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ご注文はラブですか? #2

その場で固まったまま、牧は動くことができなかった。 ナルミちゃんという美容師をしている女の子を紹介してもらうために、今日は早起きして、おしゃれもして、デートの聖地とも言われている大型テーマパークである『ワンダー・キングダム』へと遥々やってきたというのに。 待ち合わせの、入場ゲート前。 土田の彼女のショーコが連れてきた人物は、どこからどう見ても男だった。 それともナルミちゃんは、たった一晩で性転換をしてしまったんだろうか。 隣に立っている土田を横目で見ると、土田も土田で「あれれ~? おかしいな~?」とどこかの名探偵の似てない物真似をしながら、冷や汗をたっぷりかいていて。 この様子を見ると、悪ふざけで牧をからかおうとしていたわけでもなさそうだ。 「つっちー君? ちょっと、いいかなぁ?」 牧は不自然な笑顔を顔に貼り付けて、半ば強引に土田の腕を引っ張る。 両手でアルファベットのTの字を作りながら「タイム!」と叫びたいのを我慢して、お互いだけが聞こえる声で囁き合う。 「おい。美容師のナルミちゃん、紹介してくれるんじゃなかったのかよ」 「あ…、いや、確かそのはず…なんだけど……」 もしかしたら今のは聞き間違いだったのかもしれない。 そう思い、土田は再び今日初めて会う男へと向き直る。 「あの、悪いんだけど…。もう一度、名前を聞いてもいいかな?」 「あ、はい。鳴海、といいます。音が鳴るの『鳴』に、さんずいの『海』と書いて、ナルミと読みます」 「な、鳴海くんは…ちなみにご職業は……?」 「美容師です。あ、ショーコさんには、いつもお世話になっております。うちの常連さんなんですよ」 挙動不審な土田の態度に嫌な顔ひとつ見せず、鳴海と名乗った男はにっこりと爽やかな笑顔で名刺を渡す。イケメン君は、どうやら中身までイケメンらしい。 土田の手に収まった名刺を、牧がその後ろから覗き込む。 美容室『meteorite(メテオライト)』…ヘアスタイリスト…鳴海…。 とりあえず、美容師の鳴海という人物は実在しているらしい。――男だが。 だとしたら、なぜ相手が男だということを土田は知らなかったのか。 不思議に思っていると、ショーコがセミロングのきれいなストレートヘアを揺らしながら、屈託のない笑顔で二人の会話に割り込んできた。 「もう、つっちーったらさっきから質問ばっかして。お見合いするの、つっちーじゃないでしょ? ほら、鳴海ちゃんも困ってるじゃない」 ――ナルミちゃん。 鳴海をちゃん付けで呼んでいるのを聞いて、否が応でもピンときてしまう。 おそらく昨日の電話でもそう呼んでいたから、土田も必然的に相手は女性なんだと勘違いしてしまったのだろう。 何とも紛らわしい。男をちゃん付けで呼ぶなよ、ショーコ…。 しかし、ショーコはもちろんだが、鳴海も「男に男を紹介してデートする」というシチュエーションに対して何も疑問に思わなかったのだろうか。 ショーコは鳴海が男だとわかっているなら、男である牧を誘う時点でおかしいのだ。 ……ん? ちょっと待てよ? ふと、とある原因に思い当たり、恐る恐る顔を背ける。 いやいやいや、まさかそんなこと。しかし、あり得ないことでは…。 牧は嫌な予感しかしなかった。 そしてその疑惑は、次のショーコの一言で黒と判明することになる。 「ところで、マキちゃんはまだ来てないのかな? つっちーのお店のスタッフさんで、マキっていう恋人募集中の女の子を鳴海ちゃんに紹介するんだったよね?」 ――やはり、そう来たかあああ……! 予想通りの展開に、頭の上に大きな石がずどーんと落ちてきたようなショックを受ける。 体は大人、頭脳は子供と言われる牧でも、たまには推理が当たるときがあるらしい。 すっかり忘れていたが、牧という名字は女性名のマキという名前と響きが同じことから、よく女に間違えられることがあったのだ。 「マキちゃんどこかなぁ、迷子になってないかなぁ」と心配そうに辺りをきょろきょろ見回すショーコ。 そんな彼女と、その隣の鳴海に向かって、牧は気まずそうにそっと小さく手を挙げて。 「……どーも、マキです。牧場(まきば)の『牧』で、(まき)…です」 そのとき牧は、自分の周りの空間だけ時間が停止したような思いだったという。 たっぷり5秒間の沈黙のあと。 ショーコは「えええええっ!?」と大きな声で驚き。 遅れて、土田は「あちゃー、そういうことか…」と手を額に当てて溜め息をついた。 「どうしよう、つっちー。私、マキちゃんて女の子だと思っちゃって……」 「俺のほうも、牧に紹介してくれるっていうから。当然のように相手が女子のつもりで話進めちゃって、ごめん…」 「マキちゃんが本当は男の人なら、そう言ってくれればよかったのに」 「ええっ、それすげえブーメランなんだけどショーコちゃん…。