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ラブ、つゆだくで #9
――もしかして。そこに誰か、いるの…?
二つ隣の試着室に入っている客が、こちらに向かって言い放つ。
あれだけ賑やかに喋っていた女性たちが一転。急に、しんと黙り込んだ。
疑惑を抱いた女性の声は呟きに近かったけれど、はっきりと鳴海の耳に届き。思わず、額に冷や汗が滲む。
しまった。気づかれたか…?
……いや。今の音からわかる情報は、せいぜいこの部屋に人がいるということくらいだろう。
セックスをしていると勘づくどころか、男二人で個室に入っていること自体、まだ気づいていないはずだ。
しかし話しかけられてしまった以上、このまま無視をするのは逆に怪しまれるかもしれない。
何か答えて、反応だけでもするべきか?
とは言え「はい、います」と返事するのもストレート過ぎるし、「入ってます」じゃトイレだし…。
ダメだ。牧との快楽にすっかりのぼせてしまっているのもあって、うまく頭が回らない。
牧の様子をちらりと窺えば、顔を真っ赤に染め、唇を噛みしめながら今にも泣きそうな顔をしていて。
……しっかりしろ。元はといえばこんな状況を作ってしまった自分に原因があるのだから、何としてでも自分が牧を守らなくては。
そう心の中で言い聞かせ、鳴海は心臓をバクバクとうるさく鳴らしながら大きく息を吸い込んだ。
「あの…」
二人組の女性客へ声をかけた、その瞬間。
「あ。よく見たら、一番奥の部屋ドア閉まってるじゃん。全然気づかなかったけど、先に試着してる人いたみたいだね」
「ええっ! じゃあ私たち、すぐ近くに人がいるのにずっと恥ずかしい話しちゃってたってこと…!?」
「……まぁ、そうなるかもね」
「やだー、恥ずかしい! ねぇ、気まずいから早くここ出ようよ…」
「いや、どう見てもあんた待ちなんですけど。着替えるのにどんだけモタモタしてんのよ、まったく」
「違います〜、ブーツ履くのにちょっと時間かかってただけです〜! それに、もう行けるから大丈夫だし!」
「はいはい。じゃあそれ返して、すぐ店出ようね」
「あっ。待ってよ、置いてかないでよ〜!」
そんな会話が勝手に繰り広げられた後。
バタバタという足音とともに、女たちは嵐のように過ぎ去った。
騒がしい声はすっかり遠ざかり、辺りは再び軽快な洋楽の音に包まれる。いつの間にか、男性ボーカルのバンドに選曲が変わっていたようだ。有名な曲なのか、どこかで耳にした覚えがある歌だった。
うまくやり過ごせたことと、ようやく牧と二人きりになれたことに鳴海は安堵し、ほっと息をついた。
一方の牧はというと、今まで抑えていた分、色々な感情が湧き上がってきたようで。
「クソ、あいつら…。何も買わないくせに、無駄に長居しやがって……」
鏡についていた手をぎゅっと結び、恨めしそうな声を上げている。
鳴海はそんな牧の拳にそっと手を重ねて、眉尻を下げながらくすっと微笑 った。
「ちょっと、ドキドキしたね」
「ちょっとどころじゃねーよ! つか、なんであの状況で動くんだよ、バカ鳴海…っ」
「ごめん。牧さんがあまりにも色っぽいから、つい」
「はぁ…。今どき、犬でも『待て』はできるってのに…」
「でも、牧さんもちょっと興奮してたよね」
「それ…は…。まぁ…、少しくらいは……」
「ねぇ牧さん。今もまだ、俺はお預けのまま…? それとも、さっきの続きをしてもいい…?」
「……だから、なんでいちいち俺に確認するんだよ」
「だって、許可もらってからじゃないと牧さん怒るし」
「あー、もう! こういうときは、律儀に聞いて来なくていいんだって! ……俺だって、そろそろ我慢の限界なんだから」
「え…」
鏡の中の牧を覗き込むと、その熱い眼差しと目が合って。
「ゴチャゴチャ言ってないで、早く俺をイカせろよ――…」
掠れた、切羽詰まったような声で催促されれば。
一瞬で、情欲を煽り立てられる。
もう、邪魔者はいない。
二人は箍 が外れたように、本能のまま互いの体を求め合った。
「ン…、ああ…っ、んン…」
「ハァ…、ハァ……牧…さん……」
