21 / 47
ラブ、大盛で #12
「ふあ…ぁ。…………おはよー、ございまーす」
太陽がすっかり登りきった頃。
大きな欠伸 を噛み殺しながら、職場へ顔を出す。
入口で服のたたみ作業をしていた若い女性スタッフが牧に気づくと、すぐに笑顔で挨拶を返した。
『invisible garden 』暁ヶ丘店は、駅ビル3階に位置するアパレルショップだ。
メンズとレディースの両方を取り揃えていて、店舗が全国に展開していることもあり、同フロアの他テナントに比べると床面積はかなり広い。
取り扱いしている商品は無地のナチュラル系のテイストが多いことから、カジュアルなものからシックなタイプまで幅広く選ぶことができると、大人だけでなく、大学生の人気ブランドとしても根強く支持されていた。
店内は普段と同じく若い女性客が多いが、男性客もちらほらと買い物を楽しむ姿を見せる。
まだ出勤時間まで余裕があったので、バックヤードで一休みでもするかと、そのまま売り場を通り過ぎようとすると。
「おい牧! 具合はもう大丈夫なのか?」
先に出勤していたらしい土田に、呼び止められる。
その表情は、まさに子供を心配するオカンそのものである。
「まだ体調良くなかったら休んでいいって、連絡しといただろ」
土田は手に抱えていたハンガーの束をカチャンとラックにかけると、ひとまず牧と一緒にバックヤードへ入る。
「店長も有休扱いでいいって言ってたし。無理すんなって」
「え…。でも俺、昨日も休みだったし。それに今日はマークダウンあるから、忙しいでしょ」
「そうだけどさ。お前、普段一滴も酒飲まないくせに、3杯もいったんだろ? 俺ですら牧があんな酔ってるとこなんか見たことないのに、目の前でぶっ倒れられて店長なんか完全にビビッてたからな」
「忘年会。途中でリタイアしてごめんね、つっちー。みんなにも迷惑かけたし、さすがにこれ以上は甘えられないよ」
「でもお前…。なんか、まだフラフラしてんじゃん」
二日酔いどころか三日酔いじゃないのか? と土田は眉をひそめる。
「あー…。これは、ただの寝不足っていうか、疲労っていうか……」
二人で初めて絶頂を迎えたあの夜。
あれからしばらく抱き合っていたら、牧の中にいた鳴海が再び欲情し、まだ一度目の熱が冷めぬまま、新たな精を体の奥へと注がれて。
それから約束通り二人で一緒にお風呂に入って、体の洗いっこをして、じゃれ合って。気づいた頃には、時計の針は深夜1時を回っていた。
終電はとっくに逃しているし、時間も真夜中ということから、牧の家に一晩泊まってもらうことになった。
狭いシングルベッドに男二人、抱き合いながら眠りにつき。迎えた朝の光はいつもよりも眩しくて、それでいて柔らかかった。
シフトの休日もようやく重なり、そのまま家で一日中のんびりとした時間を過ごし。
体に負担をかけてしまったからと、食事の用意も家事も、何から何まですべて鳴海が動いてくれて、牧は生まれながらのお姫様のような扱いを受けた。
そしてまた夜が来てそろそろお別れという時に、つい「もうちょっとだけ一緒にいたい」と引き留めてしまった。
優しい鳴海は、そんな牧にキスを贈るが。
一度唇を重ねれば、自然と体はベッドの上でもつれ合い。
時間を忘れ、月が沈むまで、互いに求め合うがままに体を重ね合わせた。
そうして鳴海はもう一泊延長を余儀なくされ。
牧は酒の酔いは抜けたものの、鳴海とのセックスにひたすら酔いしれたのだった。
と、いうわけで。
疲れているように見えるのは、このような経緯があったからである。
睡眠不足と言いつつもどこかニヤけ顔の牧を見て、何も知らない土田はあることを思い出し、一人納得をした。
「……あぁ。そういえば一昨日、鳴海くんに送り届けてもらったんだったな…」
なんとなく事情を察するが、敢えてそれ以上は聞かないことにする。
一方の牧は、鳴海という名前が出てきた途端に表情がぱっと明るくなり、元気になった。
「俺が意識ないとき、つっちーが鳴海を呼んでくれたんだって? ありがとね」
「おう。勝手にスマホ触って悪いとは思ったけど、勘弁な」
「いいよ、別にそのくらい」
