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 9時を知らせる鐘の音。次いで、文化祭開始の花火が上がる。  文化祭一日目は、各クラス出し物のPRをしたり、吹奏楽部や弦楽部、演劇部、軽音楽部などのパフォーマンス祭が行われる。基本全生徒が出席するようになっており、体育館はいつにも増してごった返していた。 「こちら森塚。校内は異常なしです」 『こちら染井~。会場内も異常なしだよ~』 「分かりました。あとはこちらに任せて、先輩たちは文化祭を楽しんでください」 『は~い。頃合い見て戻ってきなね~』  今回ペアを組む染井はそれほど厳しくないので、いくらか気が楽だ。初日はそれほど人の往来が多くないため、委員のほとんどは発表を楽しんでいる。  森塚は校内の見回り担当で、今のところ問題は見つかっていない。そろそろ会場に向かってもいいか、と足を運ぶ、 「……あれ、瀬戸?」 「ッ──!なんだ、森塚か……ビックリした」  体育館シューズを取りに教室へ戻ると、瀬戸が窓際に向かって立っていた。もう全員体育館にいると思っていたから、まだ誰か残っているとは思わなくて驚いた。 「演劇部、発表あるんじゃないのか?」 「あぁ……もうそんな時間だったか。ぼーっとしてて気づかなかった」 「ちょっと探し物してて」と、瀬戸は耳朶を指す。 「ピアス、落としちゃってさ」 「へぇ、瀬戸ってピアスしてたんだ」 「そうだよ。気づかなかった?」 「全然知らなかった。意外とピアスしてるやつって多いよな」  瀬戸の左耳には赤くて丸いピアスが綺麗にはまっていた。真面目で目立たない生徒だと思っていたから、とても印象に残る。 「服装検査には引っかからないようにするから、今日ぐらいは大目に見て」と可愛らしく手を合わせてお願いされると、なんでも聞いてあげたくなる。  さらさらの黒髪に白い肌。子役は成長すると劣化すると聞いたことが、瀬戸は子供時代の美しさそのままに成長している。もし能力者じゃなければ、そのまま芸能界で活躍していたのではないか。 「それはないかなぁ」  バッサリと切り捨てた瀬戸に、多少驚いて目を瞬かせた。 「僕、子役は小学生だけって元から決めてたから」 「へぇー、もったいない」 「そんなことないよ。友達とも遊べないし、よく知らない子からも大人からも役名で勝手に呼ばれるし、どこ行っても視線を感じて仕方なかったよ」 「ふぅん。でも、たくさん友達できそうだし、少し憧れるな」  人気のない廊下を進みながら、お喋りに興じる。演劇部の演目までは時間があるとのこと。 「んー……森塚くんも着飾ったら十分映えると思うよ」  ほら、と瀬戸が急に手を伸ばしてくるので、森塚はギョッとして足が止まった。 「赤っぽい茶髪なんて、狙ってもこんないい色出せないよ。染めてないんでしょう?」  バクバクと心臓が強く拍動するのを放置して、「あぁ……」となんとか返事ができた。 「礼儀正しいし、そういうの現場で結構重視されるんだよ。ご両親にしっかり育てられたんだね」  ノリノリの瀬戸には申し訳ないと思いつつ、森塚はそれどころではなかった。妙に胃がざわつく。食べすぎた時のような不快感、それから急激に手が冷たくなってくる感覚がして、立ち尽くした。 「映画でいい声出てたし、普段の話し声も落ち着いてて僕は好きだな……って、大丈夫?顔色悪いよ?」  不自然に動きが止まった森塚の頬に、瀬戸は不思議そうに手を添えた。 「熱くはないけど、疲れが出たかな」  いよいよダメだ、と心が悲鳴を上げた。 「……悪い、俺、ちょっとトイレに行ってくる」  返事も待たず、すぐに近くのトイレへ駆け込む。一番手前の個室に入り、便座に手をついて、いつそれが来てもいいように待機する。気持ちが悪い。胃の辺りの不快感が続き、どんどん指先は冷たくなっていく。血の気が引いていき、息も荒くなる。  気持ち悪さをなんとかしようと、咳を繰り返しているうちに、胃の奥から内容物がせり上がってきた。 「げ、うぇ……、あ゛…ぅえ゛え…!」  固形ではなく、半液状のドロドロしたものがとめどなく溢れでる。ひとしきり吐いたら、今度は吐けそうで吐けない苦しさがやってきた。これが一番しんどいといっても過言ではない。  えづいて、収まって、またえづいて。ひとしきり吐いて、ようやく気分が楽になった頃には、時間はだいぶ過ぎていた。 「はは……、なんで、」  乾いた声が響く。誰かに突然触れられるのが、少し怖い。どうしたんだろう、と自分の変化に戸惑う。 (最近は忙しかったし……、きっと疲れが溜まってるから)  ざわざわする胃もようやく落ち着いてきた。これで胃炎とかになったら洒落にならないので、今日は早めに寝て次の日へ備えようと心に決めた。  発表会は何事もなく無事に終えることができた。多少ヤンチャなガヤはあったものの、概ね予想の範囲内なので、厳重注意程度で良いとのこと。本番は明日と明後日だ。 「それじゃあ!これから二日間頑張るよ!」  結城の掛け声に、全委員が声を張る。決起集会といっていい。お茶を片手に乾杯していく。打ち合わせも軽く済ませ、あとは思い思いに過ごしている。 「あ~森塚、いいもの食べてる~」 「染井さんも食べます?」 「やった~お菓子ゲット~」  目敏く発見した染井に大人しく食べかけていたポッキーを差し出した。はむっと食べ進めていく染井に、自然と春名や相良といった小動物系の友人の顔が思い浮かぶ。 (相良……そういえば怪我診てもらってから会ってないな)  捻挫はとっくに治っているし、右腕の怪我も多少の痕が残ったものの支障はなくなっているから、別にいいかと保健室からは足が遠のいていた。  明日チラッとだけでも彼に顔を見せておいた方がいいか、と考えていた。 「すみませーん!森塚いますか!」 「はい、はい、どちら様?」 「二年の榎本です!今からクラスで上映会やるんで、森塚もどうかなーって思って!」 「あー、あの子役の子が本領発揮してるって噂のやつ!?」 「えっ、部活でも主役やらないのに、よくOK出したなぁ」  三年の佐伯と松田が口々に騒ぎ始めた。そして、「森塚は何役で出たん?」と聞く佐伯にウッとどもった。 (言えない……モブ中のモブ、名前もないエキストラなんて)  キラキラした瞳が眩しくて余計に言えなくなる。 「ちょっとだけ台詞はありますよ」 「おっほー、期待大!?」 「観に来ないでくださいね!?」 「それは観に来いという壮大な振り……」 「違います!」  なんとか先輩方をいなし、早くー!と急かす榎本ともに教室へと向かった。

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