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ご注文はラブですか? #6

一日だけ、自分の『恋人』になってほしい。 そんな言葉を鳴海に投げつけると。足元の落ち葉が舞い、木枯らしとダンスを踊った。 植物で隠れたスピーカーから流れる音楽と、周囲の騒がしい話し声、カサカサと転がる枯れ葉の足音とが、サラウンドとなって耳に響く。 霜月の風が、ほんのり熱を帯びた牧の頬を撫でる。 ファスナーを開けっ放しにした黒いモッズコートの布地をぎゅっと握ると、弱々しい声でなんとか続きの言葉を絞り出す。 「俺さ……。花粉症のほかに、『リア充アレルギー』ってのがあって」 もちろん、そんなアレルギーが存在するわけではない。 土田をはじめとする職場のメンバーたちから度々そんな風に揶揄されることが多かったので、そう呼ぶことにしている。 それは毎年この秋から冬にかけてのシーズンになるとリア充――つまり現実(リアル)の生活が充実している人物、特に恋人がいる人たちを見ると、嫉妬・羨望(せんぼう)・憎悪に似た感情が入り交じるというのが主な症状だ。 そして今この時期の『ワンダー・キングダム』はまさに、花粉飛散のピークを迎えたスギ林に匹敵するほどの脅威だった。 「鳴海がデートしてくれるって言ってくれて、嬉しかったのは本当なんだ。けど、さすがにそろそろアナフィラキシー起こしそうで」 しかしこの特殊なアレルギーには、とある免疫療法が有効だとされている。 その方法というのは、自分自身がアレルゲンとなること。 アレルゲン――要するに『リア充』そのものになることだ。 「だから、どうせデートするなら友達としてじゃなくて。恋人とがいいって、思って……。それなら俺、耐えられるかもしれないから」 アレルギーとか回りくどい話をしてしまったが、ちゃんと言いたいことは伝わっただろうか。 しかし鳴海は、まだ腑に落ちないといった顔で。 「……恋人としての相手が欲しいなら、さっきチャンスはあったのに何でそうしなかったんですか? 俺はてっきり、牧さんがあの子たちについて行くものだとばかり――…」 「はぁ…!? 俺が、あいつらと? 何でそうなるわけ」 「だって牧さん、戻ってきた時やけに機嫌よかったでしょう? やっぱり男の俺より女の子といるほうが嬉しいのかなって、すごく焦ってしまって……」 「それは俺のセリフだっつーの! だって鳴海があの時……って、えぇ…っ?」 あの時の表情は、そういう意味だったのか? それって、二人で同じこと考えてたってことで……。 え、何それ。俺たち、すげー相思相愛じゃん。 鳴海も、やっと勘違いだったことに気づいたらしく。酷く恥ずかしそうに視線を泳がせた。 「バカだなぁ。鳴海がいるのに、他の奴を選ぶわけねえし」 自分のことは棚に上げて、牧はクスッと笑いを漏らす。 「それじゃ、もっかい言うわ。……今日だけ、俺の彼氏になってくれる?」 握手のつもりで、手を差し出したのだが。 「――はい。喜んで」 鳴海は(ひざまず)き、牧の手を取りその甲に口づけをする。 その姿は、先ほど見た舞台『ドラゴン&ナイト』の騎士が、王女にプロポーズをしたラストシーンを彷彿とさせた。 おかしなことになっているのは、ひとまず置いておいて。 こうして、一日限定の恋人ごっこの幕が開けたのだった。 「やった! QRコード見ーっけ!」 クエストの条件であるスタンプがスマホの画面にひとつ貯まり、(おの)ずとテンションが上がる。 一個目のコードは地図のヒント通り『精霊の滝』エリア内で発見することができた。クリアまで、残り二つだ。 まさか石でできた壁に一箇所だけシールが貼ってあるとは思わなかった。意外な場所に設置されてはいたものの、QRコード自体の大きさはハガキくらいあるため、少し離れてさえいれば数人が同時にカメラで読み取ることも可能のようだった。 あれから、牧と鳴海の間にはいくつか変化があった。 まず、歩くときに手を繋いでいるということ。 