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 三年の教室がある階は基本的に用がない限り行かないので、必要以上にドキドキする。しかもネクタイや上靴の線の色が違うから、他学年は一目で丸分かりなのだ。  五組の教室は奥の突き当たりにある。逃げ場がない。心なしか廊下を進んでいくに連れて、空気の性質が違っているような感じがある。  あまり気がすすまないのは、速水のクラスでもあるということ。球技大会の一件以来、速水とは顔を合わせていない。部活にも顔を出していないと部長から聞いている。 「あれー、君どこにいくのー?案内してあげよっか」  五組の教室に差し掛かる際に、背後から誰かに話しかけられた。赤髪の派手な生徒だ。ネックレスやピアスなど、今が服装検査だったら一発アウトである。よく見ると、校則違反常連の三年生であった。 (この人たしか……、五組じゃなかったっけ) 「あの、今五組って人います?」 「えー、準備してるのはいるんじゃないかなー。俺はサボり」 「全員集めることってできますか?大事な話があるんです」 「え、めんどくさー。ダルいなー」  非常にかったるそうに、その生徒は言ってのけた。だが、ここで引くわけにもいかない。 「俺は風紀委員の森塚です。風紀として、お話があって来ました。クラス委員長は誰ですか?」 「……誰だっけ」 「………………」 「いやいや、そんなジト目で見ないで!?俺らのクラス、そんなリーダーシップ執るようなことないからさー、マジで分からんのよ」  えー、誰だっけ?としばらく考えている様子の彼があぁ、と手を叩いた。 「長峯だよ」  ドクン、と心臓が嫌に音を立てた。気がした。その名前を聞くだけでも吐き気がする。一瞬体を硬くした森塚に気づかずに、生徒は「事情があるなら話してあげよっかー?」とにこやかに提案した。 (いやだ……、話したく、ない……)  ギュッと拳を握りしめる。突然黙り込んだ森塚に、「どうする?」と促す。仕事への責任感と、できるなら長峯に関わりたくないという葛藤。ぐるぐる回る思考回路に、ショート寸前まで追い込まれる。 「どうしたー?気分悪くなっちゃった?俺、いいところ知ってるから、そこで休もっか」  力が入らない体は簡単に抱き寄せられてしまう。やんわりと手で制止するも、有無を言わさない強さで、グイッと肩を掴まれた。 「白石、なにしてるの?」  空気が変わった。ピリッとした張り詰めた空気が支配する。森塚を捕まえていた生徒は「あはは……」と誤魔化す。 「準備サボって逢い引き?いいご身分だね」 「わりっ、今からやろうと思ってたの!」 「じゃあ進行方向を反対にして教室に入ろうか」  穏やかながらも有無を言わせない口振り。最近も耳にしたことがある、長峯薫本人が、そこにいる。 「顔青いけど大丈夫?用事あったんだよね、入ろうか」  長峯は森塚の背中を押し、五組の教室に押し入れた。まだどうやって話を切り出すか決めていないのに、と長峯に恨みがましく視線を向ける。 「時間ないから、ちゃっちゃと終わらせてね」と断りを入れてから、長峯は教室にいた生徒を集めた。視線が一気に注がれ、余計に体も喉も固まり、上手く話せる気がしない。 「ほら、早く」  逃げ場はない。腹をくくるしかないようだ。 「実は──……」  話すべきことは全て話した。意外と真剣に聞いてくれていた先輩方が次第に険しい表情になっていくのが恐ろしく感じた。  それもそのはず。遅かったとはいえ、しっかり申請書類を提出したのに使用許可が降りなかったなんて、酷い裏切りにも程がある。 「それって、俺らは文化祭出られないってこと?」  誰かの発言が皮切りになり、次々と矢継ぎ早に質問が繰り出される。 「なんで俺らばっかり」 「たしかに違反ばっかりやってるけど、そこまで差別するか?」 「ほんと最低だな」  など、散々な言われようだ。 (なんで俺がこんな目に……)  思わず天を仰ぎたくなる。そもそも、イベント委員の誰かがミスがここまで誰も気づかなかったっていうのに、皺寄せがドーン!