ほとんど息のような声を喉から漏らしながら、二人は深い快感に溺れていく。
さっきまでの焦れったい動きとは違い、後ろから覆い被さって激しく交尾する様は、まるで獣そのものだった。
「んん…っ。なん…か、いつもより…鳴海の、すご……い…」
「牧さんこそ…、俺のこと、普段より締めつけてるし」
鏡越しに牧の感じている顔が見え、鳴海は更に欲情する。
ずちゅ…、ずりゅっ…。
ピストンの速度を速めると、お互いの粘膜が擦れる卑猥な水音が、小さな部屋に微かに反響する。
またいつ誰がフィッティングルームに入ってくるかわからないという緊張感の中で、夢中でセックスをして。まるで、二人だけの世界にいるような錯覚にさえ陥る。
後ろから突き上げながら牧の着ているシャツの中に手を潜り込ませ、そのまま滑らかな肌の上を撫でていき目当ての突起を探し当てる。
指先で摘んでやると、すぐにそれはコリコリと硬くなって。
「んっ、や…、鳴海ぃ…! それ…ダメだって…!」
「……気持ち良くない?」
「ちが…っ。気持ち、いい…! 乳首っ、気持ち良すぎだから…ッ」
上と下、同時に刺激を与えられ、牧はビクビクと大きく体を震わせた。
そんな風に感じている姿を目にして、鳴海は喉が乾いたときの感覚に近いものを覚え、堪らずゴクンと生唾を飲み込んだ。
「…牧さんの体、すごくえっちだよね。なんで、こんなに厭らしいの?」
「知るか…。んなもん、こんなことされりゃ…誰だって…」
「へぇ。じゃあ牧さんは、俺以外の人間にこんなことされても、同じ反応をするってこと…?」
「バカ。そもそもお前以外の相手と、こんなことするわけないだろ…っ」
「そっか…、良かった……」
鳴海は嬉しくなって、牧の体をぐいと引き寄せ、後ろから抱きしめる。
それまで手をついて体を少しだけ折り曲げていた牧は、突然まっすぐの体勢にされて支えを失ってしまい、必然的に鳴海の方へ寄りかかる形になった。
大きな全身鏡には、ほぼシャツ一枚しか着ていない牧の姿がくっきりと映し出されていて。
中心にある性器は、触れてもいないのに涎 を垂らしたみたいにびしょびしょに濡れてしまっていた。
「俺のをいっぱい飲み込んで、悦んでる牧さんがよく見えるね」
「そんなん…。わざわざ言わなくて、いい…」
「ダメだよ、牧さん。ちゃんと鏡を見て?」
照れくさそうに顔を背ける牧の顎をくいと引いて、鏡へと向き直らせる。
「今、牧さんに入れてるのは他の誰でもない、俺なんだって。見ながら、感じてほしいから…」
「鳴海…」
耳元で優しく囁くと、牧は素直に従い。
鏡の中で、とろけるような視線が絡み合う。
牧の尻へ腰をグッと押しつけると根元まで全部入り込んで、牧の中は鳴海のものでいっぱいになる。
だけど、まだ足りない。
もっと、頭の中まで自分のことでいっぱいにしてやりたくて堪らない。
それこそ、それ以外のことが考えられないくらいに――…。
「あああ…っ。すごい…っ、鳴海のが、奥まで、入ってくる…ッ」
「牧さん…っ。牧さんの中、気持ち良すぎて、俺、イキそうだ…」
「いいよ…。鳴海の精子、俺ん中に、出して……!」
恍惚とした表情でそんなことを言われれば、鳴海の雄は簡単にとどめを刺されてしまう。
「牧…さん……ッ」
右手で牧の茎を握り、上下に扱いてやりながら、後ろへ最後の猛攻を激しく打ちつける。
「あっ、ああんん…っ。…な、るみ…!」
「牧さん…っ! 牧、さ…ん……!」
ビュルル、と熱い精液を中に流し込んで。
牧の着ていた服にも、遅れて白濁の汁が飛び散る。
力が抜けてくたりと倒れそうになる牧の体を、鳴海は優しく抱き止めた。
相変わらず全力のセックスの後は、二人とも息が上がってしまっていて、無言で荒い呼吸を繰り返す。
繋げていた体を離した今も、痺れるような、それでいて心地良い余韻を全身に残していた。
牧の蕾からは、鳴海の出した白い液体がとろりと溢れ出ていて、終わった後もなんだか厭らしさがあって。
いつもと違うそんな事後の姿を、鳴海がしばらく満足気に眺めていると。
「……鳴海の、せいだからな」
牧が、ぼそりと呟く。
