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ラブ、つゆだくで #3

「ほら。鳴海、こっちの眼鏡も似合うじゃん」 「そうかな…?」 「そうだよ。……うーん、さっきのボストンも捨てがたいけど。やっぱり鳴海には、ウェリントンって感じかなぁ」 縦長の鏡を、二人で体をくっつけるようにして覗き込む。 いつもと違う自分の姿に違和感を抱くよりも先に、牧の顔が接近していることに鳴海は胸をドキドキさせてしまう。昨夜あんなにえっちな行為をしたばかりだというのに、今更おかしな話だ。 今日は、暁ヶ丘の駅ビルまで、ショッピングをしにやって来ていた。 牧は毎日のように足を運んでいることもあってもう庭みたいなものだが、鳴海はこの商業施設を訪れるのは今回が初めてだった。 夜遅くまでイチャイチャしていたものだから二人して寝坊し、午前中に来る予定だったのが、すっかり昼下がりの時間になってしまった。とはいえ元々のんびり過ごすつもりだったので、お互い特に気にした様子はない。 平日ではあるが、大きな駅の上ということもあり、どのフロアも人通りはそれなりにあるようだ。 とりあえず下の階から順にあちこち見て廻って、最後にまた3階に戻り、牧の勤める『invisible(インビジブル) garden(ガーデン)』でゆっくり服を選ぼうということになって。 途中、4階にある眼鏡屋の前を通りかかったところでふと牧が立ち止まり、眼鏡の試着をしたいと言うのでちょうど寄り道をしていたところだった。 牧は普段はコンタクトだが家では眼鏡をかけたりもするので、何か気になるものでもあったのかと思いきや。 さっきから試着をしているのは、視力の良い鳴海ばかりで…。 「牧さん。俺、こう見えて目は良いほうなんだけど……」 それこそ、セックスの最中でも牧の体にある小さな黒子(ほくろ)を見つけてしまうくらいで。 嬉々として次から次へとサンプルの眼鏡を持ってくる牧に向かって、鳴海が少しだけ困ったように笑いかける。 牧はというと、そんなことはお構いなしといった顔で。 「んなもん、伊達メガネでいーんだよ。せっかく鳴海は顔が整ってるんだから、色々楽しまないともったいなくね?」 「顔なら、牧さんのが整ってるでしょ。それに似合う似合わないで言うなら、やっぱり牧さんの眼鏡姿が見たいというか……」 「俺はいつも家で、かけてんじゃん。それにもう少ししたら花粉の季節が来るから、これから嫌でも毎日眼鏡生活になるわけだし」 牧はスギ花粉のアレルギーを持っているらしく、毎年春が近づく季節になるとコンタクトの着用は控えて、しばらく眼鏡で過ごしているのだという。 「……どう? 鳴海」 「うん。やっぱり眼鏡かけてる牧さんも、素敵だよ」 なんだかんだ言いつつ、牧も眼鏡の試着をして見せてくれて。 素直に褒めると、牧はまんざらでもない顔で鏡の中の自分を見つめていた。 普段の牧ももちろん綺麗だが、眼鏡をかけた牧も大人の色気があって、その横顔は凛とした印象さえ与える。 鳴海は展示されている眼鏡を、改めて手に取ってみた。 先ほど牧が勧めてくれたウェリントンというタイプは、フレームが逆台形のような形をしているもので、確かに試着した中では一番自分の顔にしっくり来ているような気がした。 言われてみれば同じ店で働く美容師にもファッションとして伊達メガネをする者もいたし、仕事のときにかけてみるのも普通にアリなのかもしれない。 そう思ってもう一度、牧が「似合う」と言ってくれた眼鏡を試着して鏡の前に立ってみると。 「お客様。そちらの眼鏡、とてもよく似合ってますよ」 いつの間にか女性の店員が近づいてきていたらしく、隣から話しかけられる。 顔は綺麗な方だとは思うが、貼り付けたような笑顔が人工的で少し怖い。 「あ、えっと俺…。視力は良いので……」 「そうなんですね。