牧が「どうせなら周りに自分たちのリア充っぷりを見せつけてやりたい!」と強く要望したのが発端だったのだが。 鳴海も鳴海で「やるなら徹底的に彼氏の役を演じたい」となぜか意気込んでいるようで、めでたくバカップルの誕生である。 当然のように、繋いだ手の指先を絡めて恋人繋ぎをする二人。 外の世界であれば、こんな風に男二人でイチャイチャしていたら好奇の目で見られること間違いなしだが。 ここでは奇抜な仮装をする客も多いことや、過剰なテンションで過ごす者も珍しくないので、その程度で悪目立ちする心配はなさそうだ。 さすが『ワンダー・キングダム』、夢と魔法の国である。 そしてもう一つ変わったことというのは、例のプロフィールにある職業の件だ。 あれだけ豊富な種類にも関わらず、牧が鳴海になれと命じた『彼氏』『恋人』の項目は見つからなかったので、かの愛の象徴でもある作品『ドラゴン&ナイト』にちなんで『騎士』と『姫』を選択することとなった。 ちなみに『姫』を選んだのは牧である。見た目的にも性格的にも、鳴海のほうが『騎士』に適任だと思ったかららしい。 「うげぇ〜、待ち時間30分だって。平日なのに人いすぎだろ」 「俺たちみたいに、土日休めない職業の人が多いのかもよ?」 水辺のジェットコースター『精霊の滝』の入口まで来ると、待機時間を表示した看板を見て牧が不満を漏らす。 「そろそろ、飯食いたいと思ってたのになぁ」 「近くにレストランあるみたいだよ。先、ごはん行く?」 「いや、食後にコースターとか吐くし。こっち先でいいや」 「それじゃあ、これ乗ったら食べに行こう。牧さん、洋食系でも大丈夫?」 「腹減ってるから何でもいい」 「じゃあ、そこにしようか」 ガイドマップを広げながら、アトラクションの待機列に加わる。 何度も折り返すようにパーテーションで区切られ、蛇のように長い列はどこが先頭かもわからない。 少しずつ、前に進んでいく途中。 牧が段差を踏み外してしまい体勢を崩したが、すんでのところで鳴海が受け止めた。 「大丈夫…? 牧さん」 「な、るみ……っ」 転びかけたところを、見た目以上に逞しい腕に支えられる。 鳴海が心配そうな表情で、牧の顔を覗き込む。顔が、近い。 ドクドクと強く脈を打ちながら、「サンキュ」と短く礼を言う。 直後、そんなやり取りを近くで見ていた女性グループが「今の見た? あの人すごく格好いいね〜」とひそひそ話し出すのが聞こえた。 そうだろう羨ましいだろう、と牧は心の中で鼻高々だった。 ここにいる男たちのなかで一番優しくて、一番格好いいんだ、と大声で自慢したくて堪らない。 気がつけば、周りのカップルたちはお互いの体をくっつけ合うなど甘い雰囲気になっていて、例の『リア充アレルギー』を刺激してくる。 ――けど、俺だって。 ほかの仲睦まじいカップルたちに負けじと、牧も鳴海の背後から腕を回しぎゅっと抱きしめる。 ――俺だって今はそういう相手、いるし。 「牧…、さん……?」 鳴海の驚いた声が上から降ってきたが、聞こえないふりをする。 うるさい。お前は俺の彼氏なんだから、黙ってろ。 今日一日だけ、という約束だけど。 一日、だけ……。 その言葉が脳裏をよぎると、チクリと胸に小さな痛みが走ったような気がした。 男同士でイチャつきだす牧たちを見て、反対側の列に並んでいた女子が「キャー」と語尾にハートマークをつけて歓声をあげている。 そんな外野たちに、たっぷりと見せつけてやる。 これは俺のものだ、と。 牧はその時、とても満ち足りた気持ちになっていた。 「鳴海ぃ……。俺、今…すげー楽しいわ……」 あったかい背中に向かって、ぼそりと呟いた。 そして、相手のコートの肩に頬を擦りつけるように、顔を(うず)める。 よく聞こえなかったと焦る鳴海が、顔だけ振り返るが。 牧はそれから黙ってしまい、静かになった。 ジェットコースターが水飛沫を上げる音と、乗客の絶叫する声だけが。 遠雷のように、その場に反響していた。

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