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ご注文はラブですか? #7

「寒い……」 料理の乗ったトレイをテーブルに置くと、牧は自分のコートを乱雑に脱ぎ捨てた。 ランチのピークを過ぎたこの時間のレストランは空席がたっぷりとあって、特に苦労することもなく座席にありつくことができた。 辿り着いたのはホールフロア隅の壁際に位置する、四人掛けのボックス席。 洋食レストランといっても堅苦しいところは一つもなく、水も料理も自分で席まで運び、食べ終わったらまたセルフで所定の返却場所へ片付けるといった、フードコートのような形式だった。 レジで注文し、カウンターで料理を受け取ってから着席するため、店内を忙しそうに駆け回るウエイターやウエイトレスもいない。 席数もたくさん用意されていて広々していることから、落ち着いてゆっくり過ごすには丁度いい店だった。 「つか、あんなに濡れるなんて、聞いてねえし……」 牧はどっかりと腰を下ろすと、自身の体を暖めようと両手を交差させて二の腕をさする。 ついさっき乗ったばかりの『精霊の滝』は、水も(したた)るジェットコースターとして定評のあるアトラクションだったのだが。 それが予想以上に容赦が無さすぎて、まるで洗礼でも受けたかのような気分である。 一応乗車の前にカッパを貸してもらえたのだが、それを着たからといって体のすべてをカバーできるわけでもなく。顔や手に至っては完全に露出しているので、一周終える頃にはすっかり体が冷えきってしまっていた。 濡れる原因となったのは、高い崖の上から流れ落ちる滝の内側をギリギリで通り抜けたり、極めつけは最後に川を急降下したあとの激しい水飛沫だ。 精霊の可愛らしいデザインとは裏腹に、コースの殺意が半端ない。 そんなわけで着ていたコートも冷えてしまい、ひとまず室内の暖房に当てて常温に戻すしかなかった。 「多分、夏に乗ったら最高だったんだろうけどね」 鳴海が苦笑いしながら、持っていた自分のトレイを同じテーブルに置く。 牧に(なら)い、鳴海もまたコートを脱ぐとすぐにそれを木製の長椅子に広げるのだが。 「あれ……? 鳴海も、こっちに座んの?」 てっきり、テーブルを挟んで向かい合う形で食事をするのかと思いきや。 鳴海がトレイを置いた場所は、牧のトレイのすぐ隣で。 がらんと寂しくスペースを持て余す向かい側に対し、こちら側には種類の違う料理の乗ったトレイが二つ、所狭しと密集している。 ついでに、シワになるといけないと、牧のコートも反対側の椅子へ移動させられてしまった。 「お互い体が冷えてしまったから、こうしてくっついていたほうが暖かいかなって」 トレイと同様に、人間もぎゅうぎゅうに横並びになる。 いくら二人掛けの長椅子とはいえ、大の男二人が座るとなるとちょっと狭いのでは……と牧は心配する。 必然的に、体の側面同士が密着してしまう形となるのだが。 ――あ、でも本当にあったかいかも。これ。 触れ合った箇所から、じんわりと人の体温が伝わってくる。 それがなんだか気持ちいいというか、心地良い。 暖をとるように、鳴海のいる方へと腰をスリスリと近づけていくと。 なぜか少しだけ、距離を取られてしまった。 鳴海の顔を横目で盗み見ると、口を真一文字に結んだまま、頬を赤く染めていて。 「そ…それじゃ、冷めないうちに早く食べよう。牧さん」 確かに、せっかくの料理が冷めてしまってはもったいない。 どこか焦った様子の鳴海を見習い、牧もいただきますをしてナイフとフォークを手に取った。 牧の注文したメニューはデミグラスハンバーグで、鳴海が選んだのはビーフシチューだった。 ハンバーグをナイフでカットしながら、隣のシチューも気になり始めて、なんとなく横からそれを眺める。 