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なんだかドッと疲れが出た。風呂に入るのも精一杯で、半分寝ながらなんとか身なりを整えた。
さすがに今日は勉強する気にはなれない。ベッドに寝転がり、少し休む。
(……寝そう…………)
横になっていれば、自然と瞼が下りてくる。まだ寝るには時間が早い。勿体ない気がして、なんとか体を起こした。
最後、三日目は一般の客も来場する。なるべく安全に楽しんでもらえるよう、今まで以上にしっかり仕事をしなければ。ここが踏ん張りどころだ。
「……あ、確認しとくか」
独り言、多くなったな、と思う。今までだったら、部屋でも渡辺と喋っていたから、ずっと黙っているのが変な感じがする。
携帯の連絡帳を開き、とある連絡先に目が止まる。
本当に、すごく久しぶりにこの名前を見た。話すのもほぼ三年ぶりという、下手したら自分の存在なんて忘れられているかもしれないと不安になるほど。緊張しながら連絡先をタップすると、コールがきっちり三回鳴ってから「……はい」と掠れた声が聞こえた。
「久しぶり、元気?……うん。こっちは変わりないよ。明日、マジで来てくれるんだな……」
和やかな会話が続く。初めは緊張していたけど、話し始めてしまえば全然関係なかった。
声を聞くのは久しぶりだけど、向こうから連絡が来たのは三月の春休みで、そこからやり取り自体はしていた。
「うん……、そっか、……はは、いいと思う」
話しているうちに、どんどん思い出が溢れてくる。別に今話さなくてもいいのに、関係ないことも話したくなる。
「それで、……あれ、ごめん。誰か来た。……あ、いいよ、このままで……、はいはい、だれー……って」
「やぁやぁ、森塚くぅん。元気してるぅ?」
「なになに、電話ぁ?森塚も隅に置けないですな、あーさひ」
「そうですなぁ、いーづき」
時間も時間なので完全に油断しきっていた。用事はすぐに終わるだろうと電話の相手に一言断りを入れてから、部屋のドアを開けると、やけにテンションの高い邦枝兄弟がいた。
「お前ら、わざわざ何しに来たんだよ」
二人と話すのは面白くて楽しいが、エネルギーをかなり消費するため、体力と気力が底を尽きかけている今、かなり大変である。開きかけのドアから滑り込むようにして伊月の顔が近づく。
「俺のとこ~なんで来てくれんかった~の~?」
全体重を乗せて絡んでくる伊月に、「今、電話中だから」と軽く押しのける。
「ひっどーい。白状だなー、森塚の野郎」
「いいから、要件を話せっつの」
少々強い口調になってしまったが、二人は特に気にしている様子はない。いつもこんなノリになるので、二人との関係は『悪友』という言葉が合う。
「電話中だから、い~い~。だ、け、ど!時間あったら、我らが五組のクラスにも遊びに来ること!」
ビシッと人差し指を立てる伊月と、勝手に冷蔵庫の中身を漁っている朝日に「分かったって」とあしらい、なんとか引き下がってくれた。
「ごちになりま~す」
「はいはい、倍にして返せよ」
飲みかけの炭酸飲料をゲットした朝日は非常に機嫌良く、にっこにこの笑顔でペットボトルを高らかに掲げた。伊月もやっと帰るモードになったかと思いきや、くるっと振り返り壁にもたれかかった。
「和泉、最近どう?」
「え、和泉?特に変わらなかったと思うけど」
「そっか、……俺ら最近顔見てないから分からんくてさ。和泉はさ、仲良かったじゃん、渡辺と」
「落ち込んでるかと思って」と伊月の深い藍色の瞳は全てを見透かしているようで、森塚は思わず口を噤んだ。
「ま、知らないならいいけどさ」
邪魔したな、と伊月は部屋を後にした。同じく帰ろうとしている朝日に「伊月、怒ってる……?」とおそるおそる聞いてみる。
「あぁ、あれは眠い時の状態だから、そんな気にしなくてもいいと思うぜ」
「そうか……?」
「あとは、そうだなー……最近お前と話せてないって愚痴ってたから、単純に嫉妬してんじゃないの」
言うべきことは言ったというように朝日は「そんじゃおやすみー」とあくびを一つしながら部屋を去っていった。
「伊月、待てってば……早いよー」
クルッと振り向いた伊月は不機嫌そうに眉を顰めている。
「そんなに構ってもらえないのが寂しかったー?」
よしよし、と頭を撫でようとするも、伊月はそれを乱暴に振り払う。
「森塚も今は風紀で忙しいだけだってー。また遊んでくれるよ」
「そういって、お前だけちゃっかり遊んでんじゃん。あいつは俺らのオモチャでしょー?」
散々な言い分だが、天邪鬼な邦枝兄弟の最大の照れ隠しなのである。腕を組んで頬を膨らませる伊月に、朝日は「しょうがない奴だなぁ」と目を細めた。
「明日また遊びに誘おうぜ。隈酷かったし、疲れ溜まってんだよ、きっと」
「うーん……」
「なに、どうしたんだよ?伊月……」
「……森塚の電話相手、女だった」
朝日は目を瞬かせた。
「女って……、お母さん?でもあいつ、母親いないって言ってなかった?」
「え?俺は父親がいないって聞いたけど……──じゃなくて!すっごい若い女の声だったー!」
朝日の脳裏には何かが引っかかったが、それよりも森塚が女性と話していたことの方が気になった。
「えー、うっそマジでー?」
「俺の耳を疑うなよ。マジのマジ、森塚も隅に置けんなー」
二人の興味は森塚の電話の相手に向いていた。
という会話がされていたのを森塚本人が知る由もなく。
まだ電話が続いていたことを思い出し、また話をし始めた。といっても、明日の文化祭に来る予定なので、それほど長くは話さなくてもいいか。軽く雑談を重ね、電話を切った。
携帯を机に起き、冷蔵庫から飲みかけのペットボトルのお茶取り出した。口をつけながら考えるのは、電話の内容ではなく、伊月の言葉。
(春名……なぁ。うーん……いつもと変わらなかったと思うけど……どうかなぁ)
机に頬杖をつきながら、目を閉じながら考えた。今日会った時も、変わった様子はなかったはず、と和泉の顔を思い浮かべる。
和泉と渡辺は中等部一年の頃に同じクラスで、それからお互い仲が良かったと聞いていた。
そういえば、確か二年の頃だっただろうか、二人の間に流れる空気が変わった気がしたのを覚えている。さりげなく聞いてみたこともあったが、はぐらかされたので、それ以上追求することもなかった。
自分のことばかりで和泉のことを気にもかけていなかった事実に、森塚は頭を抱えたくなった。
『春名のこと、守ってやって』
「……うん、守るよ。みんなのこと、守れるくらい強くなるって、決めたから」
机に置いてある写真立てを手に取る。この写真に誓って決めたのだから。
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