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ラブ、つゆだくで #4
暁ヶ丘にある駅ビルの5階。
鳴海は一人、キッチン雑貨専門のショップにいた。
特に買いたいものがあったわけではなく、ただの時間潰しつもりでなんとなく店内を見て廻る。
というのも、つい先ほど牧が化粧水を買いに行く際に「選ぶのに時間かかりそうだから、その間、好きなところへ行ってきていいよ」と言い出し、鳴海を置いて一人で行ってしまったからだ。
待つのは構わないので一緒に店内に入ろうとしたのだが、牧に「せっかくだし他の店とかも色々見て来なよ」と少し困った様子で断られ。
あまり遠くへ離れるわけにもいかないので、ひとまずこうして同じフロア内を適当に散策しているところだった。
デートなのに別行動というのは寂しいが、近くで待たれるというのも牧にとってプレッシャーなのかもしれないと納得し、ゆっくり自由に選ばせてあげることに決めたのだが…。
「こうして見ると、キッチン雑貨と言っても色々あるんだなぁ…」
店内には想像した以上にたくさんの種類の商品が並んでいて、その数に圧倒される。
最近は牧が鳴海の家にお泊まりする関係で二人でおうちごはんも多くなってきたこともあり、何かいいものはないかと期待して見てみるが。これだけあると、もはや何を買えばいいのかすらわからない。
店内を見回してみると当然女性客ばかりで、自分が浮いている気さえする。
バレンタインの特設コーナーもあるようで、チョコレートの材料やお菓子キットなんかも売られているようだが、妙に殺気立った女性客が集まっているのでなるべく近づかないでおく。
鍋、キッチンツール、調味料と様々なコーナーを足早に通り過ぎたところで、テーブルウェアと書かれたエリアに差し掛かり。
この中で唯一慣れ親しんでいると思われる食器売場に辿り着くと、ようやく安心感に似たものを得る。
ガラスや陶器の食器類が並べられた先に、木製の食器があるのに気がついて。
手に取ってみると、天然木からできているというそれは素朴な温かみがあって、どことなく惹かれる。
使用例なのか、料理が盛りつけられた写真のPOP広告を見ると、カフェのような洒落 たダイニングが演出されていた。
「牧さん……この木の食器だったら、毎日サラダ食べたくなるかな?」
色とりどりの野菜と木の器は、見た目の相性は抜群で。
形から入るのが大好きな牧が、いかにも喜びそうなデザインだった。
木製食器のコーナーから、小ぶりなサラダボウルと、仕切りのある丸いプレートをそれぞれ二つずつ、レジへと持っていく。
ついでにリネンのキッチンクロスも何枚か一緒に購入し、それらがひとまとめにされた紙袋を片手に提げる。
そろそろ牧のほうも買い物終わっただろうか、と一度さっき別れた店まで様子を見に戻ってみることにした。
自然派化粧品を取り扱うその店は、通りかかるだけでボタニカルな良い香りが漂う。
スキンケア用品だけでなく、シャンプーや石鹸、バス用品なども店頭に並んでいるようだ。
通路から店内を覗いてみると、牧はちょうど会計をしているところで、男性の店員と楽しそうに話しているのが見えた。
瞬間、胸にチクリと小さな痛みが走る。
二人はただの店員と客というのはわかっているつもりだが、牧の笑顔がよその男へ向いているというのはなんだか面白くない。
牧もよくやきもちを焼いてくれるが、自分もなかなか嫉妬深いほうだと鳴海は常々感じていた。
今は恋人でいてくれているけれど、いつか愛想を尽かしてどこかへ行ってしまうのではないかという焦燥感を、未だ拭いきれずにいる。
――ダメだな。もっと、正妻の余裕のような気持ちで構えていないと。
鳴海がぎゅっとその拳に力を入れたところで、牧が通路で待つ鳴海の元へ駆け寄って来る。
「鳴海! お待たせ! ……あ、早速なんか買い物して来たんだ?」
牧が鳴海の持つ紙袋に気づくと、鳴海は「ちょっと気になったものがあったので」と笑ってみせた。
牧の手にも小さな紙袋が握られていて、無事化粧水を購入することができたようだ。
「どうする? 腹減ったし、そろそろなんか食いに行く?」
「そうだね、ちょっと休憩しようか」
エスカレーターで7階へ移動し、レストラン街に入る。
朝食が遅かったので、昼食も必然的に後ろ倒しになって少し遅いランチにはなるが、まだフロアはそれなりに賑わっていた。
「鳴海、どの店がいい?」
「牧さんの行きたいところでいいよ」
「俺は仕事の日にいつだって来れるんだから、今日は鳴海の好きなとこ入ろうよ」
「えーっと…。それじゃあ……」
迷った末、石窯ピザが食べられるイタリアンバルに入ることにした。
店内は隠れ家的なダイニングバーのようで、暖色系の照明も手伝って落ち着いた雰囲気を出していた。かの『ワンダー・キングダム』の世界観にも似ていて、あそこから店まるごと移転したと言われても違和感はない。
テーブル席を見渡せば、男女のカップルがほとんどで。
「……初見でこの店を引き当てるなんて。やっぱり鳴海、モテるだろ」
「ただの偶然だよ」
無意識だったが、どうやらデートで人気の店を選んでいたらしい。
「俺なんか、いつも牛丼屋だったから文句ばっか言われてたなぁ」
「俺は牛丼屋好きだよ、牧さん」
空いていた壁際のテーブルに着き、二人でメニューを開く。
前菜に、カルパッチョとアヒージョを。メインは、マルゲリータと生ハム&ルッコラのピザをそれぞれ一枚ずつ。それから、葡萄ジュースを注文することになった。
