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ご注文はラブですか? #9
『次は……暁ヶ丘、暁ヶ丘…。ひねもすモノレール線は、お乗り換えです……。The next station is ...』
車内放送の自動アナウンスが、次の到着駅を案内する。
あぁ。もう帰ってきてしまったのか。
牧は聞き慣れた駅名の入った放送を聞くと、一気に現実世界に引き戻されたような気持ちになった。
窓の外を見ると、散々見慣れた風景が嫌でも目に飛び込んでくる。
四角いビル、スピードを出す車、看板のネオン。そして、星の見えない空。
夢と魔法の国は、もうここにはない。
電車が速度を落としたのか、ガクンと一度、頭が横に大きく揺れる。
座席の下のヒーターがやけに頑張っていて、尻だけ妙に熱い。
熱で食べ物がダメにならないようにと、牧は膝の上に乗せていた土産の入った袋を胸の高さまで持ち直した。
「牧さん、そろそろ着くって」
声がして、顔を上げる。
鳴海はさっきまで隣の座席にいたのだが、マタニティーマークをつけた女性に席を譲ったので、今はつり革に掴まって牧の前に立っていた。
牧はその女の人を見ても、ただお腹が出っ張っているだけなのかと思い込んでそもそも妊婦だということに気づきもしなかったし、優先席でもないのにサッと動ける鳴海のことを改めて格好いいと思った。
つり革が、電車が揺れる度にキイと軋む音を立てる。
鳴海の手は、前みたいに牧の手を握ることはない。
きっともう、魔法は解けてしまったのだろう。
それは電車に乗ったときから、いや『ワンダー・キングダム』のゲートを一歩出たときから、既に恋人の有効期限は終了していたのかもしれない。
今は誰がどう見ても、ただのオトモダチにしか見えない。
――鳴海は、あの時なんで俺にキスをしたんだろう…。
お城の塔の上で「恋人の二人は、ここでキスをしよう」と書かれた特別クエストを発見した時。
恋人のふりをしていた鳴海に、キスをされて。
キスなんて別に初めてじゃないし、それくらいで大騒ぎするほどのことでもないけど。
なんか、めちゃくちゃドキドキした。
今までにしたどんなキスよりも、気持ち良くなって……。
それなのに鳴海ときたら、あれから何事もなかったかのように普段通りの態度で接してくるもんだから、自分とのキスなんて何とも思わなかったのかと腹が立ってくる。
こっちはこんなに悩んでるというのに。なんか、ムカつく――…。
「……さん…、…牧さんっ!」
鳴海の大きな声がして、はっとする。
直後、手を掴まれたと思ったらぐいと強い力で引っ張られる。
そのまま外のホームまで連れて行かれると、降りてすぐ自分の後ろでドアが閉まっていくのが見えた。
どうやら、危うく乗り過ごしてしまうところだったらしい。
たった今乗っていた電車が再び動き出すのを見送ったところで、牧はまだ自分の手が鳴海に握られていることに気づく。
鳴海もそれに気がついたようで、「すみません」と謝ると同時にパッと手を離した。
「何度も声かけたけど、聞こえてないみたいだったんで」
「……ごめん、ちょっとぼーっとしてた。ありがとな」
まさか、キスのことで考え事をしていたとは言えない。
それぞれ職場と自宅の最寄り駅が同じようで、牧は今いる暁ヶ丘駅で、鳴海はモノレールに乗り換えて黄昏町駅で降りることになっている。
つまり、事実上ここで解散ということになる。
気が重いままICカードをタッチして改札を抜けると、しばらく歩いたところで鳴海が立ち止まった。
「牧さんの働いてる店って、ここ?」
「ん? あー、そうそう。ここの3階。時間遅いから、もう閉まってるけど」
シャッターが閉まった駅ビルの入口を眺めて、鳴海は「普段こっちの方はあんまり来ないから気づかなかったな…」と感慨深く呟いている。
そんなに駅ビルが珍しいのだろうか。
それとも、服屋があることを知らなかったという意味だったのか。
利用客のほとんどは地下にある食品街や、上のレストラン街に集中しているので、特に用がなければファッションのフロアまで立ち寄らないのかもしれない。
そうこうしているうちに、モノレールの乗り換え口まで着いてしまい――…。
「牧さん。今日は、ありがとうございました。すごく楽しかったです。それと、チケットまで使わせていただいてすみませんでした」
先に鳴海が、ぺこりと丁寧にお辞儀をする。
「いや、こっちも楽しかったし」と牧が答えると、鳴海は嬉しそうに微笑んだ。
まぁ、スマホに友達登録もしたし、お互い勤務先も知ってるわけだし。
これで終わりってわけじゃないし、別にいいか。
今度、時間があるときに鳴海の美容室に行ってみよう。
そう気持ちを切り替えて、牧が「それじゃ」と手を振って帰ろうとすると。
「あの、牧さん!」
鳴海に呼び止められ、ピタリと足を止めて振り返る。
「お腹、空いてませんか――…?」
「イラッシャイマセー! ご注文は、お決まりデスか?」
お冷を二つカウンターに置いた東南アジア系の男性店員が、早速オーダーを聞いてくる。