鳴海が「え?」と聞き返すと、すぐに恥ずかしそうに目線を逸らして。
「仕事中に、この試着室を見て…。……俺がえっちなこと思い出したら、鳴海のせいだ…」
口を尖らせながら、頬を桜色に染める牧が可愛くて。
握りしめたチョコレートが人の体温で溶けていくみたいに。鳴海はじんわり温かいものに包まれたような、そんな感情で満たされていった。
「……俺のこと、いっぱい思い出してください」
鳴海が柔らかい笑みを向けると、牧が顔を上げる。
まだちょっとだけ不機嫌そうにしているが、そんな拗ねている姿すら愛おしい。
「もし、牧さんがえっちな気分になってしまったら。責任持って、俺がいっぱい抱いてあげるんで安心してくださ……。――いてっ」
返事の代わりに。軽く脛 を蹴られた。
「あれ? 鳴海くん、いつの間にかいなくなってたから、もう帰ったのかと思ったよ」
レジのあるカウンターで作業している土田のところへ顔を出すと。業務を中断して、にこりと鳴海に笑いかけてくれる。
「さっきまで、試着をさせてもらってました」
「ああ、フィッティングのところにいたのか。……ところで、牧のやつはどこ行ったんだ?」
セットでいるはずの牧が見当たらないものだから、土田は気になって辺りを見回す。
「牧さんは、少し疲れたみたいで。まだ試着室で休んでます」
「うん? そうなんだ…?」
何か引っかかりを感じつつも、土田はそのまま会話を進める。
「それで? 何かいい服は見つかったかい?」
「はい。気に入ったので、試着したもの全部買おうかと」
「へぇ、全部とは嬉しいね」
「会計、お願いしてもいいですか」
感心している土田の目の前に、鳴海は爽やかな笑顔で、商品についているタグを数枚差し出した。
――あれ? なんか、嫌な予感…。
土田の笑顔が、徐々に固くなっていく。
「あの。牧さんが、これだけレジに持っていけば問題ないからって言ってたんですけど。無理そうですか…?」
「いや、別にできないってわけじゃないんだけど……。服ごと持ってくればいいのに、なんでわざわざタグだけちぎって…?」
「服は、すみません。ちょっと汚してしまったので、そのまま持って帰ります」
「え、ちょっと待って。試着で汚すって、一体どうして………………。あっ」
それまで理解が追いついていなかった土田は、そこでなんとなく勘づいてしまう。
試着室からなかなか出てこなかった二人…。休憩が必要になった牧…。そして、なぜか汚れたという服…。
それらが示す出来事を察してしまい、できれば気づきたくなったと土田は心の中で泣き叫んだ。
人が大変な思いで仕事してるってときに、この二人ときたらまったく…。
「確かに、試着室は好きに使ってくれて構わないとは言ったけどさ……」
――本当に自由に使われるとは思わなかったなぁ…。
土田は、盛大な溜め息をついた。
「……まぁ、二人が仲良くしてるならいいか。うん」
深く考えるのを諦めて、土田はポジティブに生きることにした。
人はそれを、現実逃避とも言う。
「鳴海くん」
「はい」
「あまり、牧を泣かせないでくれよ。……二度と、あの『枝豆の悲劇』を起こさないためにも」
「枝豆……ですか」
以前牧の口からも枝豆という単語が登場したことがあったが、一体何のことだろうと鳴海は首を傾げる。
聞けば、後に『枝豆の悲劇』と名付けられたそれは牧の職場の中で歴史に残るほどの騒動だったらしいのだが、話せば長くなるとのことで詳しいことまではわからなかった。
「枝豆だろうが、大豆だろうが関係ないです。俺は、いつだって牧さんを悲しませるつもりはありません」
まっすぐ土田を見据えて鳴海が言うと。
土田は「その言葉を信じるよ」と微笑みながら返した。
それから、タグについているバーコードをピッとスキャンしていき、無事に会計を済ませる。
空の紙袋を持って牧の待つフィッティングルームへと足早に向かう鳴海を見送りながら。
土田は頬を綻ばせ、その背中へ向かって独り言のように呟いた。
「――これからも、牧をよろしく頼むよ。鳴海くん」
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