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教室にはもう既に、クラスメイトがほとんど集まっていていた。後ろの方の椅子に座って待つ。 「それじゃあ二組の作品上映会始まりまーす!」  榎本が音頭を取り、映画が始まる。主役を務めた瀬戸の演技は見事なものだった。素人目から見ても、彼の演技は迫力がありクオリティが高いと気づく。一人だけ経験者だと浮いてしまうと思いきや、練習の成果か脚本のおかげか、出演者全員に不自然さがない。ストーリーも面白く、カッコいい見せ場があって、夢中になって見入ることができる。  中盤、大きな戦闘シーンがあり、ここも見所の一つである。模造刀の持ち方や殺陣のやり方など、森塚も指導に当たったのでよく覚えている。日野原演じる攘夷志士と、瀬戸演じる新撰組の一騎打ちだ。 「やっぱ着物と刀は映えるよなー、ずっと流行りだし」  日野原は舞台映えする顔立ちなのだと思い知った。彼が人気なのも、その顔の良さは大きな要因である。それだけではないと、少しは知っているが、明日一緒に回るのが気まずく感じる。  映画が終わり、自然と拍手が鳴る。自分たちのクラスだという贔屓目はあるものの、遜色ない出来栄えだと感じた。 「ほんっと大変だったよ……、もう感無量……」 「これお客入んなくても、達成感だけで十分だわ」  わいわい騒いでいるクラスメイトたちに話しかけようとして、彼らの話に混ざれないことに気がついた。みな準備が大変だったとことを共有しているが、森塚は風紀の仕事にかかりきりで、まともに手伝えていない。 (どうやって話していたっけ。……分からない、ことばっかり)  盛り上がっているクラスメイトたち。その波に乗れず、一人ポツンと取り残されたような気分になる。  ──ここ最近、どうにも不調な時がある。胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感があるのだ。無意識に左胸のポケットを握りしめていた。そこには、渡辺から送られたピアスが入っている。さすがに自ら風紀を乱す行為は行えないため、いつもポケットに入れている。お守り代わりのようなものだ。  埋めようのないクラスメイトとの距離感は、ふとした瞬間に感じるのだ。腫れ物扱いされていると気付いていたし、面と向かって嫌味を言われることも陰口を言われることも、とっくに慣れていた。だが、ここ最近は自分を受け入れてくれる存在の方が大きくて、勘違いをしていた。 「……森塚?どうしたの?」 「え、あ、いや……なんでもない」 「顔色悪いよ。ちょっと休もう?」  ボーッとしていた森塚に声をかけたのは、沖だった。懇願する様子から、第三者から見たら相当自分がよくない状態に見えるのだろう。 「はい、これ。お金はいいからね」 「そんな、悪いって。ちゃんと払うよ」 「俺の好意を受け取ってくれないの……?」  ウルウルとした瞳に見つめられると、良心が痛む。ありがたくペットボトルの水を受け取り、一口だけ飲んだ。 「ありがとう。もう大丈夫」 「本当?森塚、大丈夫じゃない時も大丈夫って言いそうで心配だな」  そんなことないよ、と言おうとして、やめた。無理に意地を張るのも子供らしくて馬鹿みたいだ。 「本当、ちょっと疲れが出てるだけで、全然元気だよ。……ただ、クラスの準備手伝えなかったから申し訳ないなって思って。みんな楽しそうだから、気後れしちまった」  後頭部に手をあてながら、あははと笑って誤魔化した。すると、沖はサァッと血の気が引いた顔をして、「ちょっと待ってて!」と何やら話し込んでいる榎本たちの方へ行ってしまった。 「ちょちょ、ちょっといい……?森塚、あんまり準備に参加できなくて、寂しがってるんだけど!これ失敗だったんじゃない……?」 「えぇー!?だって委員会の仕事で忙しいだろうから、あんまり困らせんようにしようって言ったの、そっちじゃん!俺は森塚も新撰組で出てほしいって構想してたんだけど?」 「そうだけど……、だってあんなに忙しそうにしてたらさぁ、先に休んでほしいって思うじゃん」  脚本担当の音無は、作品作りに関しては妥協を許さない、生粋の芸術家タイプである。完璧な映画作りのために考えた物語を変更せざるを得なかったことを悔しがった。各々が気を使ったが故の事故が発生してしまったということになる。  そんな会話がされていたとは露知らず。明日に備えて帰路につく生徒が増え、教室にいる生徒は疎らにいるのみだ。  ぼんやり座っていた森塚の側に、瀬戸が「体調よくなった?」と話しかける。 「あぁ、大丈夫……ッ!」 