おかげで二人のくだらない誤解が解け、新たな第一歩を踏み出すことができたのだ。感謝しかない。
「そうそう。鳴海から、アドバイスのお礼言っておいてほしいって頼まれたんだけどさ。つっちー、鳴海になんか言ったの?」
すると土田は一瞬、意外そうな顔をして目を見開くが。
すぐに何かを悟ったのか、ニッと不敵な笑みを浮かべた。
「……さあね? 多分何か言ったのは、鳴海くんの方……じゃないかな」
「ふうん……?」
牧は何のことだかわからず、首を傾 げる。
いつの間にか二人だけに通じる何かができていることに、少しだけジェラシーを感じてしまう。
「さぁて。そろそろ、売り場戻るとすっかな」
「あ。俺も行く」
牧は上着と鞄をサッと置いて、土田の後へ続く。
今日からセール品の値引き率が変わるため、タグにマークダウンのシール付けと、売り場変更の大仕事が待っている。
主に接客はトークの上手な土田が担当し、牧はこうした裏方作業に専念する形に落ち着いていた。
分厚いリストを手にすると、ピックアップした該当商品に次々と50%OFFのシールを貼り付けていく。
セール対象のものをまとめて入口付近の什器 へと並べ、『SALE 』の赤いポップを立ててディスプレイを仕上げていく。
トルソーのトップスを売れ行きの良さそうなものに着せ替えていると、若い女が一人話しかけてきた。
「牧くん、久しぶり」
名前を呼ばれて振り向くが、その顔に見覚えはまったくなく。
「……ごめん。誰?」
「ひどーい。前に一緒にカラオケ行ったりしたじゃん」
「そうだっけ? 全然、覚えてねえんだけど」
「まぁ、他にも人たくさんいたから、私のこと忘れてても無理はないかも。あの時は私、彼氏いたし…」
「悪いけど、今忙しいから。何も買わないなら、帰ってくれる?」
くるりと背を向けると、正体不明の女は塩対応をする牧の視界に入るため慌てて回り込む。
「あ、あのね…。私、つき合ってた彼と別れたんだ。だから、今度ご飯でも一緒にどうかなって…」
「へー。全国チェーンの牛丼屋でもいいってこと?」
「えっ…。牛丼……」
女はあからさまに「あり得ない」の表情を見せるが、なんとか引きつった笑顔をつくり。
「わ、私は…牛丼でも、別にいいよ?」
「まぁ、どっちにしたってあんたとは行かないけどね。俺には、美味しいって言いながら一緒に牛丼食べてくれる恋人がもういるし」
「え……。牧くん、恋人いたの…?」
「うん。優しくてイケメンの彼氏が、最近できたんだ」
「か、彼氏……? 牧くんって、ゲイだったのっ!?」
「そ。俺、ゲイだったみたい」
一応女性ともつき合ったこともあるのでその場合ゲイではなくバイと言うのかもしれないが、正直今はもう女には興味はなかったので細かいことはどうでも良かった。
「だから、男漁りは他でやって」
じゃあね、と笑顔で手を振ると。
女は「最低!」と吐き捨てながら、顔を真っ赤にして帰って行った。
「なんか、騒がしいと思って来てみたら。お前……」
声のした方を振り返ると、そこには土田が呆れ顔で立っていて。
「いいのか? そんな大々的にカミングアウトなんかして」
「何のこと?」
「だから、自分が男とつき合ってるってことを言いふらしていいのかって、心配してんだよ」
「え、何で? 別に俺は構わないけど。事実だし」
さらりと受け流す牧に、土田は深い溜め息をついた。
「そうだったな……。お前って、そんな奴だったな」
空気を読むのは苦手だけど、嘘はつけない。
しかし今のやり取りで、土田はひとつ気づいたことがあった。
今までも牧は女性に対してデリカシーのない発言を平気でするようなことが多かったが、こと鳴海に関してだけは過剰なくらい慎重で、やたら臆病になっていたということだ。
「そもそもデリカシーがどうとかじゃなくて、ただ興味がない相手は、どうでも良かっただけなんだなぁ……」
「ん? 何か言った?」
「……いや、何でも」
おそらく、これが牧にとって最初の恋でもあったのだろう。
初めて、本気で人を好きになって。
それ故に戸惑ったり、恐れたりもして。
ようやく、ありのままの自分を愛してくれる人に出会えたんだな、と。
土田はこの不器用な同僚へ、見守るような優しい眼差しを送った。