でも、ファッションでかけられる方も多いですよ。普段のおしゃれに手軽にプラスできて、コーディネートの幅も広がりますし」 「はぁ…」 「今おかけになってるウェリントンというタイプは、初めて眼鏡をかけるという方でも使いやすい形となっておりまして。お客様は端正な顔立ちをしてらっしゃるので、どのタイプもお似合いになるかと思いますが…」 店員のセールストークは、さっき牧の言っていたものとほとんど同じ内容だった。 この店員にというよりも、鳴海は牧に対して感心した。 元からセンスがあるのは感じていたが、専門ジャンルでなくても的確なアドバイスができるとは、さすがはプロのアパレル店員だ。 鳴海は女性店員と会話をしている間も、頭の中では牧のことばかり考えていた。 ずっと反応の悪い鳴海に気にすることなく、眼鏡屋の店員は更に熱心にアピールをしてくる。 「きっと、周りからも格好いいって言われること間違いなしですよ」 別に誰に何と思われようが興味はないので、そんなことはどうでもいいのだが。 けれど、牧に格好いいと言ってもらえるなら、安いものだと思えてきてしまうから不思議だ。 値札を確認すると、大手チェーンだけあって思ったよりもリーズナブルな価格だった。 鳴海が眼鏡を試着している姿を終始楽しそうに見ていたし、買うと言ったら喜んでくれるだろうか。 そう思って、牧のいる方へ向き直り。 「あの、牧さん。俺、この眼鏡……」 買おうかな、と続けようとしたら。 手にしていた眼鏡を突然奪われて、棚に戻されてしまう。 「行こう、鳴海」 「えっ…。ま、牧さん…?」 ぐいと腕を引っ張られて、そのまま店の外へと連れ出されてしまう。 すたすたと早歩きで進む後ろ姿に、鳴海は訳が分からず戸惑いの声を上げる。 「眼鏡……買わなくて良かったの…?」 てっきり、牧は購入に賛成なのかと思っていたが。 すると、ぴたりと足を止めて振り返り、複雑そうな表情を鳴海に向けて。 「――なんか、ムカついた」 「え…?」 「鳴海の眼鏡姿を、他の奴に見られると思ったら。……なんか、イライラした」 「牧…さん」 「……それに、鳴海。あの美人の店員に勧められた途端、買う気になってるし。俺のときは、全然乗り気じゃなかったくせにさ…」 そこまで言うと、牧はばつが悪そうに目を逸らした。 美人と言うなら、正直言って牧のほうがよっぽど美人だと鳴海は思っているのだが。 この独占欲と嫉妬心を惜しげもなくぶつけてくる恋人が、可愛くて仕方ない。 「俺は…。牧さんが似合ってるって、言ってくれたから。牧さんに、格好いいって言われたかったから。だから、買おうと思っただけだよ」 鳴海のそんな優しい声に、牧ははっとその顔を上げる。 「でも、牧さんが嫌なら買わないよ」 牧に独り占めされるというのが、心地良くて。 つい、そんな言葉を言ってしまう。 「……買って、いいよ」 「え?」 「あの眼鏡…。鳴海に、すごく似合ってた…」 それから牧は、少し照れくさそうに小さな声で言う。 「……あと鳴海は、いつも格好いいし」 「――…」 牧の言葉が、じわりと耳から甘く溶けていく。 いつも鳴海の欲しい言葉をまっすぐくれる牧が、どうしようもなく好きで、好きで、堪らない。 「今すぐ牧さんにキスをして、抱きしめたいです」 「…………バカ。二人きりに、なったらな」 ダメ、とは言わないところが、また可愛い。 「それじゃあ、二人きりになれた時に」と約束をして。 二人並んでもう一度、眼鏡屋へと戻る。 先ほどの店員が鳴海たちに気づくと、ぱっと明るい笑顔を見せた。 鳴海は、一瞬だけ牧を見て。 それから、柔らかい笑みを浮かべて言った。 「――すみません。やっぱりさっきの眼鏡、買いたいんですが……」

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