と来ているのが大変なのだ。などと心の中で言い訳していたが、五組の中でも一際有名な不良が森塚のネクタイを引っ張った。 「おぅおぅ、兄ちゃんよぅ。ツラ貸せよ」  不愉快さを前面に押し出してくる生徒に「まぁまぁ……」と口を開くが、ドンと強い力で壁に体を押し付けられた。 「ふざけんなよ!こっちは何日も前から準備しとんじゃ、コラ!どう落とし前つけてくれんだ、ぁあ!?」  一種即発の状況だ。そして、森塚本人は非がないものの、怒鳴られた事により一瞬苛立ちが優ってしまった。ほんの僅か目を細めたのがいけなかった。睨まれた、と感じた相手は怒りが収まらないようで、どんどんヒートアップしていく。 「おい、そんなに一気に言われたら混乱すんだろ。少しは落ち着いて耳貸せって」 「あぁ?うっせーな、コイツが生意気なこと言ってくるからじゃねーか!」 「そう熱くなるなって。この子も言いにくいことを態々言いにきてくれてんだから、怒るなよ」 「はぁ?速水、コイツを庇うっていうのか!?」  一種即発の状況から森塚に助け舟を出したのは、速水だった。距離が出来るよう、興奮している生徒との間に割って入る。いきなり現れた速水に声をかけようとする前に、「しー……」と静かにするよう仕草で諭される。 「まずは話聞こうぜ、なぁ」 「……そうだね。出し物はクレープだったんだけど、当日に生地が焼けないなら、諦めるしかないかなぁ……」  嫌味ったらしく、長峯は恨みがましそうに口を開いた。なので、妥協案として考えていた「前日までにクレープの生地だけ焼いておいて、当日に生クリームとか他のトッピングを作るってのはどうですか……?」と提案する。 「前日までだったら家庭科室の使用は大丈夫だと思いますし、焼いてある生地だったら2、3日ぐらい日持ちすると思うので」 「それだと準備にすっごい人手と時間がいるじゃない?お客の入りも読まなきゃいけないし、結局こっちだけが大変だよね」  ぐうの音も出ない。長峯の言い分は全くもって正論である。ほらな、と先程まで興奮していた殴りかかってきた生徒は完全に馬鹿にしている。 「まぁ、人手があればいいかな。準備、手伝ってくれるよね?」 「え」 「何か文句ある?弁償として、材料費ぐらいはそっちが出してよ」 「それはちょっと……」  当日の方が忙しいとはいえ、やることは山積みであるというのに、今回のゴタゴタまで引き受けていたらさすがにパンクしてしまう。 「まぁまぁ。クラス総出でやれば、なんとかいけるだろ。だけどまぁ、たしかに大変だからな~……ってことで、お前は強制参加な」 「……えっ、いや、それはちょっと……」 「うん、不満はあるけど、それでいいよ。じゃあ近くなったら連絡するから、逃げないでよ」 「はい、話は終わり」と長峯が綺麗に話をまとまめたが、森塚は納得していない。だが、クラス中に漂う『まぁ、それなら……』といった妥協ムードをぶち壊すわけにもいかなかった。 「割に合わないの、俺だけじゃないっすか……」 「ごめんごめん、こう言っとけばアイツらも納得して手ェ出さないでしょ。詳しい話しとこうぜ」  そう言って速水が連れて行ったのは、階段の踊り場だった。まとめなければいけないことも余所に、個人的に聞きたかったことを、速水の顔色を窺いながら聞いていく。 「先輩……。部活、出ないんですか?」 「……顔見たくないだろ?」  笑顔は消え失せ、厳しい顔つきだった。彼が謹慎処分を受けたのは知っていたが、もうとっくに解けている頃だし、然るべき罰を受けたのなら自分から何か言うことはない。 「俺はまた、先輩と一緒に部活やりたいです」 「……無理だろ。俺はお前に許されないことをした」 「速水先輩!」 「もう話しかけんなって。こんなとこ見られたら、風紀の奴らに何言われるか……」  じゃあな、と速水は去って行く。どうしたら彼を引き止められるのか。それも分からず、森塚はその場に立ち尽くしていた。

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