61 / 65

11

 時計を確認すると、そろそろ休憩時間も終わる。一度風紀室に寄ってから、また仕事に戻ろう。ふと視線を感じて顔を上げると、先ほど日野原に詰め寄っていた生徒が、じっとりと森塚を見ていた。  ギョッとした森塚を、可愛い系の生徒が詰め寄り壁まで追い詰める。 「あの……、なにか」 「……なんで日野原さまはお前みたいな平凡な奴に夢中なんだ!」  ドンと握った両手で胸元を叩かれる。背丈の差でちょうど硬い部分になるので、痛くも痒くもなかったが、周りの視線が今度こそ汚ならしいものを見るものになっている。 「お前みたいなの、俺は認めないからな!」  自分より小さい生徒に噛み付かれても、子犬がじゃれてくるようなものなので、ダメージは少ない。──だけど。 「確かになー。アイツちょっと目立つ奴らと仲良いからって、調子乗ってるよな」 「いつもうるせーし、風紀には向いてないべ」 「つか、なんで森塚が風紀なわけ?別に能力すごいわけでもないだろ?」 「コネだコネ。山倉先輩のお気に入りだから──……」  場所が悪かった。人気のお化け屋敷がある通路は、かなり人通りが多い。必然的にさっきの押し倒し事件も多くの生徒に目撃されているわけで。ただでさえ普段からやっかみを受けているというのに、さらに話題を提供することになってしまった。  ひそひそ話や、こちらをチラチラと見る視線も気になるが、あれきり黙ってしまった生徒のことも気になる。 「俺の方が……俺だって前から先輩のこと好きだったのに~……」  さめざめと泣く生徒に、さすがに周りの視線が鋭いものになっていく。このままここにいるのは目立ってしょうがない。どこか隠れる場所……っていっても、何もない。 「あの、ここだと目立つし、別の場所に」 「お前なんかの!手ほどきは受けないんだからな!」  キッと睨みつけてくる生徒に、どうしようかと頭を抱えたくなる。 「あれ、森塚?まだいたの?」 「! 白石……、ちょっと相談が」  はてなマークを浮かべる白石に、近くに静かな場所はないか尋ねる。「それだったら」と白石は快諾して、一組が準備室として使用している教室まで連れていく。 「ここだったらいいんじゃない?」 「サンキュ、しばらく借りるかも」  端っこの方にまとめておいた丸椅子を一個持ってきて、小柄な男子生徒に座るように促した。まだポロポロと涙を流している生徒に、これからどうしようか、と若干頭が痛くなってくる。  水道水で濡らしたハンカチを差し出したら、渋々といった様子ながらも受け取ってくれたので、少しは冷静になったのだろう。 「どう、楽になった?」 「……ありがとうございます」  白石が生徒に声をかける。その間に風紀室に待機中の委員に連絡だけ入れておこうと端末をポチポチ文字を打っていく。 (すこし遅れる、から、その間、よろしくお願いします、と……)  すぐに染井から可愛らしい猫のスタンプが送られてきた。染井の能力はテレパスなので、受信能力が高い。本人曰く、なんとなく連絡が来るタイミングが分かるそうだ。  返事を打っていると、生徒が「一年、二組……美波、です……」と名前が聞こえた。  一旦連絡は中断し、二人の様子を窺う。  濡れたハンカチを目に押さえ、美波は俯いたままだ。だが、しばらくしたら気持ちがようやく落ち着いたようで、小さく「ありがとうございました」と口にする。 「お礼なら、森塚に言ってあげて。俺は何もしてないから」  ほら、と白石は森塚を指差した。美波はぐむむと不満げに唇を噛んでいたが、たっぷり時間を置いて「………………ありがとうございました」と頭を下げた。森塚も釣られて頭を下げる。 (根は悪い子じゃないんだろうなぁ……)  ぼんやり考えていると、「調子乗るなよ!」と台詞を捨てて美波は去っていった。嵐が過ぎ去った時のように、ドッと疲れを感じる。 「お疲れ。……でいいのかな」  苦笑しながら白石は缶コーヒーをくれた。ありがたく受け取る。甘ったるい液体で喉を潤すと、脳細胞に染み渡る感覚が心地いい。 