「牛丼、大盛つゆだくで」
牧がメニューも開かずにそう言うと、鳴海も「じゃあ、俺も同じので」と店員に伝えた。
「……本当に牛丼屋でよかったのか?」
「俺も牛丼好きなんで、大丈夫ですよ」
せっかくだからごはんでも、と誘われたので。
牧は鳴海と一緒に牛丼屋に来ていた。
女どもは牛丼屋に連れてくるとブーブー文句を言うが、鳴海は違った。やはり男同士のほうが一緒にいて気が楽だ。
牧の行きつけのこの牛丼屋は暁ヶ丘駅から徒歩3分の場所に位置し、大通りにも面しているためアクセスがそれなりにいい店だった。
仕事帰りにも頻繁に寄るくらいの常連で、注文はいつも決まって大盛のつゆだくと決まっている。
店内はそれほど広くはないが、全国どこにでもあるチェーン店だけあって、味と値段に関しては安定感はある。
大きな窓ガラスの向こうにはスクランブル交差点があり、信号待ちをしていた人たちが青信号になった途端に蟻のように一斉に歩き出すのが見えた。 夜になっても、この灰色の街は眠ることはない。
テーブル席にいた賑やかなグループが会計をして帰って行き、やがて店内には自分たちだけが残る。
こうして貸し切り状態になることは、なかなか珍しい。
「お待たせシマシター! 牛丼、大盛つゆだくデース」
先ほどの店員の元気な声とともに、大きめの丼が二つ運ばれてくる。
牧が早速ほかほかの牛丼を先の細長いスプーンですくって頬張ると、すかさず「やっぱコレだよなぁ」とおっさん臭いセリフを吐く。
『ワンダー・キングダム』でも色々食べ歩きはしていたのだが、まだまだ胃には余裕があるようだ。
「ワンキンの食べ物もうまかったけどさ。やっぱ日本人、米じゃないと食った気しないよなぁ」
向こうでつまんだのはピザやソーセージ、クレープなど洋風のものばかりだったので、醤油とダシのきいたこの味がすっかり恋しくなっていた。
「あ、ショウガ入れんの忘れてた」と牧がトッピングの紅生姜を山盛り乗せると、ついでに鳴海の丼にも同じように入れてやる。
「鳴海も、早く食べなよ。ここの店、他のとこよりタマネギが染みててうまいからさ」
牧が勧めると、鳴海もようやく食べ始め……。
「ほんとだ。美味しい」
そう言って、ふわりと微笑 った。
その鳴海の柔らかい笑顔を見た瞬間。
牧は、いつの日か語った自分の言葉がフラッシュバックする。
――俺は牛丼を一緒に食べて、美味しいねって笑顔で言ってくれるような子が理想なの!
……まさに、理想の相手じゃんか。
牧は鳴海を見て、ぽつりと呟いた。
やっぱり、鳴海のことが好きだ。
男同士とか、もうそんなのどうでもいい。
そう思ったら、居ても立っても居られなくなって。
牧はスプーンをコトンと置いて、鳴海の座る方へと体を向けた。
それから、すうっと大きな深呼吸をひとつ、ふたつ……。
「牧さん…? どうしたの、食べないの?」
鳴海が、顔を上げてこちらを見る。
牛丼も食べたいが、今はそれよりも大事なことを伝えたい。
「鳴海」と呼ぶと、律儀に「はい」と返事をして向こうもスプーンを置いた。
「――鳴海が、好きだ」
突然の告白に、鳴海の目が大きく見開き、驚いた表情になる。
「え…」と小さく戸惑いの声も聞こえた気がした。
それでも、牧は気にせず言葉を続けていく。
「今度は一日限定とか、恋人のふりとかじゃなくて…。これからもずっと、俺の彼氏でいてほしいんだけど」
ずっと言いたくて、心の中で燻 っていたこと。
やっと、言うことができた。
自分から告白することなんて人生で一度もなかったから、緊張で今食べたばかりの牛丼の味も思い出せない。
鳴海は牧の顔を見ながら、ずっと黙ったままでいる。
優しいから、なんて言えば角が立たないんだろうとか、きっとまたそんなことを考えているんだろうか。
一連のやり取りを目撃してしまった外国人店員も、思わず固唾を呑んで見守る。
お冷のコップに入っていた氷が、カランと小さな音を立てたとき。
「……牧さん」
名前を呼ばれて、牧はビクッと肩を震わす。
怖くて、膝の上に置いていた拳に思わず力が入る。
そんな牧の手に、鳴海はそっと自分の手を重ね……。
「こんな俺でもよければ。よろしくお願いします」
少し困り顔で、どこか照れくさそうに、にっこりと笑みを浮かべてそう言った。
次の瞬間、例の店員がパチパチと拍手をして祝福をする。
できたての牛丼みたいに、牧の心がほわっと湯気を立てるように温かくなっていく。
それは、ずっと待ち焦がれていた注文の品が、やっと自分の目の前に置かれたときのような気持ちで――…。
いつの間にか牧の手は。
鳴海の手に包まれるように、ぎゅっと握られていた。
自動ドアの開く音がして、また新規の客が入ってくる。
店員が「イラッシャイマセー!」と元気良く挨拶をすると、また忙しそうに動き始めた。
客がメニューを開いて「すいませーん」と声をかけたところへ、同じようにお冷を持って笑顔でオーダーを取りに行く。
「――ご注文は、なんデスか?」
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