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ラブ、大盛で #3

「牛丼大盛つゆだく、お待たせシマシター!」 目の前のカウンターに、丼をひとつ置かれる。 普段なら、いつものメニューが到着したらすぐに食べ始めるのだが。 牧は頬杖をついたままぼんやりと隣の席を見つめて、それから大きな溜め息をついた。 「アレ? 今日はイケメンの彼氏、一緒じゃナイの?」 そんな牧の様子に気づいてるのか、そうでないのか。 今ではすっかりお馴染みの牛丼屋の店員が、親しみのある笑顔で話しかけてくる。 東南アジアのどこかから来たらしいこの外国人男性は、牧と鳴海が交際を始めた、めでたい瞬間に立ち会った唯一の人物でもあった。 彼は元々フレンドリーな性格のようで、牧がこの牛丼屋の常連ということもあり、今ではこうして世間話をする間柄にもなっていた。 「……んなの、俺が知りてえよ」 ぼそりと呟いて、不機嫌そうに牛丼をかき込む。 前は隣に鳴海が座って一緒に食べたこともあったが、今はそこはただの空席でしかない。 「アララ、ケンカでもしちゃったんデスカ?」 「そんなんじゃねーし。……つか、おっさん。あんた、いい加減仕事に戻れよ」 さっきから痛い質問ばっか投げつけやがって。 恨めしく睨みつけてやると、店員は外国人がよくやる肩をすくめるポーズをして厨房へと引っ込んでいった。 別に、鳴海とはケンカをしたわけじゃない。 ただ、たまたまシフトや休みが合わなくて、お互い一緒に過ごす時間をなかなかとれないだけだ。 けれど、もう何日も会っていないともなると少し不安になってくる。 最悪このまま自然消滅という結末も、よく聞く話だ。 何よりも、先日家に呼んだとき。鳴海の帰り際の様子がおかしかったことが気がかりだった。 少なくとも途中までは甘い雰囲気だったはずなのに、牧の雄が鳴海の手と口によって吐精してから、鳴海は慌ただしく去ってしまったのだ。 やはり口の中に出してしまったのが原因なのだろうか、と牧は落ち込んだ。 出るから離してと懇願したものの、そのまま出すよう促され。つい鵜呑みにして、自身の快楽を優先する形となってしまった。 きっと飲んだ精液がまずかったとか、ちんこの生えた男とはやっぱりつき合えないとか、そんな風に思われてしまったに違いない。 「ああああぁ……っ!」 自分の醜態を思い出し、牧はその場で頭を抱えた。 なんで、いつも自分のことばかりになってしまうんだろう。 気持ち良すぎて、夢中になって。 周りのことが見えていなかった。 あの時、牧が鳴海の股間へ手を伸ばそうとしたら拒否されたのも、男なんかに触られるのが気持ち悪いからだったのかもしれない。 鳴海は優しいからそんなこと、はっきり口にはしないだろうけど。 「次に会うときは、別れ話されたりすんのかな……」 いつの間にか、つゆだくだった牛丼の汁はご飯に吸われてどこかへいってしまった。 会うのが怖い。 でも、会いたい――…。 明日、牧は休みではあるけれど、鳴海は仕事なのだという。 一応鳴海の休みの日に合わせてシフト希望を出してはいるが、反映されるのはまだもう少し先のようで。 いつなら会えるだろうかと頭を(かし)げると、パサパサに乾燥した髪が牧の目元にかかる。 「あー。そういえば、髪も結構伸びて来たな……」 邪魔になった髪をかき上げて、傷んだ毛先を指先でつまむ。 やっぱトリートメントとかした方がいいのかな、と頭の中で考えたところで。 「そうか! その手があったか…!」 バン、とカウンターに手をつき、立ち上がる。 大きな音に反応した例の店員が勘違いをして「あ、お冷おかわりデスカ」と、呑気に麦茶の入ったピッチャーを傾けて牧のコップに注いでいった。 会えないのなら、会いに行けばいい。 なぜそんな簡単なことを思いつかなかったのか。 牧はポケットからスマホを取り出すと、以前教えてもらった鳴海の美容室の名前を打ち込んだ。 * 『meteorite(メテオライト)――英語で、隕石という意味らしい。 美容室の看板を見上げて、牧は鳴海が以前に言っていた言葉を思い出していた。 黄昏町には美容室がたくさんあるが、この店は比較的新しくオープンしただけあってかなりお洒落な外観だった。 イーゼルにメニューの書かれた黒板、店先には小さな植木鉢が並び、壁からはアンティークの外灯ランプがぶら下がっている。何も知らずに通りかかったら、カフェと見間違う者もいるのではないだろうか。 黒の外壁には、店内の見える大きなガラス窓に、それから長方形の木製の扉がひとつ。 想像以上に重さのあるドアをゆっくり開くと、カラーやパーマ特有の臭いがふわっと漂った。 「こんにちは、いらっしゃいませ」 入ると、受付にいた女の美容師さんが声をかけてくる。 「あの。先ほど電話で予約した、牧です」 「はい、鳴海をご指名のお客様ですね。上着と荷物をお預かりします。当店の利用は初めてとのことですので、こちらのカルテにご記入をお願い致します」 小ぶりな用紙の挟まったボードとボールペンを受け取り、店内をざっと見渡す。 内装は白の壁とウッド調のインテリアで統一されており、各所に観葉植物が置かれ、ゆったりとしたジャズ音楽も流れていて、居心地が良さそうな店だった。 奥にシャンプー台が2つと、壁際にセット面が6つ。 そのうちのひとつに、牧は見知った後ろ姿を見つける。 ――鳴海…。 鳴海はちょうどブローの最中で、客と談笑しているからか、ドライヤーの送風音がうるさいからか。まだ、牧の存在には気づいていないようだった。 相手が客とはいえ、鳴海が女と楽しそうに笑っている姿を見るのはなんだか面白くなかった。 カルテに名前や住所、生年月日、アレルギーの有無などを記入し、鳴海が来るまで奥のソファ席で待つ。 なんとなく手近にあったファッション誌を開いてみたものの、内容はまったく頭に入って来ない。いつもなら職業柄、欠かさず雑誌はチェックするのだが、今日ばかりは最新の流行コーデなんてどうでも良かった。 ちょうど柱の陰になる位置にいるため店内の様子はわからないが、どうやら鳴海が担当していた客の施術が終わったようだ。 レジで会計をする声がして、しばらくすると出口へ見送りをするやり取りも聞こえてくる。 ありがとうございましたという鳴海の優しい声が、たった数日会っていないだけなのになんだかひどく懐かしい。 「お疲れさま鳴海くん。次の予約のお客様、もう来てるよ」 「あぁ、さっき電話で予約してくれたっていう…」 コツコツと、鳴海の足音が近づいてくる。 長く待たせない配慮か、どうやら前の客を終えてすぐ次の客の対応をしてくれるようだ。 「大変お待たせしました。本日担当させていただく、鳴海と申しま――…」 そこで鳴海は立ち止まり、瞠目する。 鳴海に自己紹介をされるのは、これで二回目だ。 「えっ…! 牧、さん……?」 なんでここに、と驚きを隠せない鳴海をよそに。 牧は「よっ」と小さく手を挙げて挨拶をする。 「どーも。牧場(まきば)の『牧』と書いて、マキです。今日はカットとトリートメント、お願いします」

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