じっくり柔らかく煮込まれた牛すね肉と、まだ湯気の立つシチューのいい香りが、とても美味しそうで。 「……いいなぁ。やっぱ俺も、ビーフシチューにしとけば良かったかなぁ」 どちらも同じ系統の味つけだが、それでも隣の芝が青く見えてしまうから不思議だ。 ガッツリ肉の気分だったはずなのに、ちょっとだけ後悔の色が顔に出てしまう。 「それなら、こっちも食べてみる? まだ手をつけてないし、よかったら」 そう言って、鳴海はシチューの皿を牧の近くへと寄せてくれる。 思いがけない申し出に「え…でも…悪いし…」と口では言うものの、牧は目をキラキラと輝かせてしまう。 「あ! それなら、俺のハンバーグも鳴海にあげればいっか」 これなら、おあいこ。 切ったばかりのハンバーグを一切れ、フォークに刺して鳴海の口元へと持っていく。 鳴海は一瞬戸惑いを見せたが、「それじゃ遠慮なく…」と、ぱくりと食べた。 「どう? うまい?」 モグモグとじっくり味わうように咀嚼する鳴海がこくんと頷くと、牧は屈託のない笑顔を向ける。 「じゃあ。俺にも、あーんして?」 餌を強請(ねだ)る雛鳥のように口を大きく開けるので、鳴海がゴロンとした肉ごとシチューをスプーンですくって食べさせてやると、牧はなんとも嬉しそうな顔をした。 結婚式で行うファーストバイトのように、交互に食べさせ合うというのがいかにもラブラブで、なんかイイ。 それぞれメイン料理と、ついでについてきた硬くて丸いパンも食べ終わったところで。 鳴海が追加であったかいドリンクを、レジまで買いに行ってくれるという。 料理と一緒に頼まなかったのは、食後のほうがゆっくり飲めてリラックスできるはずと考えたかららしい。 「あ…、でも俺。コーヒーも紅茶も飲めないから……」 幻滅されたくなくて、できればあまり言いたくはなかったこと。 大人のくせに。男のくせに。 今までそんな枕詞(まくらことば)をつけられながら、やれ子供舌だの何だのと卑下されてきた記憶しかない。 ――なんか、ガッカリ…。 その言葉を言われる度に、本来の自分すら否定された気分になって、落ち込む。 だから、もし鳴海にまでそんな風に思われたら……なんて心配していたのだけど。 「それじゃあ、ココアを買ってくるよ。確か、さっきメニューに書いてあったと思うから」 「え……」 財布だけ掴んで、鳴海がサッと席を立つ。 その後ろ姿を見送ってまもなくすると、背の低いドリンクが二つ載った小さめのトレイを運んで戻ってきた。 「ココア、美味しそうだったから。俺も同じの、頼んじゃった」 ほわっと湯気の広がるホットココアが、目の前のテーブルに二つ置かれる。 同じ中身のホット用の紙コップと鳴海とを、牧は交互に見やる。 「なんで…?」 「あっ…ごめん、勝手に決めちゃって……。もしかして、ココア好きじゃなかった?」 「……好きだけど」 むしろ、大好きだ。 鳴海の顔が焦ったり、ほっと安心したりと忙しい。 牧はたっぷりのフォームミルクで作られたココアを、改めてまじまじと見つめる。 「……子供っぽいって、バカにしないの?」 「えっ、なんで」 「だって俺、苦いの飲めないから…。普通は大人になったら飲めるものだって。他のみんなは、そう言うよ」 親しい仲の土田にも、たまにイジられるくらいだ。 緑茶は平気なのに紅茶は飲めないとか意味ワカラン、とまで言われたこともある。 たとえ原料が同じ茶葉であろうと、製法が違えばまったくの別物になるというのが牧の主張である。 すると鳴海はココアを一口、温度を確かめるようにして飲み。 「牧さんは、牧さんでしょ」 それに、ココアだって美味しいじゃん。 鳴海はそう続けると口元に笑みを浮かべ、更にもう一口カップを啜った。 牧は、胸のあたりがギュッとなった。 それは今までのような痛みでも不快感でもなく、何かに抱きしめられているような感覚で。 きっと、正体不明の病気に違いない。 