てか、知ってるんだと思ってたんだよ。最初に、俺のいるショップにマキって人いるよねって話をしてきたからさ」 「それは、つっちーたちスタッフの写真をSNSで見て…。そこにマキって名前書いてあったから、そこに写ってる女の子のどれかがそうなのかなって……。昨日カラーしに行ったら鳴海ちゃん、つき合ってた人と最近別れたって言うから私、元気出させてあげたいなって思ったの」 「……うん。ショーコちゃんのそういう優しいところ、好きだよ。でも男の人にちゃん付けするのは、時には紛らわしいこともあるのはわかるよね?」 「ごめ……。でも、私が好きなのはつっちーだから。鳴海ちゃんとはただの美容師と客だし、本当に何もないからね?」 「いや、そこは別に疑ってないからね、俺? ちゃんとショーコちゃんに愛されてるのわかってるし。……そういう話じゃなくてさ、仲がいいのは別に構わないし、ちゃん呼びしてもいいけど、それなら一言男だってこと教えといてねってことなんだけど」 「うぅ……だからごめんてば、つっちぃー…」 土田とショーコのそんなやり取りを、牧たちは少し離れた場所から遠巻きに見ていた。 一組のカップルが、何やら険悪なムードになってしまった。 しかも、自分たちの名字が女の子の名前みたいだったからうっかり間違えましたとかいう、まるで出来の悪いコントみたいな話で。 そんな馬鹿げた理由でいちいち揉めるなんて、やめてほしいのだが。 ほら、ショーコなぞ今にも泣きそうな顔になってるじゃないか。土田はショーコを責めているわけでもないのに、何やら話がこじれてしまっているようだ。 ショーコに限らず、ただでさえ女は話が面倒くさい。 それは、牧がこれまでに何度も感じていたことでもあった。 暇なので牧は待っている間、隣にいる鳴海という男を上から下まで眺めてみることにした。 『美容師のナルミちゃん』は、憎らしいくらい男前だった。 背は少なくとも牧よりおでこ一個分は飛び出ていて、腰の位置も当然のように高い。足の長さひとつとっても、マネキンにも負けはしないだろう。 服装はチャコールグレーのチェスターコートに中は白のニット、下は黒のパンツとモノトーンでまとめられていた。ブランドにこだわりがないのか量販店で買ったと思われるその無難なアイテムですら、彼のスタイルの良さを引き立てていた。 髪色は暗めのアッシュブラウンで、パーマをかけているのかふわふわしている。職業が美容師ということもあり、髪型までおしゃれなのは当然と言えば当然なのだが。ウェーブがかったその毛先が、より一層大人の色気を出しているような印象を受けた。 じっと観察されるような視線に気づいたのか、鳴海が牧の方へ顔を向ける。 そして目が合うとすぐに、その頭をすっと下げてきて。 「あの……、すみませんでした」 「えっ? なにが?」 深くお辞儀をされ、自分より高いところにあった頭が突然目線より下に消えたことに牧は困惑する。 「俺が可愛い女性じゃなくて、がっかりしたでしょう…」 「あー、なんだそのことか。……そりゃまぁ、最初はびっくりしたけどさ。今は気にしてねえし」 それを言うならお互い様じゃん、と笑ってみせると。 鳴海はようやく顔を上げ、ほっとしたのかその表情を崩した。 ――完璧人間かのように思えたけど、こんな顔もするんだな。 不思議なことに、もう鳴海が別に男だろうが女だろうが、どっちでもいい気がしてきた。 そもそも今回の件に関しては鳴海は何も悪くないのだから、謝る必要なんてないのに。 牧はこの律儀な男のことが気になり始め、少し興味が湧いてきた。 「つーか俺、久々に名前で女に間違えられたわ。子供の頃はよくそれでからかわれたっけなぁ」 「あ、俺もです。社会人になってからはそういうことがほとんどなかったんで、あまり気にしなくなってたんですけど」 「まさか、自分のほかにも同じような境遇の人がいたなんてな」 「しかも、お互い同時に女の子に間違えられるっていう」 「俺ら、どこからどう見ても男にしか見えねーのに」 「名前じゃなくて、外見で間違えられたらそれこそ切ないですね」 「はは、言えてる」 ――へぇ。こいつ、意外と話しやすい奴じゃんか。 美容師の男ってチャラチャラしてるかお高くとまってる奴ばかりのイメージが強かったけど、思ったよりも一緒にいて苦じゃない。むしろ、ちょっと楽しい。 入場ゲートの前にはいつの間にか待機の列が伸びていて、もう間もなく開園の時間ということもあってか、がやがやと賑やかになってきていた。並んでいるのは男女のペアが大多数なのは言うまでもない。 土田とショーコの話も無事終わったらしく、ようやく牧たちの元へと戻ってきた。 「牧、それと鳴海くん。今回は俺たちのミスでなんかややこしいことになってしまって、本当にごめん。