「……うん、まだ本調子じゃないみたい。それとも──何か警戒しているようだ」  グッと近くなる距離に、息が詰まる。 (……バレてない、よな……?)  まるで作り物のような瞳に覗き込まれると、心臓がキュッと縮み上がる。蛇に睨まれた蛙のように何も言えずにいると、「──おい!」と二人の間を日野原が遮った。 「何してんだよ」 「……やだな、森塚くんの体調を気遣ってただけなのに」 「……本当か?」  鋭い目つきの日野原に、そうだと目線で訴える。 「瀬戸は心配してくれてただけだ。お前が仲介に入らなくていい」 「だって、おま──……はぁ、気づいてないのか……?」  え?と思わず立ち尽くした。クラス中の視線が突き刺さる。 「体震えてんだよ、さっきから。そんなんで『なんともない』って言われたって、説得力なんてねぇんだよ」  たらり、汗が流れる。日野原の言う通りだ。自分の状態に気づいていなかった。いや、気づいていながら、極限まで放置していた。 「──……ごめん、トイレ」  ざわざわする教室内に目もくれず、飛び出した。  胃がムカムカして、また戻してしまいそう。ほとんど食事する暇もなかった上に、オープニング祭直前の一件で、胃の中のものは全て吐き出したのだから、戻すものは何もないはずなのに。 「けほ、……ぅええ…、げほ、はぁ……」  絞り出した胃液がポタポタと滴り落ちる。 (こんなんじゃ、明日も明後日もまともに仕事ができない。……どうしよう)  とりあえず楽にはなったので、個室から出て手を洗う。冷たい水で気持ちもリセットされるようだ。弱気になる心を叱咤するように、両頬を強く叩いた。  鏡には、青白い顔をした、なんの変哲もない自分がいた。 「気は済んだか」  走ってきたのか、息が上がった日野原が声をかける。 「なんで、きたんだよ」  こんな顔、見られたくないのに。弱った姿を見られるなんて、屈辱以外の何物でもない。 「寮まで送ってく」 「は?いいって……お前も仕事あるんだろ」 「……放っておけないだろ、そんな酷い顔してるなんて」 「……いいって」 「でも、」 「いいって、言ってるだろうが!」  思わず強い口調で怒鳴ってしまい、自己嫌悪に襲われる。何もかも上手くいかない。余裕の無さと心の弱さが招いた、自業自得だ。  日野原の眉間に皺が寄っていく。呆れられただろう、これだけ我儘を言っているのだから。  泣きたい気持ちをこらえ、前を見る。 「触れられるのは怖いか」 「…………ん」 「触っても、いいか」  日野原はあくまでも優しく森塚の左手首に触れる。カラフルな紐状の腕飾りを巻いていく。 「これ……」 「組紐に誕生石がついてるブレスレット。……お守り代わりみたいなもん」 「なんで俺に……?」 「俺の家に代々伝わってるんだ。お前の誕生月は八月だから、ペリドットの石を」  なんで、と疑問が尽きない。 「俺の誕生日知ってるのか……?」  今まで顔を合わせればお互い喧嘩腰だった。当然、森塚は日野原の誕生日なんて知らない。 「お前が俺の知らないところで傷ついているのを見るのは、もうごめんなんだよ。頼むからもっと自分を大切にしてくれ」  懇願する日野原に、どうしてそこまで親身になってくれるのか分からなかった。全部自分の弱さが招いた事態だというのに、どうして。 『助けて……、やだ、嫌ぁ……!!』 『なんで、こんなこと……』 『君がいながら、どうしてこんなことに……!』 『──────彰人……お前だけ、は、逃げ、……て』  幻聴のように聞こえる断末魔と、事切れる寸前の兄の声。頭にこびりついて消えない、自分の罪そのもの。  ──守れなかったものが、たくさんある。それは『後悔』という概念で、いつまでも纏わりついて離れない。 「寮まで送ってく。鞄持ってくるまでちょっと待ってろ」  日野原が持ってきた鞄を持って、彼の隣に連なって歩く。一言も話すことはなく、無言のまま。しかし、不思議と嫌な感じはしない。 「また明日」  ものの五分程度で部屋まで辿り着き、日野原は去っていく。明日どこ回るだとか、そんな話もしていない。形のない約束は、不安だ。それが確かなものであると誰にも証明できないのだから。 (……ダメだ、もう今日は早く寝た方がいい)  このままグルグル考えていたって、いい活路は見いだせそうにない。飯もろくに摂っていないというのに腹が減る気配はなく、今にも眠りそうだ。  なんとか風呂を済ませ、布団の中に潜り込む。もはや習慣になった目覚まし時計のセットをしてから、ゆっくり目を閉じた。

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