体の一つが起き上がり、助けを求めて手を挙げる。それは、連日の疲労により顔が見せられない状態になった日下部であった。 「これ……当日の火器使用許可願いなんだけど……、委員立会いでやらんといけんから、そこにも人手が必要でな……」 「森塚戻った……?ちょっと、こっちもヘルプ……」 「先輩……森塚先輩……、助けて…………」  日下部の話を聞いている間にも、ゾンビが生者に気づいた時のように日浦や志木がヘルプを求め起き上がっていく。 「ちょっ……順番!順番にしろってば!」  毎年学園祭の前は、どこの委員会もこんな感じだ。一般生徒はただ楽しく準備を進めるだけだが、それをつつがなく統括しなければいけない生徒会、風紀委員会、そして行事委員会は、毎回殆どの委員が死にそうになっているのだ。  学園祭をメインで進めるのは、生徒会と行事委員会、文化委員会だ。風紀は当日の自治、それから各委員会のヘルプに回ることになっている。他の委員に比べれば未だマシだが、これがかなり忙しい。  猫の手も借りたい状況で、ほぼ全員が疲弊している。まだ一週間もこの状態が続くのだ。先が思いやられる。  這い寄るゾンビたちをいなし、森塚は各クラスの計画書をチェックし始めた。当日、警備の代表を務めることになっている。これは生徒会から直々に指名されており、また大変なことになった、と頭を抱える羽目になった。  十五時から生徒会との合同会議が迫っている。早めに資料を頭に入れておきたい。 「助けて……しんどい……」 「せんぱい~……助けて…………」  仲間たちの悲喜交々な声が四方八方から聞こえる。この地獄を三年間経験している先輩方でさえ、悲壮感が漂っているので相当だ。体力はある方だと自負している森塚は仲間の悲惨な姿に苦笑しながらも、自身の課題に取り組んだ。

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