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ラブ、大盛で #5
「なんっで……。なんでだよぉ…っ!」
ダン、と大きな物音を立て。
牧は手に持っていたグラスを、テーブルに強く叩きつける。
大粒の氷が、ブラッドオレンジの色をした液体の中をカラコロと舞った。
師走に入り忘年会シーズンを迎え、世の飲食店は繁忙期に差し掛かる。
暁ヶ丘駅周辺にあるこの小洒落た居酒屋もまた例外ではなく。
本日も複数の予約で大賑わいとなっており、そのなかで牧の勤めるアパレルショップ『invisible garden 』の忘年会も、スタッフ10名を超える人数で執り行われていた。
店内はすでにほろ酔い気分で、一人くだを巻く牧の様子を特に気にするわけでもなく、皆わいわいと楽しそうに盛り上がっている。
すだれで仕切られた半個室の座敷の隅っこで、牧は胡座 をかき、ひたすら飲み食いに耽 っていた。
元々飲み会なんて参加する気分でもなかったが、少しは気が紛れるかと思ってとりあえず顔を出してみたものの、結局モヤモヤした感情が消えることはなかった。
先日、鳴海の美容室に行ったその夜。
約束通り牧の家に鳴海がやって来て、この間と同じようにえっちなことをした。
別に、えっちなことをしたのが問題だったわけじゃない。
この間とまったく同じだったことが、問題なのである。
そう。また牧だけ気持ち良くさせられただけで、セックスは疎 か、今回も鳴海の性器に触ることすら叶わなかったのだ。
「なんでなんだよ……。こっちだって、気持ち良くしてやりたいのに…」
ぐいとグラスを一気に呷ると、空 になった。
これでもう2杯目だ。
それなのに、喉が潤うことも、心が満たされることはなかった。
「おーい、マッキー。そんなとこで一人寂しく飲んでないで、こっちに来れば? 皆いるよー」
「いや、俺はいいよ……」
牧は同僚たちが集まるテーブルには近寄らず、後から合流する予定である遅番組の席にぽつんと一人で座っていた。
飲み会に来てるのにぼっちでいるなんて何しに来たんだ、と見かねた川本が声をかけるが。
尚も暗い顔をする牧に周囲も無理に誘うのは諦め、むしろ面倒くさいと放置モードに入っている。
「じゃあさ、ドリンク注文するけど何がいい?」
「さっきと同じでいいよ。オレンジのやつ…」
間もなくして、空っぽのグラスが新しいものに取り変えられる。
コースで出された焼き鳥なんかもつまんでみるが、それが美味しいのか不味いのかもよくわからない。
目の前にご馳走がたくさん並んでいるのに、こんな時でも鳴海と食べた牛丼のことを思い出してしまい、胸がぎゅっと苦しくなる。
あれから、鳴海とは会っていない。
いついつに会いませんか、という誘いは来るのだが、その度に牧は「忙しい」「疲れている」などの理由をつけては断っていた。
どうせ会ったところで、また同じことの繰り返しだ。何度も何度も優しく拒絶されては、傷ついて。
鳴海はなぜあれ以上の行為をしたがらないのか。
相手のことが好きならば、体も繋げたいと思うのが普通なんじゃないのか。
「鳴海は、本当に俺のこと好きなのかな……」
ぽつりと口から零れたひとりごとに、はっとする。
――あれ? そういえば俺。今まで鳴海に好きだって言われたこと、一度もないんじゃ…?
「で、でも…。俺たち、つき合ってるわけだし……」
大丈夫、と自分に言い聞かせかけたところで、とある記憶が呼び起こされる。
前に鳴海は、過去に好きでもない相手とつき合っていたと自分で言っていた。
それなら牧とのことだって、別に好きではないけどつき合っているという話もあり得るんじゃないだろうか?
