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「一組はお化け屋敷だってよ」  パンフレットを片手に、移動する。一組は隣接する空き教室を繋ぎ、お化け屋敷と迷路を合体させた迷宮戦慄だそうだ。 「あそこなんだけど……ッ怖!?本格的すぎじゃん!?」  おどろおどろしい雰囲気に、明らかに暗く崩れ落ちそうな教室の壁。こんなに古めかしい建物じゃないはずなのに、そう見えてしまう。 「ほー……さすがじゃねぇか。優秀な幻覚能力者がいるんだな」  能力の一つ『幻覚』は、その名の通り他者に幻覚を見せる能力だ。使い手のレベルが高ければ高いほど、高度な幻覚を見せることができる。相手を混乱させることもでき、無傷で犯人を捕らえたり、また興奮する人間を落ち着かせることも可能で、現場を問わず重宝される。  高野も幻覚能力者なので、張り切ってホラー映画を見ていたのだが、まさかここまでとは思っていなかった。 「あれ、日野原久しぶり。来てくれたん?」 「俺は付き添い」  こいつの、と日野原は森塚を指す。短く刈った髪が健康的な少年の印象を与える。日野原と顔見知りらしく、何やら親しげに話し始めた。  どこかで見たことがある顔だな、と思っていると、白石の紹介をしてくれた。 「森塚、こいつ白石。中等部ん時に同じクラスだったんだよ」 「どうも、白石です。森塚って君のことか」  そういえば、もう一つ気になることがあったのだが、大体名乗る人は『森塚って君のことか』と納得していることが多い気がする。そんなに名が知れているとは思っていないが、実際はどうなのだろう。 「もう入る?」 「混んでるなら後でいいぜ」 「んー……ちょっと待ってて」  奥に消えていった白石を廊下の端っこで待つ。数分後、指で丸を作った白石が笑顔で駆けてきた。 「今だったらいいぜ。ラッキーだな、空いてる」 「はい、これ持って」と白石は日野原に提灯を手渡す。 「いってらっしゃーい」  にこやかに手を振る白石に、森塚もつられて手を振り返す。暗闇というだけで、知らない空間のように思える。ゆっくりと足を進め、目を凝らす。  提灯の明かりはぼんやりとしていて、照明のようにパキッとしていない。境目の分からない僅かな明かりを頼りに進んでいく。 「お皿がいちま~い……にま~い……、さんま~い……」  不穏な声が聞こえてきた。お化け屋敷なのだから当然BGMも心細さを煽るようなものになっている。 「皿をなくしたのは………………お前かーーー!!!!」 「ひッ……!」  お菊さん扮する男子生徒が迫真の演技で脅かしてくる。メイクも衣装も、プロが作ったのではないかと思うほど、クオリティが高い。 「うわッ…、ギャーーーーー!!!!」  思わず叫んでしまった。しかも驚きすぎて腰を抜かした。 「やった、やった!大成功!」と喜んでいる生徒に目もくれず、思い切りぶった尻を労わる。 「だ、大丈夫か……?そんな怖かったか?」  森塚のあまりの驚き加減に、日野原は若干引いている様子で手を差し伸べた。 「ありがと……」  痛みで若干涙目になったが、なんとか気持ちを変えるが、まだ序盤でこれとは先が思いやられる。  お化け役もだが、幻覚能力者たちの本気度が凄い。本物にしか見えない廃館をゆっくり、ゆっくり進んでいく。 「ちょ、おい……おま、離せってば」 「……え?なに?聞こえんからっ」 「だから、近い、……うわぁ!?」 「ギャァァー!!」  ほぼ日野原に抱きつく格好になりながら、何とか歩く。まるで子鹿のような森塚を鬱陶しそうにしながらも、しかし決して突き放すことはせず、二人揃って迷路を進む。 「無理だな……、むり、むりだわ」 「あともうちょっとだから、シャキッとしろって!」  やや言い合いになりながらも、なんとか進んでいく。正直お化けの類は得意でないので、すぐにでもギブアップしたい。だが、一人で挑戦している訳でもないのと、「時間があったら見に来て」と張り切っていた高野の期待に満ちた表情を裏切ることはできない。  自分一人だけなよなよした態度をしていると思うとなんだか悔しくて、震える足を叱咤して何とか進んでいく。 「ほら、最後のポイントだから、頑張れって……」  段々と尻すぼみに日野原の声が小さくなっていく。日野原の制服の裾をしっかり握って、地面だけを見ていた森塚は、渋々といった様子で顔を上げた。 「……え」と間抜けな声が漏れる。あとは左に曲がれば出口、というところで、足が完全に止まってしまった。  人間、驚きすぎると何もできない、声も出せないというが、それは本当で、目の前にゾンビの群れがたくさんいる。  しかも、追ってくる! 「無理、無理だぁー!!」  完全にパニックになった森塚は、日野原の背中を押しながら走る。当然驚いたのは日野原の方だ。  普段嗜めるのは森塚が多いのだが、完全にパニック状態の友人に、日野原は「おち、落ち着けって……!」と声をかける。  という間にもゾンビはめげずに二人の背中を追いかける。  走る。必死で走る。あと50メートルほどなのに、その距離が長くかなり長く感じるのは何故か。 (なんでもいい……早く明かりがある方へ……!)  外の光が漏れている扉を勢いよく開け、教室から飛び出る。バタン!やらドシン!やら音がして、近くを歩いていた生徒らは音のした方へ視線を向ける。 「い、たた……あれ、柔らかい……?」  しかも、ふにふにしている……?どういうことだ?と冷静になってよく周りを見てみると、……いる。下に何かが、いる。 「……おい、お前ぇ……」  声のする方。つまり下からだ。おそるおそる視線を向けると、それはもう非常にお怒りの日野原がおりましたとさ。 「ヒェッ」と喉が鳴った森塚に、「早よ退けぇ!」と日野原がやや強い口調で退くように怒鳴る。 「悪りぃ、痛くなかったか……?」 「……別に。んなに怖かったんなら、先に言ってくれればよかったのによ」  日野原は埃を払いながら、そう言った。  いや、そんな怖くないと思ったんだよ、と言おうとした時、周りの景色が視界に入った。 「日野原先輩、大丈夫ですか……!?お怪我はありませんか!?」 「ん?あぁ、大丈夫。こんなの、なんでもねぇよ」 「でも、結構勢いよく倒れてましたし、打ち身にでもなったら大変です……!」  日野原の周りに可愛らしい生徒が心配そうに声をかけている。一年生だろうか、小柄で大きめのセーターを着こなし、自分の武器を惜しみなく表現している。 「大丈夫だって、ほんとに……あ、悪い。電話……」  断りを入れてから、日野原は携帯を耳に当てる。 「えッ!?今から……ですか?いや、俺まだ休憩…………あぁ、もう、分かりました分かりました、今すぐ行けばいいんですよね!?」  乱暴に通話を終了し、「わりぃ、急用ができた」と申し訳なさそうに手を振る。 「また時間あったら」  それじゃ、と日野原は急いで行ってしまった。

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