すると、オーダーを取りに来た若い女性店員が牧を見て。
「あ、あの…。もしかして、3階のインビジの人ですか…?」
「ん? そうだけど」
「やっぱり! 服を買いに行ったときに、見かけたことがあって。あ、話すのは初めてなんですけど…」
「そうなんだ。うちの店に買いに来てくれて、ありがとね」
牧が笑いかけると、女性は顔を赤らめ、ぺこりとお辞儀をしてテーブルを離れていった。
「…………牧さん、有名人だね」
「そうか? 同じ建物だから、その辺買い物してればお互い嫌でも顔合わせるってだけだろ」
本人はモテないと豪語しているようだが、実際は違う。
事実、あの女性は牧に恋をしている目をしていた。話したこともないのに顔を覚えているということは、そういうことなんだろう。
思った以上にライバルがそこら中にいるらしく、鳴海は焦りを感じてしまう。
料理はどれも美味しくて、特に窯焼きピザなんかは感動ものだった。
牧は食後に葡萄ジュースを飲んでいて、苦手なワインなど飲めなくてもそれなりに満足してくれたようで安心する。
「牧さん。ドルチェも食べるなら、注文するけど」
「いや、もうお腹いっぱいだからいい」
牧はジュースの入ったグラスを脇によけると、不意に先ほど買ったばかりの小さな紙袋を取り出した。
「そういえば。気になる化粧水、見つかった?」
「あー、うん…。そっちはまぁ、すぐ決まったんだけど……」
どこか歯切れの悪い牧を、鳴海が不思議そうに見ていると。
「――これ、鳴海に」
そう言ってテーブルに出されたのは、光沢のあるクリーム色のラッピングリボンで結ばれた、茶色のギフト袋がひとつ。
片手に収まりそうなくらい小さな袋だったが、心に受けた衝撃は予想以上に大きかった。
「え…? 俺に? …………開けてもいい?」
訊ねると、牧はこくんと頷いた。
プレゼントの袋を開封してみると、そこにはハンドクリームが入っていて。
「牧、さん……。これ――…」
「鳴海ん家にあったハンドクリーム、空っぽだっただろ? 美容師は手荒れ酷いって聞くし、ないと困るだろうなって思ってさ……」
鳴海が牧を見つめたまま動かないものだから、牧が慌てて補足する。
「あっ…。それ、無香料のやつだから、一応仕事の時にも使えるはずなんだけど。オーガニックで、余計な成分も入ってないらしいし。美容師の人にあげるならこれが一番おすすめだって、店の人も言ってたから……」
「……もしかして、これを選ぶためにさっき…?」
一緒に店に入らせてもらえなくて少し寂しかったが、まさか自分へのプレゼントを選んでくれていたなんて。
「こそこそして悪かったけど、鳴海には内緒にしたかったからさ。ほら、もうすぐバレンタインだし、あげるのにちょうどいいかなって」
牧がその綺麗な顔に、笑みを浮かべる。
確かに、そこら中バレンタイン一色になってはいたが。まさか自分がこんなサプライズを受ける立場にあるとは思っていなかったので、素直に感動する。
「ありがとう、牧さん……」
鳴海は、牧に礼を言うと。
家に置いてあったものと似たパッケージをしたそれを、大事そうにそっと両手で包み込んだ。
「そういや鳴海のほうは、さっき何買ったの?」
「えーと、食器…なんだけど。うちで牧さんとごはん食べるときに、使おうと思って……」
こんな日用品ではなく、もっとギフトに適したものを選べば良かっただろうかと少し後悔する。
しかし、鳴海が木でできた器を見るなり、テンションが上がったようで。
「すげえ! これ、いい…! なんか、お洒落なカフェっぽいんだけど! サラダとか食べたくなる…!」
牧は鑑定人のように木製のサラダボウルを手に取って見つめ、その声を弾ませた。
鳴海の思惑通り、やはりこの食器だと野菜がより美味しそうに見えるところを想像したのだろう。
仕切りのあるプレートも一緒に見せると、目まで輝かせていた。
「鳴海。俺、今度この皿でトマトとクリームチーズの入ってるサラダ食べたい。この前、鳴海が作ってくれたやつ」
「いいよ。じゃあ次、牧さんがうちに来たときに作ろうか」
こんな小さな約束でさえ、鳴海にとっては宝物のようなものに感じて。
今まで抱いていた不安などの汚れた感情が、きれいに浄化されていくようだった。
さっきの女性店員が「失礼します」とお冷を注ぎにテーブルへとやって来る。
相変わらず熱い眼差しを牧へ送っているが、もう鳴海はそれを見ても焦ることはなくなっていた。
――ごめんね。この人はもう俺のものだから、誰にも渡すつもりはないよ。
心の中で彼女にそう言った後、口では「ありがとう」と言ってグラスを受け取り、その後ろ姿を見送った。
「鳴海、それつけてあげるよ」
「え……」
唐突に牧がハンドクリームの容器を取り、チューブからクリームを少し出すと、早速それを鳴海の手につけ始めた。
牧の手のひらが、鳴海の手の甲を撫でる。
ミルクの色に似たクリームは、二人の体温に包まれて、優しく溶けていった。
ハンドマッサージでもされているようで、心地が良い。
「牧さん」
「ん?」
「プレゼント、大事にするから。我が家の、家宝にする……」
鳴海が、テーブルに置かれたハンドクリームを見つめながらそう言うと。
「いや、使ってくれないと困るんだけど?」
大袈裟だなぁ、と。
牧が笑いながら返した。
「――ハンドクリームくらい、またいつでもあげるよ。鳴海」
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