オレンジカラーの照明の中で、牧の顔色はサーッと青ざめた。
「どうしよう……」
両想いだと思って浮かれていたのに、まさかの片想いの可能性が出てきてしまった。
鳴海は優しいから、ただ恋人ごっこの延長としてつき合ってくれていただけだったのかもしれない。
そう考えると今までのこともすべて説明がつき、腑に落ちる。
――なら、あのキスも偽物なのか。
嘘でもあんな風に、熱情を秘めた口づけをすることができるんだろうか。それに、手や口で牧の体を悦ばすことだって…。
牧はだんだん、鳴海のことがわからなくなってきた。
自分のことを好きなのか、そうではないのか。
ついに脳のキャパシティを超え、動揺しながら、手近にあった枝豆の盛られた小皿を掴んだ。
「鳴海は俺のことが好き……。鳴海は俺のことが好きじゃない……。鳴海は俺のことが――」
枝豆の粒をひとつずつ、別の皿へと出していく。
呪文のようなものを唱えながら花占いならぬ枝豆占いをしていく様は、まるで黒魔術の儀式でも行っているかのような異様さである。
空になった枝豆の皮は、なぜかテーブルの上に綺麗に一列に並べられていった。
そこへ、遅番だった店長と土田の二人が遅れて到着する。
「あ。店長、つっちー。お疲れ様でーす」
「お先、飲んでます〜」
「いやぁ。悪いね皆、遅くなって。さすがに店を閉めてからじゃないと来れないからさ」
店長が女性スタッフたちに笑いながら声をかけ、用意された自分たちの席へと振り向くと。
「うっわ、何だコレ! ここは枝豆の葬式会場か何かか…?」
両膝を抱えてぶつぶつと何かを呟く牧の姿と、テーブルにずらりと並んだ枝豆の残骸を見て、仰天する。
「お…おい。大丈夫か、牧……?」
様子がおかしいと思った土田が、牧の肩を揺する。
すると、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を向けられ。
「どうしよ、つっちー。な、鳴海が……。俺のこと、好きじゃないん…だって……」
「え、いきなりどうした? ……本当にあの鳴海くんが、そんなこと言ったのか?」
「違う。枝豆が、そうだって言ってる」
「はぁ? 枝豆ェ…?」
土田がテーブルの上の枝豆たちへ視線を動かすと、その隣にある飲みかけのグラスに気がつく。
「……なぁ川本。牧って、何飲んでんのコレ?」
「え? ただのカシオレだけど……」
やっぱりオレンジジュースじゃなくてカシスオレンジか、と土田は大きな溜め息をついた。
「あれ……なんか、マズかった? マッキーって、成人してたよね…」
「そうなんだけど。こいつは特別で、30歳児の子供なんだよ。アルコールは弱いから、普段は飲まないはずなんだけどな……」
土田たちが何やら深刻な顔で話をしているのを、牧は横でぼーっと見ていた。
おかしいな、つっちーが二人に増えてる。いつの間に分身の術を使えるようになったんだろ……。
テーブルの上の照明もゆらゆらと揺れ始め、ついには天井と床がひっくり返った。
視界はぐるぐる、なんだか頭も痛いし、気持ちも悪い。
「な、るみ――…」
そして。
そのまま、ふらっと後ろに倒れ込んだ。
「それじゃ、お疲れ様でした」
美容室『meteorite 』の看板の電気を消し、鳴海は先ほどまで一緒に働いていた美容師の一人に挨拶をして別れる。
職場と同じ黄昏町にある自宅へと帰ろうと、煉瓦作りの歩道をゆっくりと歩き出す。
スマホをポケットから取り出してみるが、新着の通知は特にない。
鳴海はふうと白い息を吐くと、ちょうど手の中でバイブレーションが震え始める。
画面を見ると、牧の名前。
鳴海は慌てて、スマホを耳に当て。
「も、もしもし? 牧さん…?」
久々の着信に、鳴海は緊張で声が上擦った。
しかし、電話口から聞こえた声は想像のものとは違っていて。
『鳴海くん? 俺、土田だけど……』
「――土田…さん?」
意外な人物からの連絡に戸惑いを覚え、鳴海はその場で立ち尽くす。
上弦の月が雲で隠れ、何やら胸騒ぎがした。
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