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 たっぷり寝たおかげか、目がとてもスッキリしている。身支度を整えスタッフ用のシャツに腕を通した。少し早いが、昨日の昼から何も食べていないので、さすがに腹が減って、食堂へ向かうことにした。 「……あ」 「……よう」  玄関を開けたらそこには着替えた日野原がいた。なんで?とあからさまに疑問を呈した森塚に、日野原はなんとも言えない表情で「体調どうだよ?」と問う。 「腹減ったから食堂行こうと思って」 「じゃあ俺も」  そのまま無言で足を進める。何かを言おうとして、しかし考えがまとまっていないのか、すぐに口を閉じる。そんな日野原の様子を、焦れったく感じた。 「~~……あ~……っと……、……なぁ!もう昨日のことは忘れて!今まで通りにしてくんねぇかな!?」 「………………あぁ?」  多少無理があるものの、努めて全力で明るい声を出す。不満タラタラで物凄く眉間に皺を寄せている日野原に内心ビビっているが、気丈に振る舞う。 「昨日はたしかに体調ヤバかったけど、もうバッチリだから。日野原が心配するほどじゃないから」 「……本当か?」 「本当ほんとう。あー……腹減ってしょうがないわ。早く食堂行こうぜ」  虚勢でもなんでもいい。いつも通りの日常でいられるなら、それでいいのだ。意図を汲み取ってくれたのか、諦めたのかは読めないが、「……そーかよ」と言ったっきり彼は何も話さなくなった。  朝は卵かけご飯と味噌汁、焼き鮭と和風な食事だった。カチャカチャと卵をかき混ぜる音が、静かな食堂に微かな音として聞こえる。会話はあまりないが、不思議と気まずく感じることはなかった。 「それじゃあ、またあとで」 「あぁ」  去り際に、「一時。 昇降口のところで」と一言。たったそれだけ、言葉を交わして日野原とは別れた。  早めに風紀室に向かい、端末や当日に向けて改善しておいた資料の確認を行う。 「おはよ、早いな」 「おー、昨日それどころじゃなかったから」 「体調はどうだ?」 「ぼちぼちってとこ。今日はもう大丈夫」 「ならいいけど……あれ、腕時計洒落てるじゃん」  なんか変えた?と日浦が指差した先には、昨日、日野原がくれた腕飾りがある。あ、と思った時には遅かった。腕時計と一緒に撒いておけばバレないかなと思っていたが、さすがにそうはいかない。 「今日ぐらいは見逃してくれないかな、山倉さん」 「あー……、まぁいいんじゃないか?」  普段だったら絶対ダメだけど、と日浦は茶化す。朝、着替える際に、どうしても目に入って、気づいたらつけていた。 (お守り代わりだって言ってたし、……なんか手放せないんだよな)  細い紐が何本も編み込まれ、綺麗な模様を作っているブレスレットを眺めていた。 ◇ 「たこ焼きはどーですかー!そこの人!オマケするよー!」 「三年三組、お化け屋敷やってまーす!今なら並ばないで入れまーす!」  文化祭が始まって二時間ほど。客の呼び込みにも熱が入る。森塚の持つ端末にも定期連絡が随時上がってくる。順調そのもので、騒ぎらしい騒ぎは起こっていない。  13になる歳から親元を離れ、外界とは切り離された生活を送っているから、こういう行事の時、誰もが生き生きとした表情をしている。協力しながら出店を担当する生徒や、大声で呼子をする生徒、友人と写真を撮り合う生徒など、楽しそうに過ごしている。  そろそろ風紀室へ戻ろうか、と歩いていた森塚に、「おーにーいさーん」と白衣姿に看板を持った朝日がニタニタと笑みを浮かべながら声をかける。一人でいるなんて珍しい、と思いながらも、彼が白衣を着ている時は大体部活中である。 「やぁやぁ、森塚よ。今、暇かい?」 「見ての通り仕事中」 「あれまぁ、なんてこった。ちょっくら休憩しようぜい」 「ちょっ、こら……!引っ張るな!」  問答無用、と朝日は聞く耳を持たない。元々朝日は周りをあえて見ない性格であるのだが、ニヤニヤと何かを企んでいる笑みの彼に、寒気を覚える。 「はい、はい!一名様ごあんな~い!」  朝日に手を引かれやって来た場所。それは発明部の出店だった。しかし、空気がこう……明らかに違う。 「え……客?来た?本当に?」 「邦枝~おま、無理矢理連れてきてないよな?」 「そ~んなこと、俺はしませんよう!」  話が読めないが、なんとなく察することはできる。たしか科学部は出店を申請していた。そして、ここは受付がある正門から校舎へ一直線に大きな道がある。両端にそれぞれ出店があるのだが、立地的にどうしても当たり外れはある。科学部は外れを引いてしまい、客の入りが悪いのだろう。 「そうそう、それもあるんだけどさ~。ちょっとこれ、飲んでみてよ」 「この泥水を?」 「ちっがーう!泥水じゃない!滋養強壮のス・ポ・ド・リ♡飲んでみてよ」  朝日はどう見ても人が飲んでいい色をしていない液体をグイグイ押し付ける。チラリと視線を朝日に向けると、その後ろに祈るようにこちらを見る朝日の先輩たちがいる。引くに引けない状況になってしまった。  ごくん、と生唾を飲み込んで、一口だけ口に含んだ。が、苦い。苦すぎて、思わず吐きそうになる。 「ダメダメ!一気にいっちゃって~!」  朝日が森塚の口を両手で塞ぎ、吐き出そうにも吐けなくなる。目を白黒させて何とか飲み込んだ。 「どう?どう?美味しい?」とキラキラした目で聞いてくる朝日に、「ふっつーに不味いわ!」と叫べたのは、救世主の水を飲んでから数分後であった。 「……で?あんな劇物を配って、科学部は何をしでかそうとしていたんでしょうか」  正確には科学部というより、邦枝朝日の独断専行なわけだが。 「いやぁね、毎日ブラックに働く教師どもに売って荒稼ぎできんかなーっと思って」 「売り上げの方は」 「ぜーんぜん!予算オーバーよ」 「だから、嫌がらせ」と、してやったり顔の朝日に、巻き込まれた先輩方の苦労が窺える。 「すみません、よく言って聞かせますんで」 「あはは……まぁインパクトあったら、パフォーマンスとしてはいいかな……」  苦笑いしているが、本来の目的を忘れているのでは。恐ろしくて指摘できないが。  水を飲んでようやく口の中のイガイガ感はなくなった。 「ごめんごめんって、お詫びにこれどーぞ」 「なんだよ、これ」 「森塚が一番欲しいも・の」  何かがズボンのポケットに突っ込まれる。透明な包み紙に包まれた飴玉は、ビー玉のようにキラキラしている。なんだこれ、と高く掲げて、マジマジと見つめる。 「さっきのゲロまずドリンクの飴玉バージョンさ。一粒舐めれば、疲れも痛みも吹っ飛びー、ただし一日後の筋肉痛がヤバい諸刃の代物でござい~」 「普通にこっち売った方がいいんじゃないか?」 「ところがどっこい、怪しすぎるって禁止されちまってよう。もう俺らは今回ダメだわ」  効果は抜群かもしれないが味に関しては全く極められていないので、『売れるには難しい&副作用があるものを売るな』というお達しだそうだ。  暇になった朝日が悪戯に目が向かないよう、気をそらす必要がある。 「心配しなくても、文化祭でまで暴走はし~ま~せん!」  ぷん、とそっぽを向いてしまった朝日の機嫌を直そうと音頭を取っていたら、あっという間に時間は過ぎてしまった。

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