「だいぶ苛烈な子だったな」 「あはは……、まぁ悪い奴ではないと思うよ」  多分、と語尾につくけど、わざわざ言うのもエネルギーが持っていかれる気がして、口を動かすのも億劫になる。  缶コーヒーを飲み終わると、白石がずっと自分を見ていたことに気がついた。  はてなマークを浮かべていると、「森塚とは一度話してみたかった」と笑う。  少し眉を下げて笑うのが、誰かに似ていると思った。しかし、すぐ先まで出かかっているも中々言葉にできない。 「昔からアイツ、変なのに好かれることあったけど、あそこまで熱烈なのは初めて見たな」 「へぇー、やっぱり日野原って、その……モテるの?」 「久しぶりに聞いたわ、それ。まぁ誕生日には、どこからともなく真琴の好物が届けられるのを見てきたから、そうなんじゃない?」 「お裾分けー」と白石からまたまたチョコ菓子をもらった。コーヒーやら菓子やら餌付けされている気分になる。  ジッと横顔を見ていると、その輪郭に記憶の中の人間と重なることに気がついた。 「……なぁ、白石って、もしかして兄弟いる?」  一瞬キョトンとした白石だが「え、よく分かったね?」と目を丸くした。 「三年の五組にいる、すっごい派手な先輩なんだけど、似てるなって思って」 「すごいすごい、ドンピシャ。あれ、うちの兄貴」  クレープ作りの際に、お世話になった先輩。名前も白石だった。一番似ているのは、目元だな、と思う。目鼻立ちがくっきりしていて、化粧映えしそうな顔立ちである。 「系統が違うから自分たちから言わない限り、あんまり気付かれんのよ。よく気づいたね」 「あ~……、山倉さんに叩き込まれたからさ……」  風紀委員の心得として、山倉からは『他者をよく観察すること』を徹底的に教え込まれた時の癖が抜けないのだ。 「俺の名前、慎二っていうから、そっちでよんで」  派手でチャラい先輩の名前は、一斗というそうだ。 「森塚は兄弟いるの?」  一瞬、時が止まった気がした。  兄弟。確かに自分には兄がいた。もう会うことはない。きっと、これからも。最後に彼の姿を見たのは、夢だ。夢で見た最後の姿が、頭からこびりついて離れない。 「……ッ、は、ぅぐ…」  ガタンと大きな音がした。それが自分が膝をついた音だとは、客観的に気づくことができたが、それまでだ。心臓が痛い、気がする。呼吸がうまくできなくて、苦しい。声が遠くなっていく。  心臓が壊れそうだ。そんな風に、他人事のように思う。  このままおかしくなってしまうのでは、と不安が鎌首をもたげたが、視界に入った赤い色に気がそれた。それが結果的に良かったのかもしれない。  赤い色。日野原がくれたブレスレット。  今日の楽しかった記憶の方が勝って、どこか安心できる。  しゃがみこんで胸を押さえていたが、少しずつ呼吸のペースが安定してくる。白石が森塚の背中をさすっていた。 「ありがとう、もう大丈夫」 「本当?無理しないでよ」 「人は案外簡単に死ぬからさ」と慎二は苦言を呈す。ドキっと心臓が跳ねた。茶化しているわけでもノリで言っているわけでもない。  もしかしたら、慎二は誰か親しい人を亡くした経験があるのかもしれない。  そして、実はこの学園では、そう珍しくもない事情でもあることを重々理解している。  ジッと見つめながら考えていると、「そういうの、勘違いされるからやめときな」と苦笑いしていた。  慎二は距離の詰め方が上手く、話しやすい。 「彰人って呼んでいい?個人的には、仲良くなれたら嬉しいよ」  右手を差し出されて、自然と手に取った。随分長く話していた気がする。腕時計を見ると、もう休憩時間はとっくに終わっていた。  サッと血の気が引く。 「ごめん、俺行かないと……!」  焦りながらバタバタと椅子を片して、急いで仕事に戻る。  まだまだ見たいものはたくさんあったけど、自分の時間より仕事を優先している生徒もいるのだ。短いとはいえ、たくさん楽しんだので、頑張って働こう。  その後は、やはりトラブルは大なり小なり起こるもので、そのクラスのフォローに入ったり、茶々を入れてくる生徒をいなしたりといったことをしていると、二日目は終わった。体感的にはあっという間だけど、色んなことがあった。

ともだちにシェアしよう!