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ラブ、大盛で #6
暁ヶ丘駅、東口の繁華街。
大通りから一本奥に入った狭い路地裏を、鳴海は人波を縫って急ぐ。
駅の近辺は飲み屋街だけあって、至るところから酔っ払いの笑い声が漏れてくる。
その中に土田に教えられた居酒屋の名前をようやく見つけると、それまで走らせていた足の速度を緩めた。
荒くなった呼吸を整えると、ゆっくりと入口の引き戸に手をかけた。
「急に呼び出して悪かったね。鳴海くん」
入ってすぐの待ち合い室。
声のした方向を見やると、木製の長椅子に土田と牧が座っていた。
牧は土田の肩に寄りかかり、ぐったりとして動かない。
「……! 牧さん…っ」
「あー、心配しなくて大丈夫。ただ酔いつぶれて寝てるだけだから」
心配そうに駆け寄る鳴海に向かって手をひらひらと振り、土田はにっこり微笑んだ。
「今日はうちの忘年会でね。後で俺が来たときには、こんな状態になっててさ。さっきトイレで少し吐いたけど、今はもう大分落ち着いたみたいだから」
よく見ると、牧はすーすーと気持ち良さそうに寝息を立てていて。
鳴海は「よかった…」と深い安堵の息を吐いた。
土田はそんな鳴海を見上げ、目を細める。
「ワンキン以来、だね。ちょうど良かった。あの時は俺とショーコちゃんの勘違いで迷惑かけたから、もう一度鳴海くんに謝りたいと思ってたんだ」
「いえ…。むしろ、土田さんたちには感謝してるくらいなので」
「……二人はつき合ってるって聞いたんだけど、それは本当?」
「はい。本当です」
てっきり、はぐらかされるかと思ったが。
まっすぐ過ぎるくらいの回答が返ってきて、土田は一瞬だけ目を瞠 った。
それからまたすぐに、口元にふっと笑みを浮かべ。
「こいつはバカだから、冗談でも本気にするよ?」
「別に、冗談なんかじゃないです」
「……そっか。それなら、いいんだけど」
土田は隣で寝てる牧に、ちらと視線だけ送る。
「なんか最近、牧が元気ないみたいでさ。今日も飲めない酒を無理に飲んで、こんなんなって…。さっきもずっとうわ言みたいに、鳴海くんの名前呼んでたよ」
「牧さんが、俺の名を……?」
「仕事中も、心ここにあらずって感じでね。服たたみながら『鳴海に会いたい』って何度も溜め息ついたりしてさ。……鳴海くんも忙しいのはわかってるんだけど、たまにでいいから会ってやってくれると俺らとしても助かるっていうか」
「でも……それは…、牧さんが」
どちらかというと、避けているのは牧のほうだ。
言いかけて、ぐっと言葉を呑み込む。
先日家に行った後から、牧の様子がおかしいのは薄々感じていた。
おそらく原因は鳴海にあって、知らず知らずのうちに嫌われるようなことをしてしまったに違いない。
牧の好きな牛丼を食べに行こうと誘っても、何かと理由をつけられては断られてしまう。
仕方なく、せめてこれ以上嫌われないようにと、しつこく誘ったり無理に会いに行ったりするのは控えていたのだが。
俯いて黙り込む鳴海を見て、何かを察したらしい土田は深呼吸をひとつし、ゆっくりと立ち上がる。
「まぁ、二人の間に何か誤解があったんだろうね。……というわけで鳴海くん、後はよろしく頼んだよ」
はいパス、と牧の体ごと渡され。
鳴海は慌ててその腕の中に抱き止める。
久々に触れる恋人の体温は、いつもより少しだけ熱を帯びているようで。
まるで壊れ物を扱うかのように、そっと牧のその身を引き寄せた。
「……ひとつ、聞いてもいいですか? どうして俺を呼んだんですか?」
「なぜって。野暮なことを聞くね。こういう時は、王子様が迎えに来るもんだろう?」
土田が、さも当然のように答える。
いつの間にか『騎士』から『王子』にランクアップしていて、鳴海は戸惑った。