ココアの入った紙コップを両手でそっと包み込むと、触れたところが温かい。 角砂糖がポチャンと沈められてじわじわと溶けていくのと同じように、牧の心も甘く溶けてしまいそうだった。 ――俺はさ、つっちー。ありのままの俺を愛してくれる人を、好きになりたいだけなんだ。 ――そのうち、牧のいいところをちゃんと見てくれる人に出会える日が来るって。 頭の中で、昨日の土田との会話のやり取りを、何度も繰り返し反芻する。 もしかして鳴海は、ありのままの牧を受け止めてくれているのではないか――…。 「鳴海」とその名前を呼んで、気づいたばかりの感情を思わず口にしそうになったところで。 慌てて、相手に触れようと伸ばしかけていた手を引っ込めた。 (くう)を切って行き場のなくした指先を、ぎゅっと拳の中にしまい込む。 何を……勘違いしているんだ。 元々、鳴海がこうして彼氏でいてくれるのは今日一日だけって約束だったじゃないか。 ただ、ノリでつき合ってくれているだけなのに。 鳴海にとっては、これはあくまで一時的な恋人のフリに過ぎないのだ。 今この関係を壊してしまうより、もう少しだけ続く思い出を宝物にしよう。 「好き」という二文字を、ココアと一緒に喉の奥へと飲み込む。 鳴海の買ってきてくれたココアは、とても甘くて美味しかった。 ココアを飲み終えて体も温まり、ふうと一息ついていると。 「……そういえば。後で牧さんにマッサージするって約束してたの、忘れてた」 「え?」 そんな約束してたっけ、と牧は目をぱちくりさせる。 しばらく考えて。 そういえば今朝牧が帰ろうとした際に、鳴海に用事の詳細を問い詰められて。つい「整体を予約している」と口にしてしまったことを思い出した。 確かに、そんな話もしたかもしれない。 本当は、鳴海を納得させるために咄嗟についた嘘だったのだが……。 「今、してもいい?」 「い、今? ここで…!?」 心の準備ができていないところへ、牧の肩に鳴海の手がするりと巻きつく。 普段美容室でも客に簡単なマッサージをしているらしく、こういうのは得意なのだという。 「凝っているのは、肩?」 「ち、違っ……」 じゃあ腰の方かな、と肩から腰へとその手を滑り落としていく。 「普段は肩もみだけだから、こっちは下手かもしれないけど」 「あ……、ちょっ…」 座ったまま背中を向けさせられて、バランスを崩して壁に手をつく。 お尻を鳴海の方へ少し突き出すような体勢になって、牧の細い腰を大きな手が覆う。 手のひらと指先で骨盤をしっかり押さえつけられ、身動きが取れない。 ぐっ、ぐっと親指でゆっくり指圧されると、弾けるような快感が牧の体を襲う。 「んぁ…っ、それ…気持ちい……!」 牧が上擦った声を上げると、マッサージする鳴海の手がピタと一瞬だけ止まる。 しかしそれは気のせいだったのか、またすぐに腰部をもみほぐすように指が動き出す。 「あ…、…んん…っ、そこ、もっ…と……強く、して……ッ」 牧が息切れ切れに、鳴海から受ける刺激に耐えていると。 突如、スッとその手の感触が離れていく。 「……あれ、もう終わり? 結構、良かった…んだけ…ど……」 不思議に思って牧が潤んだ瞳で振り返ると、鳴海はその整った眉根を寄せ、なぜか不満そうな表情になっていて。 「……牧さん。整体に行くのはもうやめてください」 「へ? なんで…?」 行くも何も元々通っていないし、そんな予定もなかったのだが。 「他の人に、見せたくないので」 「……??」 何のことか理解できずにいる牧を見て、鳴海は大きな溜め息をついた。 鳴海に触れられたところがまだ、少しだけ熱を残している。 暖かい空気にさらされて、冷たかったコートもまた。 いつの間にか、ほんのりと温もりを取り戻しているようだった……。

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