「そういや、つっちー」
牧が、ひとりごとを言うように口を開く。
「俺、枝豆に嘘つかれてたわ。鳴海は俺のこと、好きなんだって」
土田の脳裏に、枝豆の皮を居酒屋のテーブルにずらりと並べる牧の映像がリプレイされ。
「…………やっぱりお前。まだ酔っ払ってんじゃねえの?」
*
「牛丼、大盛つゆだくで」
いつものお店で、いつもの注文をする。
けれど、今日はちょっとだけ定石 とは違っていたのが――…。
「あと、サラダセットも追加でお願いします」
横から、鳴海が味噌汁とサラダのセットを追加する。
以前野菜も食べるようにと言われた際に、鳴海がサラダをご馳走してくれることになっていたのだが、その約束が今こうして果たされているところだった。
同じものを二つ頼んで、いつもの外国人店員がいつものように厨房へ引っ込むかと思いきや。
「お二人サン、やっと仲直りできたんダネ! よかった、よかった」
ニコニコといい笑顔で、牧と鳴海の二人を見る。
そういえば牧はたまに一人で来ていたが、鳴海が顔を見せるのは久々かもしれない。
別にケンカをしていたわけじゃないけれど、まさかお互い無駄なすれ違いをしてましたとは言えず。
「まぁ…。前よりは、仲良くなった……かな?」
照れた顔で、鳴海を見れば。ふわっとした笑みを牧に向けられる。
店員はうんうんと大きく頷くと、ようやくその姿を消す。
「そういや、鳴海。今朝は遅刻とか大丈夫だった?」
「一旦自宅に戻って着替えてから仕事に行ったけど、余裕で間に合ったよ。それなら朝もうちょっとだけ牧さんと一緒に過ごせたなって、後悔したくらい」
牧の家に泊まり、さすがに洗濯してあるとはいえ二日前と同じ服装というわけにはいかないので、鳴海は出勤前に一度職場近くの自宅へ寄ることになった。
今朝はバタバタと慌ただしかったので心配していたのだが、何事もなかったと聞いて安心する。
「部屋着ならともかく。俺の服じゃ、ちょっとサイズ合わないもんな。鳴海、足長いし」
何の気なしに、笑って言うと。
「じゃあ今度お邪魔するときは、ちゃんと着替えを用意していこうかな」
鳴海がさらっと返すので、牧はなんだか心がむず痒くなる。
着替え持参で家に来る、イコール泊まる、イコールえっちなことをする、という等式が自然と頭に浮かんでしまう。
顔が熱くなるのを、冷たい麦茶をぐいっと呷って、誤魔化して。
「……うちに来てくれてもいいけどさ。俺も今度、鳴海ん家に行ってみたいな…」
その時は着替えを持って行くから、と付け加えると。
鳴海も、同じ式を思い描いたらしく。
「牧さんなら。うちは、いつでも歓迎なんで……」
同じように頬を朱色に染めながら。
麦茶を一口、ゴクンと飲んだ。
「ハーイ、大変お待たせシマシター!」
カウンター席に並んで座る牧と鳴海の前に、四角いトレイが二つ置かれる。
「……あれ? 俺たち、たまごは頼んでないけど」
注文した覚えのない、生たまごの小鉢の存在に牧が気づく。
すると店員は得意げに、白い歯をニカッと出して。
「それ。ワタシの奢り。仲直りの、お祝いデス」
眩しいほどのスマイルを見せられ、牧たちはそのありがたい好意に対して、素直に礼を言った。
「ただし、もうケンカはしちゃダメよー。次もまた、二人で仲良く牛丼食べに来てネ!」
結局、変な誤解をされたまま。
店員はサッとどこかへいなくなってしまった。
「……いい人、だね」
鳴海が、くすっと笑う。
一人で食べに来ていた時は気にしたことはなかったが、確かに変わってはいるけど、面白くて気のいい店員だと牧も感じている。
「そうだね」と頷いて、運ばれてきたごはんへ視線を移す。
普段は丼ひとつだけだが、今日は味噌汁やサラダ、おまけに、たまごまでもが勢揃いで。
いつもより豪華なそれは、見ているだけでお腹いっぱいになりそうなくらいだった。
もし例えるならば、大盛の、更に大盛といったところだろうか――…。
「それじゃあ、食べようか」
鳴海が手を合わせるのが見えたので、牧もそれに倣 う。
せーの、と言ったわけではないけれど。
二人同時に、声が重なる。
「いただきます」
ともだちにシェアしよう!