「そもそも俺、牧の家の場所知らないしね」
「えっ、そうなんですか……?」
てっきり、二人は家を行き来する仲なのかと勝手に思い込んでいたのだが。
そんな考えが顔に出てしまっていたのか、土田はくすりと笑う。
「牧のやつ。寂しがりやのくせに、自分の縄張りにはあんまり他人を入れたがらないんだよ。人ん家には、ズカズカと上がり込んでくるけどね」
それに幹事だからどちらにせよ二次会終わるまでは抜けられないし、と最後につけ加えた。
「ま、そういうことだから。そんなに怖い目で見てくれなくても大丈夫だよ。……俺には可愛いショーコちゃんがいるしね」
土田がそう言って苦笑いする。
どうやら自分で気づかないようにしていた、ちっぽけな嫉妬心まで見透かされていたようだ。
いつも牧が愛嬌たっぷりに土田を慕うものだから、それが羨ましかった。
さっきだって意識がないとはいえ、土田に寄りかかってくっついている状況を内心面白くないと思った。
しかし、牧の家を知る人間が自分だけというのが本当ならば、少しは自惚 れてもいいのだろうかと期待してしまう。
鳴海は人形のように動かない牧の体を自分の背中に回し、おんぶの形で背負い込む。
密着した部分が、ほんのりと温かい。
「仕事で疲れてるところ本当にごめんね。助かったよ」
「明日は休みなんで、平気です。気にしないでください」
「そういえば、そうだったね。牧、シフトの休み希望を鳴海くんに合わせるんだって言ってたから。今後は二人で過ごせる時間、いっぱい増えると思うよ」
鳴海ははっとして、後ろにいる牧の方へと首を動かした。
まさか、自分が牧にとってそこまでしてもらえる存在になっていたなんて。心の震えが止まらない。
そんな鳴海の様子を土田は楽しそうに眺めながら。
「鳴海くん。牧を大事にしてやってね」
「……言われなくても、そのつもりです」
鳴海は恥ずかしそうにくるりと背中を向け、少しぶっきらぼうに答えた。
牧の細長い両足をぐいと抱え直すと、出口へ向かってゆっくりと歩き出す。
「あ、そうそう。鳴海くん」
呼び止められて、振り返る。
「――ちゃんと言葉にしないと、伝わらないことってあると思うよ」
土田は鳴海たちの背中に、詩のような言葉を投げかけた。
それは駅に貼りつけられたポスターにでも書いてありそうなフレーズで。
当たり前すぎて、普段は素通りしそうな言葉。
しかし今の鳴海には、深く心に突き刺さる。
ぺこりと無言で一礼し、カラカラと引き戸を転がして外へと出た。
扉の一枚向こう側は冬の冷たい空気が漂い、大きな冷蔵庫の中にいるみたいだった。
思わず鳴海は、すんと小さく鼻を啜る。
遠くから酔っ払ったおじさんの下手な歌声が聴こえ、また近くでは乾杯の音頭で盛り上がっている。
まだまだこの街の夜は終わらないようだ。
鳴海は、出てきたばかりの居酒屋の入口を一度振り返る。
「牧さん…。土田さんは凄いね。やっぱり俺なんかより、土田さんの方が絶対モテるよ」
敵わないや。
鳴海がぼそりと呟くが、牧からの反応はない。
だけど。そんな牧の横顔を見て、鳴海は嬉しそうに微笑 った。
「でも俺は、たった一人の人に好きでいてもらえたら。それだけで――…」
鳴海の言葉は誰に届くわけでもなく、冬の風と共にすっと消えていった。
星のない夜空を見上げて、はーっと白い息を吐く。
気がつけば雲の陰から月が姿を現し、月光が鳴海の瞳の中へ飛び込んでくる。
「んん……、なるみぃ…」
名前を呼ばれて、後ろを見るが。
どうやら、ただの寝言だったようだ。
鳴海は牧の体が落ちないように、もう一度しっかりと持ち直した。
「――さぁ、牧さん。おうちへ帰ろう」
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