それで……二人さえよければ、俺とショーコちゃんと一緒に四人でワンキン回れたらと思うんだけど、どうかな? 今日はせっかく、ここまで来てくれたわけだしさ」 ショーコちゃんもそれでいいよね、と土田は言うが。 一応「うん…」と返事はするものの、ショーコはあまり乗り気じゃないようだ。 当初の予定ではこのまま二手に分かれて二人きりでデートをする計画だったのに、急遽それが中止になってしまったのだ。 しかも場所があの『ワンダー・キングダム』なだけに、納得しろと言われても無理がある。 ちらりと鳴海の様子を窺ってみると、鳴海もまた困った顔をしていて、ノーと言いたいのに言い出せなくて迷っているようだった。 まぁそりゃそうだよな。何が悲しくてつき合いたてのラブラブ男女にくっついていって、わざわざデートの邪魔までしないといけないんだって話だ。 いつもの牧なら大人数でワイワイするのは好きなほうなのでノリでグループについて行くこともあるのだが、場所と状況だけに今回ばかりはさすがに気が引けた。 気を遣ってくれてるのはわかるけど、遠慮するしかない。昨日デリカシーがないと言われたばかりだし。大人の対応ってやつだ。 一度すうっと大きく息を吸い込み、得意の営業スマイルを見せつけてやると。 「俺らのことは気にしなくていいって。元々ここで別れる段取りだったんだから、つっちーたち二人で行ってきなよ」 「え。でも牧…、さすがにそれじゃ悪い――…」 「だから、平気だって。あー、そういえば俺、今日予定あったの今思い出したわ。そろそろ帰んないとヤバいかも」 土田が「でも」ともう一度言いかけたその時。 ゲートの向こうから「カーン、カーン」と大きな鐘の音が鳴った。 同時に、ワッと歓声が上がる。 どうやら、開園の時間を迎えたらしい。パチパチと拍手の音まで聞こえてきた。 きれいに列を作っていた人の波が、ぞろぞろとゲートの向こう側へ流れ始めていくのが見えた。 牧は二人の背中を押して、無理やりその集団の中に入り込ませてやる。 「あー、ほら。もうワンキンの入口、開いたみたいだよ。行ってらっしゃーい」 「え? ちょ…、待っ」 戸惑う土田とショーコが、人の流れに押されて少しずつ遠ざかっていく。 人混みに囲まれて身動きが取れなくなったことで、ようやく諦めがついたらしい二人は。 「牧、ワリぃ…! 明日また、ちゃんとお詫びするわ!」 「マキちゃん、ナルミちゃん、ごめんね! あと、ありがと!」 最後に「行ってきまーす」と元気に手を振るショーコの姿が見えた。 「おう。お土産よろしくなー」 こちらも手を振って見送り、やれやれと言いながらゆっくり振り返る。 そこには鳴海が立っていて、牧のことを黙って見つめていた。 しまった。一人で勝手に決めてしまったが、本当はあいつらと一緒に遊びたかったとかだったらどうしよう。 「ごめん、勝手に話決めちゃって……。ワンキン、やっぱり行きたかったよな?」 「それはまぁ、行ったことないので一応楽しみでしたけど。でも二人の邪魔をしてまで行く気はなかったので、大丈夫ですよ」 むしろどう切り出せば角が立たないか悩んでたので助かりました、と苦笑する鳴海を見て牧はほっとした。 よかった、怒っているわけではなさそうだ。 しかし、やはり『ワンダー・キングダム』には行きたかったというのが本音のようだ。 牧は自分のコートのポケットに手を突っ込むと、くしゃりと紙が擦れる音がしてチケットの存在を思い出す。 「じゃあ、これやるよ」 そう言って『ワンダー・キングダム入場券』と書かれた長方形の紙を二枚、鳴海の手に押しつけた。 鳴海が突然のことに「え…?」と驚いていると、牧は「チケット」と簡潔に答えた。 「期限、今月いっぱいまでだから。誰か誘ってまた別の日に来てもいいし、今その辺で女の子ナンパしてきてもいいしさ」 鳴海くらいのイケメンなら、声をかけたら女は簡単についてくるだろう。 中身が子供っぽい自分がそばにいたら、足を引っ張るだけだ。いつものデリカシーない発言で、きっと雰囲気を台無しにしてしまうに違いない。 「じゃあ、俺もう帰るから」 (きびす)を返し、バス停へと歩き出す。 こんな早い時間に帰るやつなんて他にいるんだろうかと、帰りのバスの運行の心配をする。交通費が無駄になってしまうことも、地味に痛い。 そんなことを考えていると、突然背後から手を掴まれ、立ち止まってしまう。 驚いて、背中を向けたまま顔だけ先に振り返ると。 真剣な目をした鳴海と、視線がぶつかった。 「牧さん」 名前を呼ばれる。 それから。 想像もしていなかった言葉を投げかけられる。 「――よかったら、俺と一緒に行きませんか?」 まだ、手は繋いだままで。 鳴海のもう片方の手には、渡したばかりのペアチケットが握りしめられていた。

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